第13話 祝祭:前編
今日もリースと、近くの街まで買い物に出かけた。司教のこともあるし、リースを連れ歩くのは控えた方がいいとは思ったが、もし監視の目があるのなら急に行動を変えるのも怪しいだろう。リースも落ち着かなくなるだろうから、何も説明はしなかった。気配遮断用のマフラーも忘れずに巻かせているし、こういうのは逆に堂々としている方がバレにくいもんだ。
当のリースはだいぶ街に慣れたようだ。休息日の度に連れ出しているので、行きつけの店の店員とはお互い顔なじみになった様子だ。注文やちょっとした世間話も、怯えることなくできるようになってきた。今日もチーズと薄切りハムを包んでいる最中の男主人へ、にこにこしながら話しかけている。男主人は短い相槌しか打たないが、紙袋にこっそり新作チーズを潜ませていた。人懐っこいって、役得だな。勘定を払い終えて、店を後にする。紙袋を抱えたリースは、弾むように話しかけてきた。
「ティモ!明日はこの街の祝祭の日なんだって!」
「あー、もうそんな時期か」
この街は半年に一度、季節を祝う祭りがある。豊穣に感謝するとかどうとか謂れはあるが、その他に大きな催し物はないし、結局『ただ祭りがしたい』というのが本音だろう。
そういえば、組み立て前の屋台や宙に張りめぐらされた沢山のランタンもある。すれ違う人々もみんなどこか浮き足立っている。教会からの行き帰りでは、全く目に入っていなかった。見ようと思わなければ、気付かないもんだな。
「いいな、祝祭。遠くから明るい光を見てたけど、行ったことはないの。人が多くて、隠れていないといけなかったから」
「ふぅん」
「だからティモ、明日一緒に行こうよ!」
「祝祭ねぇ…」
そういえば、神学校に入学してから今まで、一度も行っていない。浮かれ騒ぐのに興味はなかったし、そうしたいとも思わなかった。あまり行きたい気はしないが、リースはもう行けるものだと思っているようで、笑顔で腰をもこもこさせている。これ以上羽を動かしたら、押さえるために巻いたタオルがほどけそうだ。注意の意味も兼ねて軽く叩くと、動きがきゅっと収まった。
「仕方ねぇな、わかったよ。明日俺が帰ってきたら連れて行ってやるから、大人しくしておけ」
「ありがとう!うれしい!」
リースは笑い出さないようにと口を押さえ、目を細めてぷるぷると震えている。同時に腰辺りも震え始めたのでもう一度叩けば、リースはさらにうずくまった。
「ティモ、楽しみにしてるね!」
「それまでに、体調崩すなよ」
口から出た言葉に、自分で笑ってしまった。淫魔は風邪を引かないし、自己治癒能力もある。一部の体液は傷の回復効果もあるらしい。契約主である俺には魅了や精神干渉の類いは効かないはずなのに、どうしてこいつのお願いはこんなに抗いがたいのだろうか。
**
「おかえり!祝祭、行こう!」
「待て待て、せめて着替えさせろ」
職務が終わり家に帰れば、既に夕暮れ時だった。玄関の前に椅子まで用意して待っていたリースは、飛び跳ねるように立ち上がった。既に羽としっぽを隠すためのタオルは巻き終わっているようだ。初めての夜の外出だし、余計に楽しみなのかもしれない。
急かすような視線を背後に受けながらカソックを脱ぎ、椅子に引っかけておく。これまたリースが準備しておいたらしい普段着が机に置いてあったので、さっさと着替えた。リースはその間にマフラーを巻き、椅子を片付けている。本当に用意がいいな。
「ティモ、着替えたね。行こう!」
「はいはい、転ぶなよ」
リースに手を引かれて、家を出る。だいぶ暗くなっているので、玄関脇に置いてあるランタンを手に取り、冷たい底に手を添えた。ぽわっと暖色の明かりが灯ったのを確認して、持ち手に手首を差し入れる。リースはわざわざ少し屈み、それをのぞき込んでいる。
「すごいね、光ってる」
「今日の祝祭はこれが数え切れないくらい灯るんだぞ。このくらいで感心してるなら、お前は倒れちまうかもな」
「ほんと?!早く見たい!」
「うわコラ、引っ張るなって!」
普通は怖がるふりくらいするだろうが。肩が抜けそうな程に引っ張られるので、仕方なく早足で進む。頼むから転ぶんじゃねぇぞ。巻き添えだからな。
**
「うわ、綺麗…!」
「これはまた、気合が入ってるじゃないか」
徐々に暗くなっていく道を進み、辿り着いた街へ足を踏み入れる。門を入ってすぐの大通りでは、既に沢山のランタンが灯っていた。上手く糸で吊っているのか、高い場所でも手の届きそうな低い場所でも、まんべんなく明るい炎色の光が揺れている。通りの両側にはいつもより多くの露店が並んでいた。この場所の全てが、物売りと客たちの活気あるざわめきで溢れている。
「美味そうなものも売ってんな。買い食いで夕食にしちまうか」
「うん!」
その後は、リースの指差すもの、俺の食いたいものを何でも買い込んだ。腕がいっぱいになったから、上着のポケットにもねじ込んだ。さすがに買いすぎたかもしれない。隣のリースは無数のランタンの灯りに照らされて、屈託なく笑っていた。つられて、少しだけ笑う。
「ティモ、楽しいね!」
「そうかもな」
足を進めながらも軽口を交わしたその時、孤児院の前を通りかかった。入り口前に机を並べ、手作りの置物やら何やらを置いている。俺のいた頃から変わってねぇな。建物は、周囲の店よりランタンが少ないからか、普段よりも暗く沈んだ空気をまとっているように見えた。
その暗さに、ざわりと視界が揺れかけた。しかし、予想していた寒気は来なかった。隣のリースが、顔に温かい何かを押し付けてきたからだ。蒸した生地と、肉餡の匂いがふわりと香る。
「ティモ、また変になりかけた。ここを見るの、嫌なの?」
「まぁな。そんな所だよ」
「そうなんだ。見なければいいんだよ。僕、そろそろお腹空いちゃった」
「……そうだな。向こうに座る場所があるからそこで食おうか」
前だけを見ながら、早足でその場を後にする。リースはとことことついてきた。少し足を伸ばせば、円形の広場に辿り着く。通りから少し外れているからか人気は少ないが、ランタンが灯っていて十分に明るい。空いていたベンチに座り、買ってきた物を広げる。
「どれから食べようか、迷っちゃうね」
「早いもの勝ちだぞ」
さっそく、葉物と厚切りの肉を挟んで茶色いソースをたっぷりかけたバゲットのサンドイッチを手に取る。ずっしりと重いそれをしっかり掴み、大きく口を開けてかぶり付いた。柔らかい肉の旨味と香辛料の効いたソースの香り、バゲットの噛み応えと小麦の味が一気に溢れかえる。夢中でかじっていれば、隣のリースも果物を挟んだ白パンのサンドイッチをせっせと頬張っていた。その姿はあまりにも普通で、それ故に愛らしい。こいつが魔のものだとは、到底思えなかった。ふと、疑問が口をつく。
「リース」
「なぁに?」
「お前、神ってなんだと思う?」
自分でも突拍子もない質問だと思った。撤回しようと思った時、口元を拭ったリースは普段と変わらない口調で答えた。
「わかんない。でも、痛くて怖いものってことはわかるの。教会の近くは嫌な感じがするし、神父の持ってる武器とかも、怖い感じがする」
「…なるほどな。理屈じゃなくて、感覚で理解しているのか」
「よくわからないけど、そうなの?」
「多分な。じゃあ、冷めないうちに食い切っちまおうか」
「うん!」
しばらく無言で口を動かす。あれだけあった食べ物は俺とリースの腹へ全て納まった。手の中にまとめた何枚かの包み紙は、軽く宙に浮かせて燃やした。微かに残った灰を手ではたいて落とす。
「さて、そろそろ行くか。これから、向こうで大道芸があるらしいぞ」
「うん…」
思ったより歯切れの悪い返事に首を傾げながら立ち上がり、足を進める。普段とは違う景色を眺めていれば、リースが服の裾を引っ張ってきた。
「なんだよリース」
「……」
リースは無言で裾をくいくいと引いてくる。どうしても離そうとしないので、仕方なくついて行った。リースが向かった先は、大通りに面した路地裏だった。少しためらった様子だったが、リースはその中に俺を連れ込んだ。中ほどまで進んだ所で振り返り、妙に神妙な顔つきで俺を見つめた。
「どうした、気分でも悪いのか?」
「ねぇティモ、キスして」
「は?」
さっきまで普通に飯食ってたくせに。
急に何を言い出すんだよ、この淫魔は。




