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第11話 ミリヤの店:後編

通された奥の個室は、そこそこ広い部屋だった。

飴色をした長テーブルの真ん中には、ガラスの鉢に入ったキャンドルが揺れている。甘くてまろやかな香りが立ち込めているから、おそらく香が練り込んである蝋燭なのだろう。相変わらず凝ってんな。程なくして紅茶と茶菓子の乗ったお盆を手に入室した店員は、手早くお茶と菓子の準備を済ませると、また一礼して出ていった。ミリヤは手元の紅茶を一口含み、改めて口を開いた。



「それで。手紙にあった淫魔って、その子のことかしら?」

「ああ。少し人見知りだから、手加減してやってくれ」



言わずもがな、と言いたげに首をすくめたミリヤは、右隣に座ったリースに向き直った。



「はじめましてリースちゃん。私はミリヤ。あなたと同じサキュバスよ」

「サキュバス…?」

「そうよ」



ミリヤはおもむろに服の裾をまくり上げた。背中からは黒く艶のある羽がこぼれるように広がり、細長いしっぽが蛇のようにうねりながら表れた。横髪を耳にかけるように持ち上げれば、くるりと巻いたこれも黒い角が髪の隙間からのぞき、すぐに栗色の髪の中へ隠れた。リースは口を開けて、それを見ている。



「ほんとに同族だ。全然、わからなかった…」

「これはね、場数よ場数。あらあなた、よく見たら形は大きいけれどもまだ子ども…?というより、魔力不足の期間が長かったのかしら。かわいいわね」



柔らかい声と共に腕を伸ばしたミリヤに、リースは嬉しそうに頭をなでられていた。こいつもこいつで、甘やかし方が上手い。マチェールは付添人ですよ、と言わんばかりに焼菓子を手に取り、さっそく一口大に割って美味しそうに口を動かしている。リースに目を戻せば、顔のこわばりが消えていた。警戒は解けたようだ。ミリヤは重ねるように問いかける。



「ねぇ、少し、その隷属紋を見せてもらってもいいかしら?」

「うん…」



リースは、ためらいながらもマフラーをほどいて自ら顎を上げ、喉をさらした。ミリヤは細い指でそれをなぞり、目を細めて見つめている。リースはくすぐったそうに首をすくめた。すぐに離れたミリヤは両手のひらをリースに差し出した。



「はい、次は手を握って。思い切り力を吸ってみなさい」

「…いいの?」

「いいのよ。同族だから、倒れたりはしないわ」



リースは目を閉じ、手のひらに力を込める。重ねた手の周囲に光が灯り、揺らぎ始めた。その瞬間、リースの方向へと一気にそれが吸い込まれていく。ミリヤは驚いたように肩を揺らしたが、悟られないように静かな口調でリースに声をかけた。



「はい、いいわ」

「おわり?」

「おわりよ。緊張したでしょう。お茶とお菓子、食べていてね」



その言葉に、リースの体から力が抜けた。さっそくマドレーヌへ手を伸ばし、はむはむと頬張っている。ミリヤは額をぬぐい、冷めていく紅茶の前で見守っていた俺へ体の向きを変えた。



「……なるほどね。本来なら、同族に隷属紋を付けられるなんていい気はしないんだけど。今回ばかりはお礼を言わせてほしいくらいだわ」

「どういうことだ?」

「今から説明するわ。長くなるけど、ちゃんと聞きなさい」



そう言うとミリヤはマチェールの方へ手でサインを送った。何かを察したマチェールは何気なくリースの方に体を向ける。リースの動向に気を配ってくれるようだ。ミリヤは改めて口を開いた。



「この子…リースちゃんね。多分、生まれつき精を吸い取る力が強すぎるの」

「精を吸い取る力?」

「ええ。だからおそらく、肌の接触と口を介した接触だけで相手が逃げるか倒れるかしたんじゃないかしら。ごくたまにいるのよ、こういう子」

「あー、それでぶっ倒れたおっさんを埋めようとしていたのか」



合点がいった。当のリースに目をやれば、会話を聞いていたのか、こちらを向いてきょとんとしている。



「どうしてわかるの?」

「色んな子を見てきたから。大丈夫よ、変じゃないわ」



リースはほっとしたように息を吐いて、手元の紅茶を傾けた。その隣ではマチェールが自分のカップから中身を浮き上がらせ、花や馬の形にしてみせている。さっそくリースが食いつくのを横目に、ミリヤとの会話に戻る。



「だから、ティモに囲われるまで十分な量を吸えなかったんじゃないかしら」

「吸う力が強いんじゃないのか?」

「気絶した相手からはね、吸えないのよ」



ミリヤは腕を組み直し、唇を親指で触りながら目を細めた。唇の紅色が指に移らない所を見ると、化粧ではなく自前なんだろう。



「例えるなら…そうね。『極限までお腹が空いた状態でフルコースに招待されたのに、スープと前菜だけで強制的に追い出される』ようなものかしら」

「そうなのか?」

「だからきっと、常に飢えていたはずよ。基本的にそういう子は、同族が気にかけて力を分け与えるはず。でも、この子はおそらく分けてくれた精も、無意識に相手の想定以上の量を吸っちゃってた訳ね。だから周りも、手を離さざるを得なかった」



ミリヤは同情したように目を細めた。リースはマチェールに魔術を習っているようで、手をかざしたティーカップから赤く波打つ紅茶の玉を浮かび上がらせている。背中からでも、楽しそうな気配が伝わってきた。



「それでも特性に折り合いを付けて、要領よく上手にやってる子はいる。リースちゃんには、それを教えてくれる存在がいなかったのね」

「何でもわかるんだな」

「何度も言わせないで。場数と経験よ」



しっしっと手を振ったミリヤはテーブルに片肘をつき、顎下に手を添えた。心なしか、顔色が悪い気がする。



「おい、客に対して態度悪いぞ」

「ちょっと疲れたのよ。あと少しだから勘弁してちょうだい」

「へーへー。そう言えば礼が言いたいって何のことだ?」

「あんた、精をあげる時にこの隷属紋で吸う量を上手く抑えたんでしょう。だからリースちゃんも上手く吸えたし、あんたも無事だった。付けずに手を出したら、今頃あんた干からびてるわよ。物理的に」



自分の喉元をついついとつつきながら、ミリヤは気だるそうな顔で目を細めた。憶測だが、さっきリースに吸われすぎたのが原因なのだろう。しかし、まだ疑問は残っている。悪いと思いつつ、ミリヤに質問した。



「というか、神父の精は毒なんだろ?なんでリースはピンピンしてるんだよ」

「あんた、そんな理由付けでこの子を手籠めにしたの?次やったらとっちめるわよ」

「悪かったって。で、どうしてなんだ?」

「まず、私たちは精に関して耐性があるの。というより、精を力に変換する効率がいいという方が正確かしら」



ミリヤは菓子の乗った皿へ手を伸ばし一つつまむと、そのメレンゲを舌に乗せた。数度ゆっくりと噛んで、ごくりと飲み下す。美味しそうに舌なめずりをすると、ミリヤの頬へ微かに血色が戻った。



「確かに神父の精は、私たち以外の種族にとっては浄化の力になるけれど、せいぜい調子が悪くなるくらいね。でも、私たちは精から変換できる力の方が上回ってるの。だから、差し引いてもプラスになるのよ」

「そういう訳か…」

「結果的に、あんたの下心と怠惰がリースちゃんを救ったってこと。あんたにとって、良くも悪くもね」

「……」

「というか、そんなデマが流れていたのね。後で別の噂を流しておかないと、危ないわね」



独り言のようにつぶやいていたミリヤは、ふと顔を上げて、黙り込んだ俺を見た。



「なんだ?」

「もう一つ言っておくわね。精を吸う力が強いってことは、それだけ力を受け止める器が大きいの。確かめてみた感じだと、相当強いわ、あの子」

「…どのくらいだ?」

「私がティーカップだとすると、そうね…。そこにあるピッチャーくらいかしら」



ミリヤはテーブルの端に用意されていた、氷とレモンの浮いたピッチャーを指差す。柔らかい色の照明を透かして、飴色のテーブルに微かな波紋が落ちていた。

ピッチャーを眺めつつ、ちらりとリースに目をやった。リースは目が合ったことが嬉しいのか、にこっと笑顔を返してくる。



「まぁ、魔術を扱う適性もあるから、一概には言えないわ。でもね、気を付けなさい」



ミリヤは突然俺の襟首を掴み、細腕からは想像もつかないくらいの力でぐいっと引き寄せた。ちらりと、髪の隙間から黒い角がのぞく。

影の落ちた顔の中で、蜜色の目が瞬くたびにちらちらと黄色い光を舞わせていた。思わず息を詰めると、紅色の唇がゆっくりと開く。



「人間の社会で生きていきたいなら、わたしたちが『魔のもの』ってことは忘れない方がいいわ。特に、あんたみたいな仕事の人間はね」

「それは、淫魔からの忠告か?」

「いいえ、常連に対するサービスよ」



ミリヤはふっと笑うと、パチンと音を立てて手を鳴らした。リースの手元で、蝶の形をしていた紅茶がパチャンと音を立ててカップに落ちる。



「さぁて、難しい話はおしまいね。今日はリースちゃんに、特別美味しいものを飲ませてあげるわよ!」

「美味しいもの?」

「ミルクセーキよ。牛乳と卵と、お砂糖を使った飲み物なの」

「僕、牛乳好き!たまごの蒸しパンも好きなの!」

「そうよね。牛乳も卵も、精と命の味がしてとっても美味しいものね。じゃあ、さっそく作ってきちゃうわ!」



ミリヤの背中を見送りながら無邪気に笑うリースの横顔はいつも通りで、俺は紅茶のカップを手に取って半分を流し込んだ。隣のマチェールはどーすんの?とでも言いたげな顔で焼菓子を食んでいる。




どいつもこいつもうるせぇな。わかってんだよ。少しは考えさせろ。

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