第1話 出会い
『悪魔に近付くな。魅入られて破滅するぞ』
かつて司教から耳にタコができるほど聞かされた警告を、ふと思い出す。
足元で、灼熱を湛えた炎がパチパチと爆ぜている。前方には聖典を読み上げる司教と元同僚たち。その向こうには、侮蔑と嫌悪と愉悦の視線を惜しげもなく向けてくる民衆たち。
典型的な火炙りの光景だ。まさか焼かれる側から見ることになるとは思わなかったが。
ため息を吐きながら見上げた空には、抜けるほどの晴天を背に一匹の悪魔が浮かんでいた。足を組み、優雅に腰かけるような姿勢で、唇の両端をきゅっと吊り上げて笑っている。
むっちりとした肉感的な体を見せつけるように小首を傾げ、うっすらと光る緑の目を細めて、それはじっとこちらを見下ろしていた。
そんな姿すらもどこか可愛らしく見えてしまうものだから、思わずふっと吐息混じりの笑いがこぼれた。
やっぱりお前は、悪魔だったんだ。思えばあの夜から、俺は魅入られていたのかもな。
***
ざく、ざく、と土を掘り返す音が響く。
穴の中へ横たえられた身体の、顔や胸へ土がかけられていく。湿った土の香りへ、啜り泣きの音が微かに混じる。
その光景から目を離さないよう、暗い林の中を足音を消して真っ直ぐに進む。スコップを握る手が緩んだ瞬間を見逃さず、俺はそいつの手首を掴み、地面へと組み伏せた。
「何やってるの。そこ、うちの敷地なんだけど」
「ひいっ!」
人んちの敷地内へ勝手に死体を埋めていた不届き者は、土に頬を付けたまま短く悲鳴を上げた。捻った手首を押さえつけるように力を込めながら、そいつを見下ろす。やせ細った、少年に近そうな青年だ。やたら布面積の狭いぼろを纏っているから、月明かりの下でもあばらが数えられる。掴んだ手首も骨の形がわかるほどに細い。中でも1番に目を引くのは、腰に生えた一対の羽と、布地からはみ出す黒い尻尾だ。いかにも悪魔らしい付属器を持ったそいつはねじ伏せられたままぶるぶると体を震わせていた。あれ、おかしいな。結界壊れてたっけ。明日確認しないとな。
「まぁいいや。で、なんで死体なんか埋めてたの?」
「こ、こんなつもりはなかったの。この人に襲われたら、とってもお腹が空いて、精を吸うのが止まらなくなって、気付いたら動かなくなってて…」
見た目よりずいぶんと幼い言葉づかいの青年、もとい悪魔は手首を掴まれたまま、おっかなびっくりと隣にある体に目を向けた。身なりと顔からして、50手前のおっさんってとこか。安酒の匂いが微かにするから、悪魔の言う通り、おっさんから絡んだんだろうな。というかこいつ、ただの悪魔じゃないようだ。
「精を吸ったか。じゃあお前、淫魔なの?」
「はい…」
「はは、正直。そんなこと、神父の前で言うもんじゃないよ」
「神、父…!」
俺の言葉に、淫魔はひく、と喉を引きつらせた。神父が自分に何をもたらすか、よく理解しているようだ。いい反応するじゃん。
しかし、精の吸いすぎで人を殺す淫魔か。大人しそうだけれども、さすがに即退治しないといけない個体かな…。
ちらりと死体に目を移せば、その胸は微かに上下していた。慌てて口元と胸の土を払い、片手で脈を確認する。指先に、とくんとくんと静かな拍動を感じた。
「おい、こいつ死んでないじゃん。このまま埋めたら死ぬぞ」
淫魔は一瞬きょとんとした顔をしたあと、安堵に表情を緩めた。ぱっちりとした緑の目に、すっと通った鼻筋、柔らかそうな唇。月の光を白く照り返す滑らかなミルク色の肌に、指通りの良さそうな亜麻色のくせっ毛。さっきまではよく見ていなかったが、なるほど、淫魔だというのも納得できる顔立ちだ。ただ祓うには、何とも惜しい。ああそうだ、この前聞きかじったあれを試してみようか。
「んー、どうしようかね。祓うにしても、仕事外で聖水使うのも勿体ないし」
聖水、作るの面倒なんだよな。わざとらしく言い添えれば、悪魔はとうとう泣き出した。それはもう、哀れに。
小さいし細いし雄だが、顔は好みだ。従順そうだしな。とりあえず息子をちらりと確認して、目線を戻した。こいつなら、いける。組み伏せたまま見下ろした淫魔は、沙汰を待つようにこちらをじっと見つめている。
「お前、精に飢えてるらしいな。…神父の精って、お前たちの身体には毒だけどめちゃくちゃ旨いらしいよ」
「…え?」
「腹いっぱい俺の精食って死ぬか、今ここで祓われるか。どっちがいい?」
淫魔は目にたっぷりと涙をたたえたまま、ごくりと唾を飲み込んだ。交渉成立だな。これも悪魔祓いの一環ってことで、聖典に言い訳をしよう。おっさん?ほっとけば、勝手に帰るだろ。




