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この国の女性は、よほど虚弱ではない限り臨月までは茶会やら何やらに行かねばならないらしい。
最近はずっとゆっくりしていたので退屈だったし、臨月まで動くということに抵抗も何もなかったので、おそらく記憶のある状態の私でもそれほどおかしなことではないのだろう。
侍女長からこの国のマナーを一通り学んで、狩猟大会のお茶会というものに備える。
「エル様、大丈夫そうですか? 所作は基本的にはできていらっしゃいます。口調は……まぁ……」
「とりあえず、何か困ったら妊娠による体調不良を盾にしておけばいいのだな」
自信満々に頷いたのだが、侍女長は困ったように笑うだけで頷いてくれない。
「令嬢や夫人たちばかりのお茶会です。王家主催の行事なのですが、あの王女殿下の息がかかっていたら席がなかったり、苦いお茶を体にいいと言って飲まされたり、嫌味を言われたりするくらいだと思います」
「魔術を使ったり、殴ったり蹴ったりということはないのか?」
「魔術を使える方は珍しいですし、テーブルの下で足を踏むとか、足を引っかけるくらいのものですがエル様は妊娠中ですので足を引っかけられて転倒したら大変です」
「足を引っかけられたら手を出してもいいのか?」
「手も足も出さないのが普通なのですが……」
「しかし、やられたらやり返さねば」
「そのくらいの意気で行かねばいけないのかもしれませんが……私は推奨しません」
「難しいな、この国の貴族・王族というものは」
「エル様のそのお考えは、どのような環境でお過ごしになられたものなのでしょうかね……」
マナーはよく分からないが、暴力は良くないらしいということは分かった。
勝てばいいお茶会ではないらしい。
私の知るお茶会はテーブルの上で腕相撲や乱闘が始まるものなのだが。ん? あれは酒宴だったか?
雨が降れば狩猟大会は延期だったそうだが、当日はよく晴れたいい天気だった。
茶会にはいつもの服では行ってはいけないらしく、公爵がいつの間にか用意していたドレスに着替えさせられる。妊婦だから締め付けが強くない動きやすいものだ。
胸元までは銀が微かに輝き、そこから下は夕陽色がグラデーションで足元にいくほど濃くなっている。
触り心地のいい生地に満足して先に馬車に乗って待っていると、公爵が遅れてやって来た。
彼は私と同じ馬車に乗り込もうとして、動きを止める。
「どうした?」
「……いや、あまりに普段と違うから驚いただけだ」
公爵は私から視線を逸らしつつ、向かいに座る。
「着ているものが変わっただけだが……なんだ、それ以外に褒めることはないのか。公爵が私のために選んだと侍女たちから聞いているぞ? 自分の審美眼に自信がないのか? もっと褒めよ。普段と違うではなく、よく似合っているとか、天界の神々も嫉妬するだろうとか、私が誰かにさらわれないか心配だとか、王族に見初められそうだとか」
「なぜ、そんなに自信満々なんだ……」
「そなたが私に似合うはずと用意したのだろう? 男がこれぞと用意したものを自信満々に着こなすことこそ女のプライドだ」
「じゃあ、褒め言葉もいらないじゃないか……」
「いや、要る。我々はこれから戦場に行くのだ。公爵も私も自信を高めなければいけない」
「いや、戦場ではないし暴力はやめてくれ。私が嘘をついてしまったのが発端だが、暴力と魔術行使以外なら何でも大丈夫だ。それ以外なら何とかする。一応、今日だって王太子殿下に話は通してあるからそこまでのことはないはずだ」
公爵は頑なに私を見ずに窓の外ばかり見ている。まるで窓と会話しているかのようだ。
私は身を乗り出して公爵の両頬をつかむ。
「なっ、この体勢は危ない」
公爵が慌てたように私を座席の元の位置に戻すと、ガタンと馬車が揺れて彼は私の隣に勢いで座った。
「妊婦に無理をさせているのは分かっているが、こういう危ないことはやめてくれ」
やっと目が合った公爵はすぐに私から目を逸らそうとする。
「それで、今日の私はどうなのだ。美しいのか?」
侍女たちは散々言葉と語彙を尽くして褒めてくれたというのに、屋敷の長がこれでは先が思いやられる。
やや乱暴に顎を掴んでこちらを向かせると、しばらく無言だった公爵は諦めたように私に視線を合わせた。
こうしてみると、本当に綺麗な男だ。銀色の髪に翡翠色の目。
うっかり彼の髪の毛に手を伸ばしそうになり、綺麗に一つに結ばれていたので乱れてしまうとやめる。
公爵は私の手の動きを追っていたようだったが、手を引っ込めようとしたらその手を掴んできた。
「あなたはいつも美しい、エルフリーデ」
なぜだろう、とても懐かしい言葉だった。
誰かにこんな褒め言葉を言われたことがある。心臓を柔らかく撫でられたような優しい感覚。
「あ……すまない。その、あなたの態度はまるでどこかの国の王族のようだから、エルでは平民のようでおかしいと思ってエルフリーデという名前にしてある」
公爵はすぐに我に返ったように私の手を放した。彼の体温が瞬く間に逃げていく。
「それに、公爵と呼ぶと他人行儀に聞こえる。今日のあなたは私とはその、まぁ、夫婦のような関係だから。私に呼びかける時は──」
公爵は顔を逸らしたまま、やや早口でまくしたてる。
公爵の名前は何だったか、ロシュフォール公爵だろう? 名前確か──フィニアス。
「フィニー?」
そう呼び掛けると、公爵はとても嬉しそうな表情をしたがすぐに真顔に戻る。
「……そういうことにしよう」
もう少しで何か掴めそうだった。
公爵は向かいの席に戻らず、私の隣に座ったままだ。
相変わらず顔をこちらに向けようとしない公爵の手に自分の手を重ねようとして、また腹がグネグネする感覚があった。
この腹の子の父親は一体誰なのか。
今日は演技をするとはいえ、彼にこんなことをするのは良くない。
それでも、香りは懐かしい。そして彼の温度と言葉も。なぜ? なぜこんなに懐かしくて心臓を撫でられたような感覚がある? でも、それと同時に思い出すのが恐ろしいような感覚もある。
一瞬そう考えて迷ったものの、先ほどの感覚の正体を知りたくて公爵の小指に自分の小指を絡めた。
彼は驚いたらしく肩が跳ねたものの、振り払うことはなかった。
小指は到着するまでそのままだった。




