こいのぼりを見上げて
皆様こんにちはこんばんは、遊月奈喩多と申すものでございます! 少しだけ過ぎてしまいましたが、こどもの日記念ということで、子どもが主人公の短編を書かせていただきました!
やはり子どもには健やかに育ってほしいですよね。なんというか、安心しきったような寝顔を見ると『ずっとそのままでいてね』と願いたくなってしまいます。
ということで、本編スタートです!
五月晴れという言葉がこれ以上ないほどに相応しい快晴の下、宇佐美兎夢はクラス委員長である稲葉白雪宅の敷地に立っていた。
初夏というには暑く、かといって夏というにはまだ涼しい中途半端な季節。汗ばんだ肌を冷ますように風がそよぎ、兎夢は少し身体を震わせる。それでも、兎夢は稲葉家の軒先で立ち尽くしていた。
稲葉白雪とは、決して仲がよかったわけではない。
不良生徒とはいかないまでも決して真面目ともいえない授業、生活態度をしていた兎夢にやたらと声をかけてきて、何かとその態度を改めるようにと注意してくるところなど、兎夢にはうざったくて堪らなかった。
『うさちゃん昔はそんなんじゃなかったのに!』
フィクションのように腰に両手を当てながらそう兎夢を叱る白雪にうるせえ、と返さずにいるのは昔のよしみだろうか。それは兎夢自身にもわからないことだった。
兎夢の名前はもちろん「とむ」だが、兎の漢字が使われているために「うさちゃん」と呼ばれていた。その呼び名に異論がないわけではなかったが、幼い頃から呼ばれ続けているせいで兎夢自身も正直慣れてはいた。
しかし、兎夢ももう中学生だ。彼にも自尊心や体裁というものがある。小学校からの古馴染みならまだ微笑ましく見守ってくるだけだが、中学校になると兎夢たちを知らない他校の者も少なくない。「うさちゃん」と呼ばれるところなんて見られたら、何も知らない連中から無礼られてしまう。
そんな白雪を鬱陶しく思っていたのだが、彼女の両親が離婚したというのを人伝に聞いたのと近い時期から、彼女を学校で見ることはなくなってしまった。借金を抱えているだのおかしな宗教にハマっているだの、好奇心だけで形成されたような噂話ばかりが流布されるものの、誰ひとりとして白雪の身に起きていることを確かめに行くことなどしなかったし、それはごく当然のことだった。
兎夢たちが暮らしているのは、田舎と呼ぶほどではないが都市部に比べたら著しく娯楽の乏しい地域である。せっかくの噂話をわざわざ暴き立てて摘み取ってしまうのはあまりに無粋だと考える者がいても、不思議ではなかった。
だが、そんなやつらが作り出す不可侵の空気に、兎夢もいい加減うんざりしていた。何かあったのかと心配する言葉を口にした同級生はさんざん嘲笑された挙げ句に登校拒否になるくらいにまで責められた。揶揄われ、嘲られ、人格を貶めるような画像まで捏造されて、ばら蒔かれて。
狭い世界で過ごす同級生たちにとって、団結するためには共通して貶める相手が必要だということだろう。たとえ望まないとしても、そんな本心を口に出せば忽ち異物として排斥されることになる。兎夢自身はそうした潮流に加担するのをよしとした覚えもないが、止めようとした覚えもない。
白雪のように潔癖で幼い正義感を振りかざしてばかりいては、この狭い世界では生きてはいけない。そんなことは60分経てば1時間経つのと同じくらい当たり前のことだった。
公明正大、清廉潔白、正直一直。
白雪を表す言葉があるとすればそんなところだろう。ともすれば四角四面にさえも思える彼女の気質は疎まれつつも、小柄で歳の割には発育のよくない体つきをしていることもあって女子からはある種のマスコットのように扱われているようだった。少なくとも、兎夢にはそう見えていたのだが。
『しろちゃんいないと空気軽いわ』
『見てて面白いけど、いないに越したことないってか』
『それな。来るのたまにでいいよね』
『えー、掃除とか押し付けらんないじゃん』
『あれで内申狙いじゃなさげなのヤバくない?』
そう話していたのは、普段白雪と仲良く話している女子たちだった。そのなんとも楽しそうな会話が、兎夢には無性に不快だった。
白雪のことを特別案じていたわけでもないし、そんな兎夢が憤慨するような義理もなかったはずだが、思わず前の席の椅子を蹴飛ばしてしまう程度には不快だった。
その日から、兎夢は何度か白雪にスマホで連絡を取ろうと試みていた。しかし、いつもは向こうからしつこいくらいに鳴らされるはずのスマホは、いつまで経っても応答することはなかった。そしてその間、白雪が学校に来ることもなかった。
何の音沙汰もなく、周囲が白雪の噂話にも飽き始めた頃──今日。
新緑に色づいた葉桜が真昼の日差しを浴びて、季節の移り変わりを感じさせる並木道。鋭い木漏れ日に目を細めながら舗装された道を歩いて稲葉家へと向かうなか、兎夢の胸中には不安と共に、退屈な日常が少しだけ変わったことに対する高揚じみた感情も確かにあった。
昔は休みになるたびに近所に虫取りに出かけたり、公園の中にある築山を冒険気分でうろついたりしたものだった──などと背伸びした感慨に耽りつつ、長いようで短い、勝手知ったる道のりを辿って到着した稲葉邸。兎夢たちの町ではさほど珍しくもないものの何となく古めかしさをおぼえる木造の平屋から聞こえてきたのは、知っているはずなのに知らない声だった。
やだ、やだっ! お母さん助けて、この人とめて!
壁の向こうから漏れ聞こえてくる、普段聞くことのない金切り声。ドタバタと暴れる──どうやら何かから逃げているらしい音。そんな音や声に答えたのは、乾いた打音。聞いた兎夢は、母のへそくりを勝手に使ったことがバレて頬を張られたことを思い出し、つい自分の頬を押さえてしまった。
『バカなことを言うんじゃないの! ダイソウジョウ様の御子を宿すだなんて、素晴らしい名誉なの! なんでわかってくれないの!?』
またしても、知っているはずなのに知らない声。
兎夢の記憶にある、似た声を持つ人物──白雪の母親は、こんな風に子どもの頬を張るような人物ではなかった。ましてや、聞き間違いを疑いたくなるような言葉と共に。
「子どもを、宿す……?」
兎夢の脳裏には、娯楽の少なさを言い訳に所構わず女漁りをしていた学校の卒業生の姿が蘇る。結局そういった方面のトラブルで高校を中退し、中学時代に流した浮き名はどこへやら、今はどこで何をしているのか誰も知らないという有り様だ。
ふと思い出した兎夢は、再び現実に意識を戻す。目の前の家から聞こえてくるのは、まるで泣き叫んで逃げている白雪に、ダイソウジョウとかいう人物の子どもを産ませようとしている会話のようだった。
『やだっ、やだっ、こっち来ないでぇぇーー!』
重いものが倒れるような音、陶器が割れるような音、廊下を駆け回るような音が、けたたましく外まで響いている。現実のこととは思えぬ物音にすっかり怖じ気づいた兎夢は、ただ稲葉邸を見ていることしかできず。年季の入った磨りガラスの引き戸がガタガタと音を鳴らして開け放たれたのは、そんなときだった。
引き戸から出てきたのは、薄手のシャツを破かれて色白の肌を露出させたまま怯えた顔をしている白雪と、そのすぐ後ろにまで迫った、全裸の大柄な男の姿だった。今にも捕まえられそうな白雪の姿は、普段は一本に纏められた髪が解けていることや、やや丈の長いシャツの他には何も身に付けていないのか付け根まで露になっているやや肉付きのよい脚、そして必死に逃げているためか汗に濡れたシャツにぴったりと張り付いた、幼い頃よりもややふくよかになった年頃の娘らしいボディラインも相まって、まだ女の身体を知らない兎夢にはあまりに刺激的で、蠱惑的にさえ見えた。
一方で白雪の方も、予想外の来客の存在に動揺したのだろう、まるで魑魅魍魎の類いと遭遇したかのような形相で兎夢を見て、必死に逃げていたその身体が一瞬だけ硬直した。そしてその一瞬こそが、彼女にとって命取りとなった。
ぬらりと伸ばされた腕が、白雪の肩を掴む。
怯えた顔の白雪が、屋内に引きずり込まれる。
「うさちゃ、」
兎夢を呼ぶ白雪の声は、ピシャリと閉められた引き戸の音に容易く遮られた。バットのひとつでもあれば破れてしまいそうな薄いガラス戸は、かつて東西に分断された国にあった高い壁よりも分厚く、越えがたいものに思えた。
だが、声が聞こえる。
うさちゃん!
うさちゃん!
助けてうさちゃん!
うさちゃん!
うさちゃん!
助けてうさちゃん!
繰り返される声が、先程も聞こえた打音によって止められて。必死に何かを喚く声が、玄関口から遠ざかっていくのがわかった。兎夢はぴたりと貼り付けられたようにその場から動けず、ただ中から聞こえてくる声に聞き耳を立てるばかりだった。
屋内の悲痛な叫び声はやがて嗄れ、山間の閑静な風景のなかでは、時折遠くから聞こえる鳥の鳴き声とそう変わらない。その下で何が起ころうと変わらず青いままの五月晴れは恨めしいほど麗らかで、白日の下に広がっている長閑な景色は小さな家のなかで起きている出来事など知らぬ存ぜぬといった具合。
兎夢には、助けに入ることも逃げることもできず、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。脂汗が流れ、喉が痛いくらいに乾き、胸の中に熱した鉄の錘がぶら下がったような感覚に襲われた。激しい眩暈がして、頭のなかが沸騰して。前後不覚になった兎夢の頬を、涼しく爽やかな薫風が撫でた。
「あ…………」
風に拐われた視界の先には、昼過ぎの麗らかな空を優雅に泳ぐ鯉のぼり。そういえば、白雪がこれを買ったのは自分も一緒に遊びに行ったときではないか。
あのとき、眩しいくらいの笑顔と共に白雪が自分に向けた言葉を、兎夢にはもう思い出せない。その思い出ごと今の今まで忘れていたのだ、それも仕方ないことだったが、兎夢にはそれが何だかとても不義理なことのように感じられ、視界が青く滲むのがわかった。
五月晴れの空はどこまでもただ青く、閑静な山間の時間は、今日も黙したまま流れていくのみだった。
前書きに引き続き、遊月です。
こどもの日、皆様はどう過ごされましたか? 作者はゴールデンウィークだからかいろいろなVTuberの方が長時間の歌枠を開いていたり往年の名作RPGの初見配信などされているのを夜更かししてリアルタイム視聴したり、自宅の車が未だにスタッドレスタイヤだったので交換したりと、とても1日のことを話しているとは思えないくらい満喫いたしました。やはり有休、有休は全てを解決する……!
今年度分は大事に使いたいものです。
閑話休題。
今回のお話は、久しぶりに作者の煩悩が爆発したお話でした。こう、少しだけ全年齢ではなさそうなシチュエーションの話を全年齢対象の範囲に収まった描写で書くからこそ楽しいときってありますものね。
誤解を招きそうなので釈明をしますが、チキンレースをしようとかいう話ではないのです。なんと言いますか、こう……なんでしょうね。あからさまに、そして詳らかに描写される種類のビデオよりも、あくまで『そういう目的ではない』という建前で撮影されているビデオの中に時々混ざり込む刺激的な描写の方がドキドキするという……なんでしょうね。落差というのでしょうか、ね?(理解してほしそうに読者様を見つめている!)
ということで、また別のお話でお会いしましょう!
ではでは!
P.S.
車のタイヤ交換をしてからというもの、作者の鼻がドッタンバッタン大騒ぎ状態になっております。皆様は、花粉の……その、大丈夫ですか?