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ノストイ叙事詩環 − Nóstoi −  作者: NEXT
第一章『火の戦士』
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第一節『異端』



…あまねく生命とは、やがて空へと還る。


かつて群より逸れ、分かたれた者がいた。

英雄とは、自らの運命の力によって切り拓くもの。民には混じれず、しかして民にその存在を認められるもの。一つの運命は一つの色を持ち、それが自らの色となって物語が定まる。


それが生命の選択を尊ぶものであれ、死の因果の超克を悲願とするものであれ、そして何れも選べなかったものであれ、我思う故にあるとして魂を叫ぶ。


故に色彩よ。お前は三つの者の跡を辿るだろう。

『最初の異端』と呼ばれた伝承の英雄達、そしてその者らを辿った先、お前はきっと選ぶのだろう。


────運命を殺す、と。





降る星が南の大陸を滅ぼすこと、幾百年と経つ。南の沈没は英華を極めた帝国の滅亡をも含んだが、いつかその後継を争う戦あり。渦中には、多くの豪族が皇帝に連なる者となるを目指さんとし、やがて現在の王国の主───"心臓の王"アントスの祖先にあたる者が、皇帝の剣と花の紋様を継いだ。


丁度この同時代のあたり、南を滅ぼした降る星のバルバロイ、その連星が北の氷海に向けて降り注がんとした。打ち砕く者が、後に『最初の異端』と呼ばれる者らのうち、最強の異端と謳われた伝承に繋がる。


その者、降る星を砕き、火の柱にて先見に拓かん。



─────

────────



雑木林を掻き分けて進む影が二つ。一つ、全身に煤け傷だらけの甲冑を纏う戦士の男。二つ、赤髪の結ばれた長髪を揺らし戦士の一歩先を歩む女。何方も外套を纏いながら、この中つ国の冷たい朝の空気を遮り、霜から溶けた朝露の草木を通り過ぎてゆく。


赤髪の娘の鼻が僅かに照っているのはその寒さによるもの、木々の間から差し込む陽の光が僅かでもそれを解しただろうか。歩みの中で彼女は胸元を抑え、奥底で不穏に高まる鼓動を鎮めようとするが、かえってその心音は彼女の感覚の中に確かとなっていった。


甲冑戦士がその様子を見て、赤髪の娘に追いつき、背の上を擦りながら隣を歩く。



「…久方ぶりの大戦おおいくさか」



戦士は兜の下からでもはっきりとした声で、娘の気持ちを和らげる為を兼ねて話を始める。この大戦、中つ国───中央大陸の覇権を握るアルケー王国とその連合軍が盾として立ちはだかり、そのかたきとして迫りくるが───北方大陸から生存を求めて戦い続ける北の氏族の軍勢。これまでの史において、北方氏族らが結束してまで南下を始めることなど無かったことだ。


であれば、これは明らかな歴史の節目であった。北は生きる為に戦を始め、そして中つ国は己が文明文化の守護の為に迎え撃つと。冷たい北風がかの領土の民をそれほどまでに追い込むとは、北の民が奉る大自然は決して彼ら北の民の後ろ盾などではないということが分かる。



「…ここの人々は皆、教区より南に下りました。ええ、私がそうさせました。北の戦士とアルケーの兵の戦いが増えていくにつれて、明らかに多くの集落がその為の糧となり、ともすれば略奪の地にも選ばれていたでしょう」



娘の声は静かだったが、より沈むような暗さだった。彼女は芯の強さによって、単に泣くことも叫ぶことも出来ず、沈黙の訴えを人に送るだけであった。久しくこの地を訪れていなかった戦士にとってその姿は痛ましくも気高く、それだけに口出しも出来ずにあった。


アルケーの王には二度の訴えを行った。かの心臓の王、また約束の王とも謳われる戦士の王には。だがその二度と、集落を代表する彼女の声は心の底までは届かなかったという。数年間の小競り合いの後、こうして決戦なる大きな衝突を止めることは出来なかった。


林を抜けた先、二人が崖から遠く臨む先にそれが見える。中つ国の軍勢が規律のとられた大陣形を組み、北方氏族の拠に向かって行進を始めている。数多くの荷車を連れ、馬をゆっくりと前進させ、また多くの兵士が遠目にも闘気を押し放っている姿が表れる。


二人は崖の上で昇る朝日も見ながら立ち尽くしていた。



「王はなんと?」


「頑なでした。双方は共に退くことを知らない」



戦士は長く深いため息をついた。アルケーの王はこれほどまでに顧みぬ者だったのかと。せめてこの地でなければ、せめてもう少し西の方角で起こっていてくれたなら、この悲劇は起こる筈も無かったのに。


戦士が黙する隣、娘は遂に声を震わせて彼に向かった。その時こそ、逆鱗に触れられた兆しそのもの。



「私は……どうすれば……!」



涙は朝露のように頬を伝っていた。彼女は決して膝折れることなく、しかし表情は堪えていた仏頂面から変わり、浅くはない眉間の皺でその悔しさを洩らした。彼女を懐に抱きとめる戦士にとって、その事実が何よりも、憤怒の焔を湧き上がらせるに十分だったのだ。


娘を抱く戦士の中で───がつんと、鋼の音が鳴った。




─────

────────



夕暮れとなり、ここから大戦が執り行われる。なだらかな中央高原における数多の丘の上にはざっと、大盾を携えたアルケー伝統の重装歩兵が立ち並ぶ。そして丘の先に見えるのは、中つ国と北方を隔てるトイコス山脈を背とし、アルケーの連合軍より数で劣る北方戦士の軍勢。それは乱れた列にて、丘の上の軍に向かって睨みを返していた。


双方、騎兵は無し。数と兵装で勝るアルケーにとってはこの広大な高原であっても、個の戦力が群を抜く北の戦士には不釣り合いであると見られる。一方で、北の戦士も馬は持たぬ。これは山脈を越えるにあたって、渓谷を船で下り侵入する彼らに馬を持ち込む余裕は無いし、峻厳とした北の大地では馬を活用しにくいが故、また北の戦士らに騎馬戦の術は過ぎる話だった。


一報だ。中央の連合軍の間から旗を携えた伝令の馬が駆け抜け、北の軍勢と自軍の距離、その丁度半ばにまで走ってゆく。この儀礼については北には無い、実に中央特有の形式的な勧告にあった。



「───宣告致す────!」



声高く、張り詰める空気の中にて靡くは剣を飾った花弁の戦旗。あれこそは前帝国の後継たるアルケー王国の紋、赤きプリメラを彷彿とさせる情熱パトス。何よりも血の熱さがそこに在り、"源の聖教"が掲げる自律と躍動の信条が宿っている。剣はいにしえに十字の形象として、中つ国の戦士の誓いとなったという。


もはや、降る星にも民は奪わせはしないのだと。



「北方王、ガンドル王よ!貴君らの武勲はこれまでの戦にて既に承知の上!故に今一度、ここに問う!!」



危うげな夕陽を天上にて、圧し追わんとする声明は高原の只中、アルケーと北方の陣との切目にて発せられる。これは最後通達、駿とした優馬に跨る一人の伝令がダイモーンの霊山の噴火もかくやという声を戦場一帯に響かす。この一手が確かに人命を左右とする火蓋に他ならぬ。アルケーを中心とした多くの諸国から成る軍勢、実に五万の兵。北方はその半分にも満たず、だが一向に退く気なども無い。


鼻息荒ぶり猛る戦士の軍勢が今か今かと待ち望む中から、戦士を押しのけて現るのが数多の氏族を束ねるガンドルの氏族長、"北方王"。彼は熊皮を纏い、象牙の長髪を輝かす筋骨隆々の戦士。その大柄な体躯は肩を揺らして前へ前へ─────



「其方、五千の兵なれば如何に勇ましきとて、多勢に無勢の様は見てとれる筈!!解せん程に愚かにはあるまい!!我々は共に、多くを失うで──がっ」



鈍い音。伝令が身につけていた兜すら貫き、縦から割るようにして投じられた手斧の影。血飛沫を散らし、落馬しきりもせず宙吊りになった兵の顔面にはなんとも鋭利な手斧が生えていた。高原から始終を見下ろしていたアルケーの王、"心臓の王"はその瞬間に遥か遠方の"北方王"と、共に燃える様な双眸を交わしたろう。


どくん、どくん。鼓動の響く僅か数秒、止まる時の中では、どちらか一方の眼が草の中に落ちる戦旗を見つめていた。





「────"心臓"を潰せェ──ッッ!!」




…その一言で、両軍が爆発した。

もっとも大きく足を前にしたのは、手ずから火蓋を落とした侵略者の王の一踏。一歩のみ遅れて踏み出すのは北方の薄汚れた戦士達、だが不思議と足並み揃わずとも、猛進の勢いだけはまるで大きな獣が駆け出したかの如き気迫を放つ。


怒号にも似た咆哮に一寸遅れての角笛の鳴り響き。その霊の音色によって北方の軍は更に昂る。強靭な脚で駆け始め、高原に広がる両軍の間隔は凄まじい勢いで狭まること、まるで大海原の津波だ。アルケーによる矢の雨を掻い潜り、あるいは受けて尚走り続ける勇猛さはここに比類する者無し。一度燃え上がれば野獣も顔負けの荒々しさを全面に曝ける。


無論、アルケーも勇猛な闘士の末裔よ。例えようものなら彼らの祖先は、三百の闘士で幾万の軍を堰き止める不撓不屈であったという。この名残りを鉄壁の大盾に垣間見せ、横並びの陣は城壁さながらの堅牢を誇るものだ。槍衾、僅かながらの隙間から刺し穿つ槍が戦士を屠る。



次ぐ戦場の転機は北方狩人よりの数多の矢。指揮者は北方王の左腕なる女。数そのものはアルケーに劣ろうと精密なる射撃は最前の大盾兵を崩して特攻する戦士らへの援助とせん。何しろそれは尋常の矢では有り得なかった。



「あれが件の"霊矢"…!理力を逸らす霊蝋をここまで惜しみなく使うとは、思い切りがよいことだ…!」


「仰る通りでごさいます…!我々では直に無効化は出来ませぬ…!!」



的確に将を狙い撃つ矢を皇帝の大剣にて弾き、アルケーの王は呟く。…霊矢とは霊術に長ける北方の戦士らが得手とするもの、鋼の矢攻めを防ぐアルケー有数の魔術騎士もこれには対処の不可を確信する。第一線の瓦解の決定打となるのは霊矢の猛攻に飽き足らず、数で劣ろうとしていた北方軍への援軍…否、敢えてこの機を狙うべく省かれていた総数三分の一ほどの別働隊が側面を叩こうと現れたのだ。



「北東森林部より遊撃隊!!」



一気に駆ける遊撃隊の指揮者を北方王の右腕、六尺六寸に差し迫る巨躯の、黒灰の狼の獣人が走り出し、馬を駆る大勢を引き連れる。あれは北の山々の馬ではなく、ここいらで奪われた中つ国の馬だったか。役者が遅れて揃うこと一万ほどの軍勢、戦況の次第ではようやく勝機が見える事もあるかも知れぬ。アルケーが約五倍の兵力となれども、一人が五人撃ち殺せば済む話。


さあ本命、多くの戦士の死は己が王の征服道を開けんが為。全てが一体となって北の王を活かす、生かす、そして王もまた、その為に顧みる事は無く鉄塊の如き大斧で兵を薙ぎ倒しては蹴散らす。命を燃やして、包囲すら突破し、仇敵どもを腹から横に真っ二つ────甲冑ごと頭蓋を叩き潰し、魂の底からの咆哮を胸から突いて出す。



「アントォォォス!!」


「正面から北方王!!突破を試みようとしております!」


「拓け!!余が討つ!!」



突貫道中。"心臓の王"が身の丈ほどの大剣を地より抜きだし、腰低く正眼に構えて迫る北方王を見据える。すぐだ、すぐにも蛮勇の戦王が、目と鼻の先から心臓の王の剣先にぶつかる。大熊のように兵を千切っては投げ、餓狼のように大地を蹴って踏みしだいて────跳躍、アルケーの王の脳天目掛けて刃を振りかざす。だがそれは強かなる心臓には牽制にしかならずに、互いに着く刃越しにて言の葉を交わす。



「よくぞ参った…!北の王!!」


「決着だ…!!その大将首、吹き飛ばしてやる!!」



厚い大剣と大斧の競り合い。圧し合いは全くの互角。得物を引き返し、一方が一方へ斬り結べば何方も刃で受けて返す剣戟の嵐。入り乱れる軍勢の中でも尚、その場だけは両軍の兵どもが揃ってこの戦いを見て留めるばかり、両雄の刃は流閃の激流と言い表す。


何方ともが霊の得物を振るう為に傷つき、尚もまだまだと向き合って、大きな一撃の下に激しい金属音を奏でるのである。次代に語られて然るべき者はその両者だ。


一刃に次ぐ一刃が忙しい連撃の音を鳴り響かせ、互いが浮かべる笑みを裏付けるであろう。戦に飢えた両雄は好敵手と呼べる相対せし王へ敬服と、更なる闘争心を抱き、一手先を取り合う。そうしていれば何れ決着は着いた。…何者かが割って入るまで、優れたる双刃の何方も防ぎ受けるまでは。


────空の鳥が哭く。




「誰だ…!てめェ……ッ!!」


「貴公は!邪魔立てするか!?」



間にて両雄の刃を受け切ったのは何処の甲冑戦士であった。いつの間にそこに居たのか?如何なる法で疾風の如きに入り込めたのか?その場に居た誰もが分かろう筈も無かった。



「……双方…兵を退かせろ…!俺が眼を張る内はこの先何人も侵犯者は許すまい…!」



大剣を受けるが剣、大斧を受けるが剣。何方もこの混沌の戦場に転がっていたものだ。恐ろしい事に、ただの剣のみで至上の王の二つを止める。その戦士の眼には業火の光が覗く。臆した訳には非ず、アルケーの王はいち早く戦士の意志を汲み取り、剣を引く。対する北方王は異なった。押し問答は未だに続く。



「……!」


「抜かせッ!!」



即座に北方の王に向き直る戦士から一度斧を引くなり、再びの猛攻が始まる、だがその光景は先の王戦とは比にならない。あの大剣よりも遥かに小さな直剣で、易易と凌がれる北の王の様はまるで弄ばれているかの様にも感じる。


実際のところ、斧を三振り程度許したのみで状況はあっさりとすげ変わった────四振り目の斧、受ける一方だった剣を下方から打ち上げたのみで鉄塊の如き大斧の軌道をあらぬ方向へいなし、この小手先を受けた北の王は体勢を僅かとは言い難いほどに崩してしまう。


その暇だけで十二分である。戦士は北方が得手とする筈の霊術…霊術の『幻霊』を己が身から弾き出す────ただ一度以上に二度、三度と戦士の似姿の『幻霊』を以てして、瞬きも出来ぬ間に最後の剣の一撃を併せ、実に四度の絶技を繰り出したのだ。どれ程の体躯であっても、北方王はそれだけで大きく吹き飛ばされ、息も絶え絶えに膝をついて戦士を睨みつける。



「二度は言わん!!これ以上に"諍い"を納めぬのであれば諸共、灰に還す!!」



その忠告も無為に。血反吐を吐き散らして再び強く斧の柄を握り締める北方王を援護するべく遠方から霊矢が戦士を狙い撃つも、剣で弾かれる。襲いかかる北の戦士らも次々に斬り倒され、まだ終わらぬ戦の波を前に…甲冑の戦士が終焉を告げた。


この破裂する様な撃音は────余りの眩さは─────甲冑戦士の手の剣から生じる。…世界の大気が揺れ動く。熱気が水気を枯らせ、雲を裂き、天を穿つ焔の柱。右腕の剣先を空向けて構える戦士の剣、その刹那に、剣を中心に、"理"の様相が全てを巻き込んで"現象"を引き起こす。



「……は……!?」



あまりにも大きい。これが神の御業であると言うならまだ理解の出来るという範疇、しかしその担い手は確かに、両雄の眼前に剣を構える一人の戦士が放つ大熱、日輪の如きに、まるで伝承そのものの如きに神々しさを戦場の全てに刮目せしめる。



「────二度は言わんと言った」



極限の灯火の下で全ての人間を凍てつかせるその言葉は、あまりに確信と覚悟に満ちた、冷徹の表明であった。宣告はした、警告を与えた。だが双方の王、現れた一介の戦士を侮り、その"絶対"を耳から耳へと流した。実直のアルケーの王とて、この戦士に食ってかかろうとした辺りでそれが明確だった。



「退け────ッッ!!!!」



"心臓の王"の必死の指令が響くが、もうとうに、"選択"の暇は過ぎてしまったのだ。上がる炎柱は天を裂き、そうして地に降る、剣の届く範疇に居た全てを焼き溶かして…


それはかつて注いだ厄災にも等しかった。神の御業の如き終末、爆ぜる大地に呆然と突っ立つだけの北の軍勢は一瞬の内に肉も血も失い、真新しい骸と呼ぶにも小綺麗に過ぎる餓者髑髏と化す。辛うじて、間に合ったのは危険の予知に応じて物陰に隠れた者、姿勢を低く保ち盾を構えた機転の効く者、そしてそういった者に守られた者…これが北の王。寸前で援護に間に合った遊撃隊の指揮者、黒狼の獣人が大盾を拾った上で身を挺して護り切る。



「スコール…!!」


「…っぐぬぅぅ……!!」



堅牢な皮と鋼鉄が焼き溶けて、自らの左腕も焼き焦がれても尚、北方王のその"右腕スコール"が彼自身を命に変えても護らんとする。目を開けるのも激痛が走るほど、一切灼き尽くす熱は瞳の潤いも奪うもの。


それでも北方王は微かに瞼を開いていた。己らを下した戦士──否、怪物の正体がなんであったかを測ろうとしていた。ただ、火の激流の中で影だけしか見えなかった"それ"に、遂には北方の王も理解を諦めることを選んだ。"あれ"は違う、理解を求めていない、そして誰にも解釈を譲らない。何者にも依らず、ただそこにあるその姿。


…それは、まさに日輪だった。




「や…ろう…ッ…!」


激流が控えても、そこに甲冑戦士は悠然と佇んでいた。焼き払われた丘の上からじっと北方の王を見つめたまま、もう殺そうともしない姿勢がより一層と王に怒りを与える。周りに生き残った者は戦士の後方に退いた中つ国の軍と、そして戦士の対面に運良く熱線の直撃を免れた黒狼と北の王のみであった。


それでもまだ、覚束ない足を摺りながら前に出す王、その肩を精一杯に抑える黒狼のことなど、戦士は到底脅威にも見ていなかったのだろう。



「…ヴィーザル…!"あれ"だけは駄目だ…!今の俺達が敵う相手じゃない……!!引き上げるぞ…!」



黒狼の訴えはしかと王の胸に響く。アルケーの軍勢は何割かを失い、北の軍勢も同じだった。これ以上に打つ手は無し、あの火を上げた戦士の傍らにいた"心臓の王"も同じ判断の下に撤退を急ぐ。屍の山を後に脚を引き摺って、北の王らも戦場跡を背に、傷みを和らげる地を目指す。


あの崖からこの光景を見ていた赤髪の娘も、心を傷めて…そして、当事者なる件の戦士だけは心中の傷みと共に、しばらくはこの戦場に残り続けたという。少なくとも上がる火の山が沈黙するまで、残り火が消え去るまで。その場に居た全てが死に絶えるまで─────



「…止めろと、そう言った筈だ…」



────その戦…中つ国が久しく上げなかった大火。アルケーと北方、勝鬨は何れの玉座にも、産声一つと芽生えず、現れた戦士の劫火によって…結果は、混迷の灰に隠れた。


両軍勝者無し。焼け原となった高原は死屍累々すら生温い塵に塗れ────大部分の生き残った戦士達の間にて、しばらくすると奇妙な噂が流れ出したという。


" あれは火の鳥だ " " 異端の再訪だ "


たった一人、鬼神の如き猛撃にて北の強者どもを払い、その言一つに帝の継国を一時と退かせた姿。過ぎては畏怖すらを抱かせる蛮勇と、ついては希望にもなり得た勇気の表象。…古く、この戦士と重なる英雄はこう呼ばれた。




『最初の異端』の一人

────"火の戦士、イカロス"と…




◤ " 異端伝聞 " ◢

東西南北を問わず、各地に共通して伝わる英雄譚。その物語は多くの逸話を残しており、この一群が『 異端伝聞 』と呼ばれ、共通するのは三人の英傑を歌うものであること


『 火の戦士 』『 紅の槍士 』『 魔法使い 』。


『 魔法使い 』は、かの大魔導師『 アリストテレス 』当人であると囁かれているが真偽の程は不明。何れも強大な敵を討ち倒した伝説の英雄達であり、一騎駆けにて竜をも墜としたとされている。しかし彼らの最期は不明瞭で、どの地においてもはっきりとした物語は紡がれていない。


確かなことは、彼らはその時代において" 異端 "であったとされ、間もなくして世界における魔法の定義というのは大きく変わった、あるいは定められた。故に、畏敬の念を込めてその物語と、彼らはこう呼ばれる─────


『 最初の異端 』と 。


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