初夜の前の同衾です(猫ですけれども)
私です、ミスティアです、あなたと仲良くなりたいのです。
猫ちゃんになってしまいましたが、私がミスティアです!
「にゃぅ、あう、なーぅにゃう、なーぉ、にゃむ、にゃおー」
「……ものすごい勢いで喋っているのはわかるが、何一つ理解できん」
「にゃー……」
「……そう寂しい顔をするな。お前も親を亡くして彷徨っていたのだろう。疲れたな。そろそろ寝るか、ミア」
ジークヴァルド様は私を片手で抱きあげる。
寝る──というのは、どこで寝るのかしら。私はてっきり、このままソファで、暖炉の前でぬくぬくと眠れるのだと思っていた。
できることならこのままここで眠りたい。
確かに私は、長旅の果てに本日ユーフィミアからヴォルフガングに到着したばかり。
疲れたな──と言われたせいで、なんだかすごく疲れたような気がしてきた。
ジークヴァルド様は私を連れて、寝室に入る。暖炉のある部屋から、寝室は扉で繋がっている。
吊り下げ式燭台のある高い天井。窓には冷気を遮断するためなのだろう、ぶあついカーテンがかけられている。中央には天蓋のある立派なベッド。
濃い茶色の木枠は竜の姿が彫られている。
私はジークヴァルド様の腕から飛び降りると、たたっと、竜の木枠まで駆けて、肉球のある手で、てしてしと叩いた。
「元気だな、ミア。竜……と言いたいのか」
「にゃ!」
「ラディオスはお前の恩人だからな。あれとはずっと、共にいる。俺の、唯一の家族だ」
「にゃー……」
なんだか少し、寂しい言葉だ。ジークヴァルド様には他に家族はいないのかしら。
ジークヴァルド様は再び私を片手で抱き上げる。
それから私をベッドの上に降ろした。
小さな私にとって、ベッドとはそれはもう大きな跳ねるための楽しい場所である。
私がぴょんぴょんしたりころころベッドでしている間、ジークヴァルド様は毛皮のマントを脱いで壁から突き出ている鹿の角にかけた。
次々と服を脱いで椅子の上に適当に放り投げる。
皇帝陛下の衣服は侍女が脱がせるものではないのかしら。
でも──皇帝陛下は長らく、従軍していらっしゃったのよね。
ヴォルフガングの隣国は、三国。ソラリス共和国と、モルフォ王国、スティレア王国。
その三国を、ジークヴァルド様は十年近く費やして平定したという話だ。
十五の時から従軍されて、今は二十五歳。
ユーフィミアの少ない情報網では、ジークヴァルド様のことはこれぐらいしかわからなかった。
ユーフィミアがのんびりしていられたのは、国民性もあるし、立地条件もある。
隣接しているのはモルフォ王国だけで、モルフォ王国は国土が広く、ユーフィミアとの境には深い森がある。
モルフォ王国はユーフィミアとの国境をさほど重要視していなかった。
つまり、国境付近は僻地とされて、あまり人も住んでいない。国交も限りなくないに近かった。
ユーフィミアは大軍では攻めにくい場所にある。大軍で攻める意味のない国でもある。
──というのが、お兄様や宰相閣下の見解だ。
ともかく、ジークヴァルド様は十年近く戦場に身を置いていたので、お着替えなどは自分で行う習慣があるのかもしれない。
ベッドにびろんと伸びて寝転がりながら、私はジークヴァルド様のお着替えを眺めていた。
「にゃう」
──すごく、脱いでいるわ。私が見ているとも知らずに。
筋肉の隆起した、ごつごつした背中が露わになる。体には無数の傷がある。
戦いの最中に怪我をしたのね。痛そうだわ……。
ユーフィミアの場合、治療魔法を使えるものがいるので、適切な治療がうけられれば傷跡がのこることはない。
もちろん全ての人が魔法を使えるわけではない。治療魔法も使える人によって差異があって、かすり傷を治すのもやっとの人もいれば、ちぎれた腕をくっつけることができる人もいる。
私は見た目はお姉様たちに比べて地味だけれど、魔法はそれなりに得意だった。
小さい頃から傷を治したり、植物をはやしたりはできていたような気がする。そんなに覚えているわけではないけれど。
お姉様たちは『魔法よりも美貌のほうが大切だわ』なんてよく言っていたわね。
だから、そう。ジークヴァルド様の傷跡は、私には痛々しく見える。
ヴォルフガングには治療の魔法を使える人がいないのだろう。
アンリエットさんが『ユーフィミアの魔法なんてたいしたことがない』と言った私を否定していた意味が、少しわかったような気がした。
「にゃ……っ」
ジークヴァルド様が堂々と全てお脱ぎになられてガウンを羽織っているのを目にしてしまい、私は急いで視線をそらした。
それは、これから嫌と言うほど見る(予定)のジークヴァルド様の裸体ですけれども。
男性の裸なんて見たことがないもの。まだ、心の準備ができていない。
というか、猫ちゃんの姿で覗き見していたというのは、私がミスティアだと知られた時に、なんだか間が悪い。
それに、恥ずかしい。だってすごく、立派だもの。筋肉がごつごつムキムキしていて、お兄様やお父様とはまるで違う。
それにしても、こんなに寒いのにガウン一枚で寝るの? 寒くないのかしら、大丈夫なのかしら。
ジーヴァルド様は寒さに慣れているから、平気ということなのね、きっと。
「……待たせたな、ミア」
「にゃう……」
そ、そんな、低い声で「待たせたな」なんて言われると、ドキドキしてしまうわ。
ほら、まるで初夜みたいじゃない……?
猫ですけども。
「はしゃいでいたな。今まで、外で眠っていたのだろうから、無理もない。しばらくは共に眠ろう。……一週間もすれば、ミスティアとの初夜だ。お前は誰かに預けなくてはいけなくなるだろうが」
ジークヴァルド様は私の隣に寝そべった。
私は簡単に掴まれて、ジークヴァルド様の腕の中におさまった。
あぁ、あったかいわね。ジークヴァルド様のガウンの肌触りが最高にいい。
良質な毛皮でできている。これは、一枚でもかなりぬくぬくかもしれないわ。
目の前に立派な胸板がある。背中を撫でてくれる手が気持ちいい。
艶のある黒髪が顔にかかっている。冷たく鋭い青い瞳は、今はどことなく優しい。
私は、ジークヴァルド様のことを動物に優しいタイプの男性かと思っていた。
でも、違うのね。私にも優しくしようとしてくれていた、らしい。
とてもわかりにくかったけれど、あの態度は、何を話せばいいのかわからなかったシャイな男性の態度。
それがわかった今、私は一生懸命自分からジークヴァルド様に話しかけるべきだと気づいた。
私もどちらかといえば、人と話すのが得意ではない。
一人でいるほうが楽だもの。でも、人から話しかけられるのが嫌いというわけではないの。
話しかけられると嬉しい。目立たない私だけれど、お姉様たちにかまってもらうのは嬉しかった。
だから──。
「にゃ……ぅ……」
「あぁ、おやすみ、ミア。お前のことは俺が飼う。安心して眠れ」
「にゃ……」
私、人質。立場はわかっています。でも、できれば末永く、仲良くしましょうね……と、言いたかった。
やっぱり、会話ができないというのは不自由だ。
ジークヴァルド様の指先が私の喉や頬を撫でる。
私はつい、子猫の本能で、その指をぱくっと咥えて、軽く舐めた。
そうしているとなんだか安心して、いつの間にか眠っていた。




