ジークヴァルド様のお部屋訪問(ただし猫ちゃんの私)
ジークヴァルド様は庭園を抜けて、見張りの門番が立っている門をくぐり後宮から出た。
その先に、主にジークヴァルド様が政務をしたり謁見をしたりする主城がある。
カツンカツンと、ジークヴァルド様の靴音が石造りのどことなく寒々しいお城の中に響いた。寒々しい、ではないわね。実際寒い。
ユーフィミアとは気温がまるで違う。猫ちゃんになったせいか、余計に寒さが骨身に染みる。
さっきまではあんまり気にしていなかったのに。
猫ちゃんにされたばかりで、なんとかしなきゃという気持ちが強くて、寒いどころではなかったからかもしれない。体が寒さに気づいてしまったのだ。
私はジークヴァルド様の体に、自分の体をすりすりした。ややあったかい。
ジークヴァルド様はそれに気づいて「寒いのか、猫」と私に尋ねる。
「みゃう」
はい。と、私は答えた。普段ラディオスさんと会話をしているジークヴァルド様なので、これは伝わったらしい。私を毛皮のマントで包むようにしてくださる。
──さては、優しいのでは?
動物に優しいタイプの男性なのかもしれないわね。私には冷たく「以上だ」などと言っていたけれど。
動物にだけ心を開くタイプの男性という可能性もでてきた。そうなってくると、私が猫ちゃんになったのは、かなり、恋愛的には有利なのではないかしら。まずは猫として好かれる。これだ。
「にゃーう」
「……なんだ。甘えているのか。親を失ったのか?」
甘えた声を出してさらにすりすりしてみる。
ジークヴァルド様は心なしか優しい声で言った。
すれ違いざまに侍女さんに「俺の部屋に暖めたミルクを持ってくるように」と伝えた。侍女さんは驚いたように「お酒ではなく……?」と尋ねた。
「二度言わせるな」
「は、はい……!」
「みゃうみゃう」
そんな風に言わなくてもいいのではないかしら!
という心を込めて、私は抗議してみる。そのミルク、絶対私用よね? 温めたミルクとは子猫のためにあるものだからだ。
私のせいで叱られた侍女さんが不憫だわ。
たぶん侍女さんには私の姿が見えなかった。マントの中に入れてもらっていたし、私は小さい。ジークヴァルド様は大きい。
「……何を怒っている、子猫」
「みゃーお」
「わからん。静かにしていろ」
後宮に向かうための通路の境、ほど近くに王の居室がある。
後宮には奥方様たちがいるため、誰かの元ばかりに通い詰めるような不公平感を出さないために独り寝用の部屋もつくってあるのだと、後宮についての本を読んで私は習った。
ちなみに一緒にお勉強を手伝ってくれたお兄様やお父様が興味を示して、お母様や義理のお姉様にひどく嫌がられていた。ユーフィミアとヴォルフガングは違うのだから、浮気はいけないと思うわ、私も。
部屋に入ると、ジークヴァルド様が暖炉に手をかざした。手の甲に不可思議な赤い紋様が浮き上がる。
ぼわっと、暖炉の薪に炎が燃えた。
「にゃ!」
「魔法を見たことがないのか、猫。猫だからな、当然か」
私はジークヴァルド様の腕から降りると、暖炉の前に走っていく。
あったかそう。今すぐあたりたい。子猫の本能が、暖炉の前で丸くなれと告げている。
今すぐ丸くならなくては……!
「なう!」
「あまり近づくな。焼け死ぬ」
暖炉との距離感ぐらいわかります、人間だもの!
でもジークヴァルド様にとっては私はただの子猫。危なっかしいのね、きっと。
私が暖炉に辿り着く前に、ジークヴァルド様は私を片手で軽々と抱えた。
それから、暖炉の前に置かれたふかふかのソファの上に降ろしてくれる。
私は仕方なくソファの上に丸まって、部屋を眺めた。
王の居室らしい、広い部屋だ。大きくて立派な暖炉に、整然と並んだ薪。天井からつり下がる蜜蝋のシャンデリア。壁に掛けられた宝剣に、盾。煌びやかな飾り鎧。
書架に並ぶのは、魔導の本や歴史書、戦略書など。ユーフィミアの私の部屋とはまるで違う。
後宮の部屋も私のために女性らしい内装になっていた。ここは、男性の部屋、という感じがする。
ややあって、すぐに侍女さんがミルクを届けてくれた。
「ミルクだけというのも気がきかないかと思い、お酒もお持ちしました」
「あぁ。さがっていい」
「みゃーおー!」
そこはありがとう、ではないかしら!
私は丸まりながらも尻尾でぱたぱたソファを叩いた。
ごめんなさい、お姉様方。私はユーフィミアの王女として、ジークヴァルド様の全てを愛さなくてはいけないのだろう。でも、私への対応が冷たかろうがなんだろうがそれは人質なので仕方ないとして、ご自分の国の方々に対するあの態度はいただけない。
せっかくの親切、そこはお礼を言うべきだわ。ちょっと冷たすぎる。
氷の覇王様なので冷酷で冷徹で冷たいのだろうとは思うけれど、ありがとうぐらい誰でも言える。
それとも、ヴォルフガングの皇族はありがとうと言ってはいけないのかしら。
文化の違い? 田舎と都会の違い?
「猫、不機嫌は腹が減っているせいか。食え」
「……なぅ」
ジークヴァルド様は私の横に座って、カップに入ったミルクを私にさしだした。
ほかほか湯気が出ている。私は子猫なので猫舌だし、カップは持てない。
尻尾でソファをぺちぺち叩いていると、ジークヴァルド様はカップをテーブルに置いて、私の喉を長いごつごつした指で撫でだした。
「なー……」
な、なにをなさるのかしら……!?
そこは、顎。私の顎。そして首。淑女のそんな場所を突然触るなんて。
いえ、もちろん、私としては立場的には大歓迎なのだけれど、心の準備というものが、ありまして、ね!?
「なーうー……」
やめて欲しいの、うっとりしてしまう。耳も喉も弱いのよ。だって猫ちゃんなのよ!
ごろごろすりすりしてしまう。不可抗力だわ。私の意思ではないのよ。
でも、あぁでも、眠くなってしまうわね。
「……動物に懐かれるのははじめてだな。ラディオス以外の動物は、俺の前から逃げる」
「なぅ」
それは、怖いからね。ジークヴァルド様が怖いからだわ。
心なしか寂しそうにそんなことを言うので、ありがとうが言えない件については水に流してあげようかなという気になってしまった。




