一番地味な私ですが緊急事態になりました
花の王国ユーフィミア──といえば聞こえはいいけれど、ようするに自然いっぱいの田舎の国という意味なのだと、私は馬車に揺られながらつくづく実感していた。
目の前にそびえるのは巨大要塞のような城塞都市フォルン。
北の大国ヴォルフガング帝国の首都だ。
ヴォルフガング帝国は、鉄と魔法と竜の力で他国を支配下に置いてきたおそろしい国である。
国土の広さも、街の規模も、ユーフィミアとはまるで違う。
ユーフィミア王国が一つおさまりそうなほどに巨大な街が、窓の外には広がっている。
そんなヴォルフガング帝国に、片田舎の小国ユーフィミアの末姫である私。
──ミスティアは、嫁ぐことになった。
◇
ことのはじまりは数週間前。
ヴォルフガング帝国から届いた親書に、城内は騒然となっていた。
ユーフィミアは小国だけれど自然豊かで、肥沃な地である。
気候も温暖で、人々は皆のんびりしている。
お父様もお母様ものんびりした人たちだ。
そんな両親から五番目にうまれた私も、趣味は刺繍と編み物、お花を育てたりお菓子をつくったりするのが好きで、人と話すのは少し苦手──という、あまり目立たない存在だった。
十八歳になったばかりの私は、毎日お菓子をつくったり、つくったお菓子を食べたりしながら過ごしていた。
お兄様は奥様を娶り、お姉様たちは皆嫁いでしまって、あとは私だけ。
誰か優しい人と結婚出来ればいいな、などと考えていた、矢先のことである。
お父様に呼び出された執務室には、どういうわけか貴族に嫁いだお姉様たちやお兄様、兄姉が勢ぞろいしていた。
「ミスティア、すまないがヴォルフガング帝国に行ってくれないか」
「行くというのは……? 使節のようなものでしょうか」
「そうではなく、嫁いでほしいのだ」
震える声でお父様が言った。
私は自分の耳を疑った。嫁ぐ? ヴォルフガング帝国に、私が?
「皇帝ジークヴァルドが、妻が欲しいと言っている。妻といっても、実質は人質だろう。ジークヴァルドは今まで武力でもって他国を平定してきたが、ユーフィミアに限ってはそうではなく、娘をさしだせと言う」
「そ、そんなことをして、なんになるのでしょう……!」
お母様がお父様に縋りついて泣きながら尋ねた。
お父様もお母様も気が弱くて心配性なところがあるのよね。突然皇帝陛下からお手紙が届いたら、それはもう怖いはずだ。
お父様も泣きそうだもの。泣きそうというか、泣いているというか。
ヴォルフガング帝国皇帝ジークヴァルド様といえば、血も涙もない氷の覇王だという噂だ。
若い頃に帝国内の内乱をおさめて即位して、周辺諸国を武力で持って平定した。
ユーフィミアもいつ属国になるのかと、お父様は眠れない夜を過ごしていたようだった。
まぁでも、心配には心配だろうけれど、のんびりしている人だから、結構お昼寝はしていた。
「ユーフィミアは抵抗せずに娘をさしだすとでも思っているのだろう」
「差し出すしかありませんものね」
「そうだな、差し出すしかない」
つまり、差し出される娘が私、ということなのよね。
お姉様たちは嫁いでいるし、消去法で私。
「わかりました。ユーフィミアを守るため、差し出されてきますね……!」
お姉様たちを愛する旦那様から引き離すわけにはいかない。
そもそも人妻をさしだすわけにもいかないし。ここは、私がさしだされるしかない。
「ありがとう、ミスティア」
お父様によく似たお兄様が、瞳を潤ませながらお礼を言ってくれる。
その前にずいっと一歩踏み出して、私の三人の、煌びやかなお姉様たちが口を開いた。
「ミスティア、分かっているのでしょね? ミスティアがジークヴァルド様をメロメロにしてお子を産めば、我が国は安泰!」
一番上のお姉様は、いつも頭に薔薇飾りをつけている、ローザンヌお姉様。
好きな宝石はルビーだ。
「ヴォルフガング帝国と血の絆で結ばれれば、我が国と帝国の立場は対等になるわね!」
二番目のお姉様は、いつも頭に百合飾りをつけている、リリィお姉様。
好きな宝石はダイヤモンド。
「ミスティアが失敗すれば、この国はヴォルフガングの属国になるわ。ヴォルフガング人が押し寄せて、民は蹂躙され、若い女は強引に娶られて、阿鼻叫喚に……!」
三番目のお姉様は、いつも頭に蘭飾りをつけている、カトレアお姉様。
好きな宝石はピンクパール。
豪華な金髪に、長い睫毛。ふっくらとした唇にグラマラスな体。
ユーフィミアの三女神と呼ばれている、美しく気高く煌びやかなお姉様たちに比べて、私は──あまり特徴がなかった。
私の金髪は白髪に近くて真っ直ぐだし、瞳の色はお姉様たちは青いのに、私だけ赤い。
身長も低くて、胸も小さい。とても女神の一員にはくわえてもらえないほどに、どうにも貧相なのよね。
だからといって困ることなんて今までなかったし、気にもしていなかったけれど──。
よりによって一番貧相な私に、国の命運がかかっているなんて。
頑張るしか、ないのだけれど。
それから数週間後、ヴォルフガング帝国から迎えの馬車が来た。
妃という名の人質なので、侍女も護衛も連れていくことは許されなかった。
私は独りぼっちで馬車に乗り込み、家族に見送られてヴォルフガング帝国に遠路はるばる、二週間ほどかけてやってきたというわけである。
妃といっても、大帝国の皇帝妃。
おそらくは大勢いる中の奇跡の末端に加えられるだけだ。
妃とは名ばかりの、ユーフィミアを従属させるための人質である。
その末端から、頂点へ這いあがりなさい──と、私は姉たちに言われていた。
不安しかないのだけれど──国の為、民のために、やらなくちゃいけない。
この度の間、ヴォルフガング帝国から来た生真面目な使者やお世話係の女性たちは、私がどんなに話しかけても「私語は禁止されております」と言って、会話をしてくれなかったけれど。
まずは外堀から作戦は失敗して、今のところ私には誰も親しい人がいない。
それはヴォルフガング帝国のお国柄かもしれないもの。仕方ないとして。
鉄壁に囲まれた寒々しい帝都を馬車はすすんでいく。
ユーフィミアに比べて街は色が少ない。どの家にも煙突があり、煙突からは煙が出ている。
ユーフィミアにはそこらじゅうに花々が咲いているけれど、ヴォルフガングにはそれもない。
少し寂しいけれど、末端といえどもこれでもユーフィミア王家の姫。
しっかりしなきゃいけないわね。
私はヴォルフガング帝国の──恐らく身形からして、地位の高い従者の方々に案内されて、謁見の間に向かった。
見上げれば首が痛くなりそうなほどに高い天井、壁が見通せないぐらいに広い室内の中央に赤い絨毯が敷かれていて、左右には鉄の鎧を着た騎士の方々がずらりと並んでいる。
玉座には長すぎる足を汲んで、黒衣を見に纏った──これぞ、皇帝陛下という方が座っていた。
といっても、皇帝陛下という存在を見るのははじめてだ。
お兄様やお父様とはちがう。
威圧的な威厳が、全身から湯気のように立ち昇っている気がした。
実際に湯気がでているわけじゃないので、気がしただけだ。
艶やかな黒髪に、青い瞳。怖そうだけれど、綺麗な顔をしている。
その足元には、白く美しいトカゲに似た獣──翼のある、竜が侍っている。
「──ミスティアか」
皇帝陛下は私を睥睨して、感情のこもらない低く平坦な声で名前を呼んだ。
「はい。ミスティア・ユーフィミアと申します、皇帝陛下」
「妻を娶りたいと、俺は伝えた。お前はそれを理解して、ここに来たのか?」
「はい! 小さな国の末の姫ですが、誠心誠意心を込めて皇帝陛下にお尽くしいたしますので、よろしくおねがいします!」
まずは第一印象だ。
精一杯お慕い申し上げておりますという気持ちを込めて、私はにっこり微笑んで挨拶をした。
それにしても──どうしてわざわざそんなことを聞くのかしら。
私の顔が間抜けすぎて、理解してないように見えたのかもしれないわね。
元気よく答えたほうがいいのか、それともおずおずとしおらしくした方がいいのか私は迷った。
けれど元気を選んだのは、皇帝陛下までの距離がありすぎて、声が聞こえないと困るなと思ったからだ。
今日から私は、この方を精いっぱい努力して篭絡しなくてはいけない。
──成せばなるというし。
自信はないけれど、ここまで来たのだから、腹をくくって頑張るしかない。