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冷泉天皇(3)

 時を同じくして、朝廷内は大騒ぎとなっていた。


 右大臣、藤原師尹(もろただ)めいにより、内裏の門はすべて閉じられ、公卿たちに緊急の参内さんだいが命じられたのだ。


 きっかけは、一通の密告文だった。差出人は、左馬助さまのすけであるみなもとの満仲みつなかと、前武蔵介であった藤原ふじわらの善時よしときだった。


 密告文によれば、為平親王が皇太子になれなかったことを不満に思う者たちが集い、東国で為平親王を帝とした新しい国のために兵を挙げようと企んでいるということだった。

 満仲は、源高明の従者であり、この謀反に加わるよう誘われたが、誘いには乗らずにこのことを朝廷へ密告したのである。


 この密告文が届けられた時点で、検非違使は密告文に書かれていた謀反人である中務なかつかさの少輔しょうたちばなの繁延しげのぶらの屋敷へと急行していた。

 晴明が目撃したのは、この検非違使による橘繁延の急襲だったのだ。


 密告文には、この謀反の首謀者の名前は記されてはいなかった。しかし、謀反への源高明の関与が疑われたのである。

 高明は娘を為平親王に入内させており、為平親王が帝になれば、帝の義父となることができるのだ。ただ、これはあくまで疑いに過ぎなかった。

 その疑いを確信としたのは、検非違使である源満季(みつすえ)が高明の従者であった藤原千晴(ちはる)(平将門討伐を成し遂げた藤原秀郷の子)らを捕らえたことで、首謀者が明らかとなったためだった。この謀反の首謀者は、源高明である。そう捕らえられた者が自白したのだ。


 検非違使は高明の邸宅を取り囲み、高明へ投降するように促した。そして、高明は検非違使に捕らわれたのだった。高明は調べに対し、身の潔白を訴えたが、それは聞き入れられず、大宰府へ左遷となった。これは事実上の流罪であり、高明は平安京みやこに残ることを望んだが、それは許されず、大宰府へと流される形となった。


 この事件は、後の世に安和(あんな)の変と呼ばれるものである。

 安和の変は、藤原氏が政敵であった源高明を蹴落とすために画策した陰謀であったという説が濃厚である。

 また、この安和の変で源満仲は密告の功として官位を得ることができ、武家としての出世を果たした。なお、謀反を企てていた者たちを逮捕するのに活躍した検非違使の源満季は満仲の弟であり、満仲にとって政敵であった藤原千晴がこの謀反により力を失ったというのも興味深い。



 そして、その年の八月。

 帝(冷泉天皇)は皇太子であった守平親王に譲位し、自らは太上天皇(上皇)となった。

 新しい帝(円融天皇)は、まだ十一歳という若さであり、大伯父にあたる藤原実頼が摂政せっしょうに就任し帝を支えることとなり、左大臣に藤原師尹(もろただ)、右大臣に藤原在衡(ありひら)とし、朝廷の重役を藤原一族で固めたのだった。



 第七話 冷泉天皇 了

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