朱雀門で笛を奏でし者(2)
空が光っていた。しばらくすると遠くの方から雷鳴が聞こえてくる。
雷、特に落雷は人々に恐れられていた。
まだ晴明が子どもの頃に、内裏内の清涼殿に落雷があり、何名かの公卿が死亡したという出来事があった。この落雷は当時、大宰府へ左遷され朝廷に恨みを持っていたとされる菅原道真の怨霊が雷神の力を使って落雷をさせたという噂があった。
このように理由の説明ができないような出来事が起こると、人々は怨霊やあやかし、物怪といった、目に見えぬモノの存在のせいにしようとする。時おり、陰陽寮にもそういったモノを祓ってほしいという依頼が来たりするのだが、晴明はそもそもそういったモノの存在を信じてはおらず、すべての出来事には理由があると考えていた。
「晴明殿、ちょっとお話があるのですが」
やることがなく、陰陽寮の中をぶらぶらと歩き回っていた晴明のことを呼び止める者がいた。それは同僚の陰陽師であり、歳は晴明よりも二〇は若かった。
「どうかしたのか」
「ちょっと奇妙な話を耳にしまして」
「奇妙な話?」
「ええ。大内裏の朱雀門に住む鬼の話です」
若い陰陽師がそう口にすると、晴明はあからさまに嫌悪感のある顔をして見せた。
それは、お前も鬼やあやかし、物怪といった類の幻想を信じているのかといったものであり、晴明は陰陽師たるものがそのような姿かたち無きモノに惑わされることをひどく嫌っていた。
「それがどうかしたのか」
「古くは、紀長谷雄様が会ったとされる双六をする鬼が朱雀門に住んでいたという話でしたが」
「その話は知っている。しかし、それは御伽噺の類であろう。長谷雄様は神仙や怪異の類の話を好んで書き残されておるということもな」
「でも、それが御伽噺では無いとしたら」
「馬鹿も休み休み言え」
晴明は笑いながら吐き捨てるように言った。
「最近のことでございますが、夜な夜な朱雀門より笛の音が聞こえるとの噂があります。その音色はどこか寂しげで美しいものだそうで」
「どこぞの笛の名手が朱雀門に昇って吹いているのだろう。なぜ、そこで鬼と結びつくのだ」
晴明がそう言うと、若い陰陽師は一度あたりを見回すようにしてから声を潜め、晴明にだけ聞こえるような小声で囁いた。
「見た者がいるのです」
「ほう」
先ほどまで興味無さげにしていたはずの晴明が、ここで始めてその話に食いついた。
「どのようなモノを見たというのだ」
「背丈の大きく、顔全体は髭で覆われたような鬼だったと聞いております」
「ほう。その話を誰から聞かれた」
「それが……」
若い陰陽師は急に口が重くなる。
あまり口に出したくない名なのだろうか。晴明は若い陰陽師のことを見ながら考えた。
「源博雅様にございます」
「なんと……」
若い陰陽師の口から出てきたのは、晴明が思っていたよりも位の高い人の名前だった。
源博雅といえば、醍醐天皇の孫にあたる人物であり、臣籍降下した際に源姓となり、現在は従四位下で右近衛中将である。
「博雅様といえば、雅楽においては第一人者。あの方の耳には間違いございませぬ」
「そうであるな……。して、その奇妙な話をなぜ私に話されるのだ」
「それは、晴明殿に確かめていただきたいからです」
「朱雀門の鬼をか」
「はい」
「なぜ私なんだ。私よりももっと鬼退治に向いている陰陽師たちは沢山いるだろう」
「博雅様からのご指名なのです」
「なんと……」
これは参ったぞ。晴明は苦虫を嚙み潰したような顔つきになりそうになったが、それを隠した。
まさに蒔いておいた種が予想外なところで芽を出そうとしているではないか。誰が好き好んで鬼退治などしたいと思うものか。天文と占筮の腕を内裏内に売り込み、そこからのし上がっていこうと考えていた晴明は、予想外な依頼に困惑をしていた。
しかし、考え方を変えてみれば源博雅のような上級貴族との繋がりが出来るのも悪くはないことだった。博雅もいまは武官ではあるが、将来は公卿となる可能性も無くはない。
この繋がりを逃すのは勿体ない。晴明は頭の中で色々な算段を重ねていた。
「わかった。私が何とかしよう。明日の朝にでも、博雅様を訪ねてみる」
「そうですか。ありがとうございます」
「ところで、貴殿と博雅様の繋がりは、どのようなものなのだ」
「実は母方の叔父が……」
こうして、晴明は源博雅との繋がりを作ることとなったのだった。