状態変化同好会の会員が強制変身アプリを使って同級生を変身させたかったという話
「な、なんだこれはー!きょ、強制変身アプリだってー?!!」
チョメスケは驚愕していた。朝起きてスマートフォンを立ち上げてみると、見慣れぬアプリケーションがインストールされていたからだ。
その名も『強制変身アプリ』。その説明書きの内容を信じるならば、このアプリを起動した画面をある相手に見せつけるとその相手の身体は催眠状態に陥ってアプリの持ち主の意のままになり、そしてさらに各変身モードを切り替えることによって、なんとその相手を自由自在に変化させることができるというのだ!
こんな代物を手にしてしまったからには、クラスのマドンナ、みんなのアイドル、ひいては学校一の美少女、あのミッチーちゃんを変身させて、あられもない姿にさせるしかあるまい!チョメスケは高揚感に打ち震えていた。
ミッチーとは、チョメスケと同じクラスに通う女子生徒のことで、その明るくノリの良い性格と溌剌とした所作、見目麗しい容姿とメリハリのあるナイスバディによって校内でも特に注目を集める好人物である。状態変化同好会に所属する唯一人の会員として校舎の片隅で居心地悪く細々と活動するチョメスケのような日陰者とは対極に位置する存在である。日々、ミッチーのような可愛らしい女の子が元とは変わり果てた姿に変身・変化させられるシチュエーションを妄想しては行き着く先のないその薄暗い情熱を紛らわせ溜飲を下げてきたチョメスケであったが、孤独の中で一人耐え忍ぶその様子を見た神様がついにご褒美をくれたようだった。
今日まで生きてきて良かった!そのアプリを使う場面を想像するだに心が躍り、チョメスケは思わずスキップしながら登校していった。
◆
「どうしたのチョメスケ君?大事な話があるって言ってたけど」
時間が飛んで放課後、チョメスケの席の傍までミッチーがやって来た。普段あまり接点のない相手から話しかけられたということを気にする様子もなく、ミッチーは近づいてくる。制服に指定されている白いブラウスを校則通りに第一ボタンまで閉めて折り目正しく着こなしていて、その上から若葉色のカーディガンを羽織り、胸元には赤いリボンを結んでいる。この色合いのカーディガンを選ぶ生徒というのはこの学校では珍しく、『あの色と言えばミッチーちゃん、ミッチーちゃんと言えばあの色』というような感じで学校中にそのイメージが浸透しつつあった。足元も、きちんと校則を守って膝小僧まで隠れるくらいの丈の黒いスカートと、白い長靴下をしっかり上まで引っ張り上げて履いている。
しめしめ……。チョメスケは懐から徐にスマートフォンを取り出し、何やら少し操作を加えたかと思うと、その画面を彼女の方へ向けた。
「突然なんだけど、ミッチーちゃんに見てもらいたいものがあるんだ。
これなんだけど……」
チョメスケが言い終わるよりも早く、ミッチーの両目は彼女の意識ごと、チョメスケの手元、強制変身アプリの催眠モードを表示しチカチカと明滅する画面へと強烈に吸い寄せられていた。すごい効き目だ!やはり、このアプリは正真正銘の本物だったのだ!
「これを見てくれたのなら、あとは僕の言いたいことは大体分かるよね?」
ボーッとした頭でチョメスケの言葉にコクリと頷くと、ミッチーは彼に連れられて教室を後にし、校舎の片隅、とある空き教室へとどこか虚な足取りで歩いて行った。
◇
「な、なんじゃこりゃあーーー!!?」
ふと我に帰った時、ミッチーは自分の姿に驚愕した。
なんと彼女は、その身体を容易に丸ごと包み隠すほど巨大な立方体、箱の形へと変貌していたのだ!
その表面はまるでホームセンターで売られているような白いダンボールを上から丸ごと若葉色の塗料で塗装していったかのようなチープな材質で形作られていて、チョメスケと向かい合うその正面部分には、プリントアウトされたイラストみたくペラペラとした質感と化し定着した彼女の顔が貼り付いている。
「な、なんで私の身体が、箱化してしまっているのーー?!」
「フッフッフ、気がついたようだね、ミッチーちゃん?」
ガタガタと震え始めた若葉色の箱を見つめながら、チョメスケがニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
ここはとある空き教室。厳密には状態変化同好会の活動場所として指定されているこの部屋には、チョメスケと、四角い箱の姿と化したミッチーの姿があった。
何を隠そう、ミッチーはアプリの箱化モードによって、巨大な箱へと強制変身させられてしまっているのだ!
「いや!いや!やめて、チョメスケ君!
こんな変わり果てた姿にされてしまって、私恥ずかしい!」
「なーに言ってるんだい、ミッチーちゃん。
本番はまだまだこれからだよぉ?
これからアプリを色々なモードに切り替えていって、あんな姿やこんな姿に変身してもらうんだからねぇ?」
「っ……!ダメっ、身体が思うように動かない……。アプリから送られてくる命令から逃げられない、抗えないっ……!」
箱はその場で小刻みに震えながら、スマホの画面を掲げて不気味な笑みを浮かべるチョメスケと、アプリが発信しようとする信号に恐れ慄いている。
一度催眠にかかって箱化してしまったせいで、ミッチーは自分の意思で身体を動かすことができなくなっているのだ。
1.メイド化
「それじゃ、初めはマイルドめな変身からいってみようか?
まずは、オーソドックスなところで、メイド服!」
ポチッとアプリのボタンをクリックして、チョメスケが画面をミッチーの箱に向ける。しばらく箱の中からゴソゴソゴソという物音が聞こえていたかと思うと、側面の口がパカッと開き、そこからメイド服姿に変身させられたミッチーの姿が排出されてきた。
「いらっしゃいませ、ご主人様!今日は何を御所望でしょう?」
その姿は、フワリとした生地で形作られたメイド服を着込んでいた。全体を見ると、上半身部分はいつも彼女が着ているカーディガンと同じ若葉色で構成されていて、腰から下のスカート部分は制服で指定されているスカートと同じ黒色、そしてエプロン部分やフリルのような装飾、いつもと同じきちっとした白靴下など、要所要所で制服のブラウスと同じ純白色があしらわれている。まるで、いつも着ている制服がアプリの命令によって再構築されたような見た目だった。メイドという属性に徹するよう催眠がかけられているのか、恥ずかしいという表情一つ見せず、身体の前で両手を重ね、いかにもメイドさんという感じのポーズをチョメスケに見せてくる。
「ぎゃああ!可愛い!
ミッチーちゃん、メイド服似合い過ぎ!
天使かな?いつからここは極楽浄土になったんですか?」
早くもチョメスケのテンションは爆上がり状態なのだが、これはまだまだ序の口、ここからさらにミッチーを、普段とはかけ離れた姿へと変貌させるつもりだからだ。
2.ギャル化
「お次は、ギャル化だ!
いつもとは違う崩した感じを見せてくれ!」
命令によってミッチーが箱の中に引っ込んだのを見届けると、チョメスケはアプリを次のモードへと切り替えた。
またしばらくの間、箱の中からゴソゴソとした音が聞こえてくると、側面の開閉口から今度は、いつもよりもギャルっぽい姿へと変化したミッチーが現れた。
「やっほー!チョメっち元気ー?
変身させられるのマージ楽しすぎて、私の情緒いまマージやばいんだけどー☆
ていうか、チョメっち、いつもむっつりした顔してる癖に、本当はこんなのが趣味なのー?やっばー♡
オラオラァ、こういうのが好きなんだろぉ?」
いつもはきちんと全部のボタンを閉めて羽織っている若葉色のカーディガンを、今は腰に巻いて前に結んでいる。その腰を、わざとらしくフリフリと振って、チョメスケへと見せつけてくる。
いつもはストンと下ろしている髪を若葉色のシュシュでもってポニーテールに結び、後ろに下げていた。上半身にはわざと普段より小さめサイズのブラウスを着込んでいるようで、そのバストやウエスト、脇のところや肩周りがキュッと締まり、そのボディラインの細さ、柔肌の質感が白い生地越しに時々浮かんで見える。敢えて第二ボタンまで開けたままにしているようで、そこから下着が見えてしまわないか、チョメスケはドキドキしてしまう。下半身はと言うと、いつもの制服のスカートを腰のところで何回か折り返しているようで、膝小僧が露わになるくらいの丈まで上げられており、彼女がわざとらしく腰を振るたびにふぁさふぁさとその裾まわりの広がり部分が揺れて、そこから覗く白い太腿に目が吸い寄せられてしまう。いつもはぴっちり上まで引っ張って履いている白靴下も、ルーズソックスのごとく踝辺りまでずり下げられていた。
「あっ、あっ、ミッチー様、お疲れ様です。
あっ、今日はご機嫌がよろしいようで、何よりです」
彼女のあまりに堂に入ったギャルっぷりに当てられたチョメスケは、その昔地元に君臨していたとあるヤンキーの先輩に相対した時のことをフラッシュバックし、当時に戻ったかのように挙動不審に陥っていた。ガチであの人怖かったからな。怖すぎて脳裏に焼きついてて、今でも時々あの人のこと思い出すもん……。今日財布にいくらぐらい入れてたかな?って一瞬逡巡してしまった。
オラオラッ♡とミッチーがスカートを揺らすたびにチョメスケがアッアッと喘ぐという謎の応酬が繰り返される。なんなんこれ。
普段とはギャップのあるその姿はすごく可愛いし、特に危害を加えてこないミッチーが相手ならずっとこの状態でもいいかなとチョメスケは一瞬思ったが、強制変身アプリの真骨頂は、人間を人間以外の姿にも変身させることができるという点にある。気を取り直してまた別の姿に変身させるべく、箱の中に引っ込ませる。うん、まぁアレはまた後日、そういう気分になってきた時にまたゆっくり見せてもらうことにしよう……。
3.ロボット化
「次はロボット化だ!」
箱の中から、変化したミッチーの姿が現れる。
その見た目は、パッと見はこの学校の指定体操服姿と似ているように見える。しかし、その細部をよくよく見てみると、いかにもロボットの身体を構成する部品のような意匠が至る所に組み込まれているのが分かる。
首元と袖口に緩み防止の赤い縁取りの付いた丸首体操服の胸元の全面には大きな四角い白い名札が縫い付けられ苗字と学級名が黒マジックの太文字で書き込まれているのだが、その四隅にはプラスドライバーで回すための十字型の溝がついた丸い鉄色のネジ頭が埋め込まれていて、まるでその名札をロボットの胸元に打ち付けた甲板か何かのように見せていた。赤いショートパンツの腰回り、その前面を見ると銀色の万歩計のような機器が取り付けられていて、そこにデジタル表示されている数値が彼女のエネルギー残数を表しているようだった。一方脚の方を見ると、バレーボールの女子選手がよく履いているような印象が強い厚手の白い長靴下を履いていて、膝の辺りまでピッチリと覆われていていつも履いている薄手のそれよりも装甲っぽい雰囲気が出ている。加えて肘や膝、手首や踝などの関節に当たる部分はリストバンド、あるいは故障がちなスポーツ選手がよく身につけているようなゴム製のサポーターのような白いカバーで覆われていて、駆動部分を周到に保護しているサイボーグのような感じを出している。さらに、全体像をよくよく見ると、名札の側線に沿ったように首元から裾にかけて、また脇下の生地同士を継ぎ合わせた縫製跡に当たる線、首元から肩にかけての曲線、膝辺りまでを覆う白靴下、そして両目から口角までを結ぶ頬のところなど、彼女の色白な素肌の上も含めて、全身至る所に細い黒のラインが走っていて、それがまるで彼女の身体が数多の部品を継ぎ合わせて作られたロボットなのだと示しているかのようだった。
「ピッ、ピピピピピ……。
ミッチーロボ、起動イタシマシタ。
チョメスケ様、ナンナリト御命令クダサイ」
ミッチーは閉じていた瞼を開くと、ウイーンウイーンと言いながらその身体を動かし始める。よく目元を見ると、その瞳はまるでカラーコンタクトでも入れたみたいに若葉色に染まっている。機械となっているためか、いつもより動作がギクシャクしている気がする。
「よしじゃあ、ミッチーロボ、命令だ!
お前が思う、いかにもロボットっぽいことをやってみろ!」
「…………ピピピピピ、命令ヲ受信シマシタ。
ンンッ、アー、エー……。
アレレッ、オカシイデスネ、コエガ、オクレテ、キコエテ、キマスヨ?」
「まさかの腹話術」
いや、確かにいっ◯く堂さんは芸が達者すぎてロボットっぽく見えることも多々あるけれども……。
その後もパントマイムやムーンウォークなど、色々ロボットっぽい動きをやらせてみたのだが、元々の身体がミッチー本人の生身を素体にしていることもあるのか、各パフォーマンスのクオリティに関しては正直いずれもイマイチであった。
「ロボぉ!帰ってこいロボ!
どうして僕の命令を聞けないんだぁ!」
「マ゛ッ」
居た堪れなくなったのか、ミッチーロボはチョメスケの命令も無視してひとりでに箱の中へすごすごと引っ込んでいった。
その後ろ姿に、チョメスケは敬礼を送らずにはいられなかった。
全然関係ないけど、あれの最終回、めっちゃ泣けるよね……。
4.椅子化
続いて、アプリで椅子化を選択する。
物品化モードの場合には、ミッチーは身動きを取ることが難しく、チョメも手助けしながら箱の中から彼女を引っ張り出さなければならない。
箱から出てきた彼女の姿は、その全体が若葉色のレザーのような生地で覆われた、背もたれと肘掛け付きの、洋室などによく置いてあるタイプの革張りのソファーに変貌していた。背もたれに張られた生地越しに、彼女の身体のライン、その凹凸が所々浮かび上がってしまっている。
「ぎゃー!人間椅子になっちゃったー!
江戸川乱歩みたいな世界観になってるぅ!
僕は死にましぇーん!」
「あ、ごめん、乱歩はあまり読んだことがないからよく分かんないや……」
なぜそのモノマネを……と困惑しつつ、やっぱり椅子が相手ならばこちらも座らねば無作法というもの、恐る恐るミッチーの身体に腰掛ける。
……人肌の柔らかさに身を委ねる感触というのは、ここまで心地良いものだったのかと驚く。椅子表面の生地越しに、その内側にある彼女の肌の柔らかさが伝わってきて、そこまで踏み込むつもりはなかったのに、チョメはだんだんと変な気分に陥りつつある自分に気がついた。つい出来心で、腕を乗せた肘掛けの中に潜んでいる彼女の手、その甲をスリスリと撫で回してしまった。
「あぁ……、先生……。
これなんですね、先生……」
あ、これダメだ。戻ってこれなくなるやつだ。意識が柔肌の中に沈み込んでいってしまって、そこから離れられなくなっちゃうやつだ……。思わず椅子と結婚したくなってくるところだった。背もたれの中から聞こえてきたミッチーのその吐息混じりの囁き声に含まれる理性に絡みついてくるような響きを悟ったチョメは、すんでのところで人間椅子の柔肌から体を引き剥がし、起き上がる。ていうか、先生って誰だよ。
「……意気地無し」
いまだその声音に蠱惑的な響きを漂わせたまま、人間椅子は恨みがましそうな台詞を呟き、その場にポツンと佇んでいる。
なんとでも言うがいい……。もしあのまま座り続けていたら、この話のジャンルそのものが変わってしまう危険性があったからな。
そう、Rが付いてしまうのだ。乱歩だけに。
5.球体化
「うひゃー!まんまるくなっちゃったー!」
箱の中から、身体が球体と化したミッチーが転がり出てくる。その球体の表面はいつも彼女が身につけている若葉色のカーディガンや白のブラウスと靴下、黒のスカートと同じような生地で構成されていて、まるで彼女の身体を人間大の球体に無理やり押し込んで丸めてしまったような見た目をしていた。人肌に似た弾力を持ったその表面には、彼女の顔上半分だけがムニュっと覗いていて、前髪など遮る物もなくその両目の周辺が露わになっていた。一見完全な球体になったように見えるその姿は、しかしよくよく見てみると、その顔から見て少し下のところ、制服の襟に当たる部分には普段ブラウスに結ばれているのと同様に赤いリボンがくっついていた。さらにそのすぐ下には、彼女のメリハリのある身体つき、それを特に象徴づけている柔らかそうな双丘の盛り上がりがふっくらと浮かび上がってしまっていて、その全身像が実際には球体と呼ぶには歪すぎる形状を持っていることを明らかにしているのだった。
「うーん、これは……。すごく可愛いんだけど、球体としては落第かなぁ……。コロコロと綺麗に転がれなさそうだし」
「ガーン!!いつもの私がナイスバデー過ぎたがために!!」
その無念を全身で表すように、若葉色の球体はその場でバルンバルンと飛び跳ねていた。こういう芸人さん、昔深夜のネタ番組か何かで見たことある気がする……。
6.反物化……?
さて、アプリで反物化モードを選んだチョメであったが、箱の中から出てきたミッチーを見てみると、その姿は反物というには厚みがあり過ぎる気がするのだった。大体、人間だった時のミッチーの体を包み込める程度の厚さが、その“反物”には残っている。
ミッチーは今、全面を直線で構成された直方体の型の中に押し込まれてしまったような姿をしていた。いつもの制服姿の彼女を一度融解し切った上で再度型に入れて冷やし固めたような、そんな趣で。表面の模様は、若葉色のカーディガンのフワッとした肌触りや白いブラウスのサラサラとした質感、黒いスカートのゴワゴワとした感触とが全身の至る所でチグハグに、ランダムに混ざり合い融け合ったような混沌を呈していて、顔はめパネルから覗いた時のように前髪などの遮蔽物もなく表情が露わになったその顔の少し下、唯一衣服類の中で他と混ざり合わずに形をそのまま残した赤いリボンが、少しでも原型を思い起こさせようとするようにチョコンとくっつき結ばれていた。また、その両脇辺りから、彼女が人間だった頃の色白な手、その手首から先の部分だけがニュッと生えているという奇妙な見た目になっている。
なんだか、先ほどまでの変身とは、少し違う雰囲気がある。
胸元の赤いリボン、その下部に視線を移すと、若葉色の生地が充てられた元々の人間の身体で言えば胸に当たる部分、そこをよくよく見てみると人間の時と同様双丘の柔らかい盛り上がりが、その二つの半球状の丸みが隠しきれずに表面に浮き出ているのだった。そしてその上に、何やら丸っこい文字のようなものが四つ貼り付いている。『み っ ち ー』というそれらの丸文字は、長方形になった彼女の身体を構成する生地の類と同じような布地で作られたような見た目をしていて、内側に綿か何かが詰まっているのかフワフワと柔らかい。裁縫道具の中の針山に似ている。そして、それぞれの文字に若葉色・白・黒・赤という色が一つずつ割り当てられていた。
「みー!みちっ、みっ!
みちーっ、みちみちー!
みっちちー!」
ムニッムニッと長方形の身体を捩りながら彼女が口にする言葉は、しかし意味を結ばない。どちらかというと、鳴き声と言った方がふさわしいかもしれない。
不思議に思いながら、チョメは彼女の様子をじっと見つめる。
今の彼女は『み・っ・ち・ー』、これらの四文字しか発音できない様子だった。だとすると……。
チョメは彼女の胸元、四つの丸文字の方に手を伸ばし、そのうちの三つ目『ち』の文字に手を伸ばしてみた。何かを恐れるような表情で、彼女はその様子を見つめている。
『ち』の文字を指で掴んで生地の表面から引っ張ってみると、それはマジックテープで貼り付いていたかのようにペリペリペリ……と音を立てて剥がれてしまった。チョメの手元に、黒い布生地で出来た『ち』という丸文字が残った。
「みっ、みみみみみ?!
みみーっ、みっみっ、みみっみー!」
『ち』の文字が取り上げられたことで、『み・っ・ー』の三文字しか発音できなくなったことに気づいた彼女は慌てているようだった。
その様子を見ているうちに、チョメは何だかゾクゾクするような感じが胸を満たしていっているような気がしていた。
そうして『ー』『み』という順番で一文字ずつ剥がしていくと、最後には『っ』の文字だけが、彼女の胸の膨らみだったものの上に残された。
「…………っ!!
……っ!…っ!
…………っ……」
言葉にならない言葉だけをただただ鳴き声のように発し続ける彼女の姿に何を感じているのか、チョメはその様子をじっと、ただじっと魅入られたように見つめ続けていた。
7.ビックリ箱化
下校時間を考えると、あと一つくらいだろうか。そう思いながら、チョメはアプリに登録されている変化パターンをあれかこれかと見繕っていた。
「よし、じゃあ最後はこれにしようか。
ビックリ箱化!」
その命令が出された途端、それまで箱の中から聞こえていたゴソゴソという物音がピタッと止み、部屋の中にシーンとした沈黙が落ちた。
……おや、どうしたんだろう?
異変を感じ取ったチョメが、大丈夫だろうかと思って箱の方へ近づいていくと……。
「ばあっ!」
「うおっと」
箱の上面が突然パカッと開き、そこから満面の笑みを浮かべたミッチーの姿が出現、接近しかけていたチョメに向かって脅かしてきたのだ。箱から飛び出てきたその上半身は若葉色を基調にしたピエロのような衣装に包まれていて、また胴体のところは見るからに弾力のありそうなジャバラ状を呈しており、いかにもビックリ箱の中に詰め込まれている人形のような格好をしている。
「ぼよよ〜ん!!
私はビックリ箱ミッチーだよ!
その命令を選ぶんだろうなぁと思って先回りして準備しておいたのだ!
どう、チョメスケ君、驚いた?」
「あ、うん、ちょっとだけ」
その反応の薄さに、彼女は満面の笑みを崩し、なんだか不満そうな表情を浮かべた。
「うーん、ビックリ箱の立場からすると、ここで驚いてもらわないと面目が立たないんだけど?」
「ごめんごめん、でもそっちこそ、今のはタイミングの溜め方が少し甘かったんじゃない?
本気で驚かそうとするなら、相手の呼吸を読みながらもっと予想外のタイミングで飛び出さ……」
と、その瞬間、教室のドアがガラガラガラ!と音を立てて開き、その隙間から見回り担当の教師が顔を覗かせてきた。
「ひゃああああ?!!」
「あっ、小林先生、こんにちは。
見回りお疲れ様です」
背後から声をかけられる形となって驚きのあまり飛び退くようなリアクションを取ってしまったチョメスケとは対照的に、ミッチーは平然と小林教諭に挨拶をする。
「うおっ、どうしたんだお前ら。まだこんなところに居残っていたのか。こっちこそビックリしたぞ……。
というか、お前さん、どうしてそんな愉快な格好をしてるんだ……?
それにこの、お前さんの顔のカラーコピーが貼っついたそのドデカい箱は、一体何なんだ……?」
小林教諭は、ビックリ箱のピエロ人形に扮したミッチーの珍妙な格好と、空き教室の床に鎮座した謎の巨大なダンボール箱に怪訝そうな目を向けている。
「あー、これはですね……。
僕たち、今の今まで、ここで状態変化のロールプレイをしていたんですよ」
「状態変化の、ロールプレイ……?」
吹っ飛んだ先の床から起き上がったチョメスケの説明を聞いても、小林教諭は依然訳が分からないというような様子のままだった。
しかし、ここは納得して帰ってもらわないと困る。状態変化同好会はあくまでも学校からのちゃんとした承認を受けて活動している歴とした課外活動の一環なのであって、勝手に居残って遊んでいたなどと誤報告をされてしまうと今後の活動に支障をきたすかもしれないからだ。
このロールプレイの冒頭において、状態変化同好会のメンバーはチョメスケ唯一人であるという説明をしたが、実際はそうではない。正式な届出内容としては、チョメスケとミッチーの二人体制だ。ただ、このロールプレイの間だけ、『ミッチーは変身や変化の“ヘ”の字も知らない』という設定にしたというだけのこと。
勿論、『強制変身アプリ』などという物も実在しない。一応、図書館でプログラミングに関する教本を借りてきて勉強して、最低限の文字やアニメーションを画面上に表示できるようなガワだけの私製アプリを自分で作ることには成功していたので、ロールプレイ中のキーアイテムとしてそれを使いはしたのだが。(ここだけの話、最初は『強制変身アプリって本当に作れないのかな?』と思ってコッソリ色々と調べたりしていたんだけど……、よくよく考えればそんなものを現実に作れるわけがなく、開発を早々に断念したという経緯があったりする……)
「先生も、状態変化というジャンルが世の中に存在しているということはご存知ですよね?」
「あ、あぁ、それぐらいは俺も知ってるが……」
近年、文芸界隈において状態変化という特殊なジャンル、ひいては非現実的な表現を多用する変身譚と呼ばれる作品群が、急激に注目を集めるようになっていた。そのムーブメントが極限まで高まっていった結果、ついには学校の教科書にまで、状態変化作品が載せられるようになったのだった。もう終わりだよこの国語……。
「そうした諸多の表現活動をリスペクトする意味で、我々はこうした活動をしている訳です。誓って我々は、自分たちの疚しい妄想を実現するために乳繰り合っているわけでもないし、他の誰かを貶めるような意図でふざけ合っているわけでもありません。そこだけはどうか理解していただく思います」
「お、おぉそうか……。
分かった分かった、そこまで言われたら、俺からは何も文句はねえよ……」
チョメスケの熱弁が伝わったのか、単に面倒臭くなってきただけだろうか、ともかく小林教諭はそれ以上何かを追及しようという様子はなかった。
「ただ、なんていうんだろうなぁ。
本当は、教え子たちに対してこんなことを言っちゃならないんだが……、お前らって、俺が今まで見てきた中でも、ぶっちぎりでヘンテコなカップルだなぁって思っちまったよ」
「「え?」」
チョメスケとミッチーは不思議そうな目で小林教諭のことを見つめていた。
「「僕たち(私たち)、別に付き合ってませんよ?」」
「は?」
予想外の返事が返ってきて、小林教諭は二人を見返しながらキョトンとした表情を浮かべている。
「「だって、大事な恋人に、そんなおかしな格好させられる訳ないでしょ?」」
「えぇ……」
その言葉を聞いて、先ほど冗談のつもりで述べた自らの思いつきの言葉は、実際は相当的を射ていたらしい、そう確信した小林教諭だった。やっぱりこいつら、ヘンテコ過ぎる……。それ以上何かツッコミを入れるのも阿呆らしいので、「そろそろ下校時刻も過ぎるから暗くなる前に帰れよ」と言い残して、小林教諭はさっさと見回りに戻って行ったのだった。今の何だったんだろうね?と二人は揃って首を傾げていた。
それはさておき、この教室内にいられる時間も残り僅かとなってきたので、今日取り上げてきた題材について、箱の中に仕込んでおいた数々の変身用衣装にも目をやりながら、簡単な感想戦として二人は意見を交わし始めた。
「まずは、ロボット化かな。ロボット化と言われると僕はどうしても『全身を包む着ぐるみみたいな見た目にするしかないのかな』って考えてしまうんだけど、こうやってロボットっぽく見せるための装飾を必要最小限まで削ぐやり方は名案だったね」
「そうでしょ!実はこのアイデア、何年も前から温めてたんだよね。
今日自分の身で体現できて、結構スッキリできたよ」
「なるほど、そんな背景があったのか……」
「自分の中の反省点としては、球体化が上手くいかなかったねぇ。まさか、自分の体型が障壁になるなんて……。
せっかく今日のために、毎晩ストレッチをして体を柔らかくして、身体を丸めて衣装の中に収められるまでに仕上げてきたのに……。こうなったら食事制限でダイエットするとか、肉体改造しなきゃダメなのかなぁ」
「いやいやいや、そこまでしなくていいでしょ。というか、しちゃダメだよ?
健康を損ねたり、元々の身体を傷つけてまでやったって本末転倒なんだから。
僕としては、今日のあれも正直すごく良かったと思うし、クオリティを上げたいと思うなら、また二人で話し合ってやり方を決めていこうよ」
「……うん、そうだね」
ミッチーが少し気が晴れたような表情を浮かべたので、チョメスケもホッとしていた。
少し前のこと、先輩達が引退してたった一人の同好会メンバーとなっていた彼のもとにミッチーが『状態変化同好会に入りたい!』と申し出てきた時のことを、チョメスケは思い出していた。どうせ気まぐれな陽キャの、冷やかし目当ての暇潰しだろう……という彼の予想とは裏腹に、彼女は非常にストイックな姿勢で活動に取り組んでいった。その熱量に当てられて、チョメスケも当時忘れかけていた状態変化探求への情熱を取り戻し、今回キーアイテムとして大活躍したアプリの開発に漕ぎ着けたという経緯があった。
「あと、今回僕の一番印象に残ったことと言えば、反物化あたりかなぁ。
やっぱり物理的に身体の厚みをなくすことはできないから、あまり本物の反物みたく平面的な感じは出せなかったけど……、なんというか、そういうのとはまた別ジャンル的な意味で、めっちゃ良かった気がした……。あの奇妙な感覚は一体何だったんだろう?」
「うん、確かに……。
あまりクオリティが上げられなくて、苦し紛れにその時思いついた要素を片っ端から注ぎ込んだ結果あんな感じになったから、最初はどう着地させればいいんだろうって思ってたんだけど。
正直私も、胸の上から文字がペリペリ剥がされていく時に、内心すごくドキドキしてた……。あれはもしかしたら、すごい鉱脈を掘り当てた瞬間だったのかもしれないね」
「今思えば、あれは一種の“洗脳”ジャンル的な旨味だったのかなぁ。いつの間にか主旨が違うところにスライドしていってしまいそうな……そういう危険性も孕んでいそうだから気をつけなきゃいけないけれど、研究し甲斐はありそうだね。メモっとこう……」
いくら話しても話題は尽きないが、ついに下校時刻を迎えてしまったので、続きは後日ということにする。普通の制服姿にミッチーが着替え終わり次第、身支度と戸締まりをしっかり確認の上、二人は教室を後にした。
その下校途中、不意にミッチーが何か良からぬことを企んでいるような表情を浮かべて、肩を並べて歩いていたチョメスケに問いかけてくる。
「反省会もいいけれど、今回は私が変身する役をやってあげたんだから、次はチョメスケ君が色々変身してくれるんだよね?」
「えっ、まぁ、うん。流れ的にはそうなるよね……」
今日のことで頭が一杯になっていたせいで忘れかけていたが、そういえばそういう話もしていたような……。そんな風に頑張って思い出そうとしていた彼の目の前に、ミッチーが自らの取っておきであるネタ帳を掲げて、その中身を見せつけてきた。
「私も今日色々恥ずかしい格好をさせられたからなー?チョメスケ君にもそれなりに“ヤバい”格好をしてもらわないと、釣り合わないよねぇ?
例えば、これとか、これとか、これとか……」
いや、恥ずかしいとか言いながら、あなた全部ノリノリでやってらしたじゃないですか……。
前にチラッと見せてもらったことはあるものの、改めてそのネタ帳を見てみると、そこにはとてもカタギの方々には見せられないような……なんとも禍々しい腐臭すら漂う文字列が強い筆圧でもって刻み込まれていた。控えめに言ってそれは特級呪物、ネクロノミコンの類であった。
入会したての彼女とブレインストーミングし始めた段階でチョメスケは既に気が付いていたのだが、ミッチーはその時点でなかなかの“上級者”だった。
「気づいたら自分の◯◯から出てきた××になり変わられてて、いつの間にか意識が乗っ取られてるっていうのもオイシイよね〜。その状態で抵抗できないまま◇◇に流されちゃうっていうのも相当アリ……。あ〜、想像するだけで✳︎✳︎してくるぅ〜♡」
こんな感じで、チョメスケと一緒にいる時にはとてもクラスメイトにはお聞かせできないような妄言を口にすることが増えてきていた。クラスのみんなには内緒だよ!いや、冗談じゃなしにマジで内緒にしといてくれよ、絶対口滑らせるんじゃねえぞ……。人間二人分の社会的信用が軽く吹っ飛ぶような爆弾だからなそれ……。彼女が入会してきてからというもの、すっかり彼女のストッパーとしての役割が板に付いてきたチョメスケは、内心では戦々恐々としながらも、彼女のそのとめどなく且つ予測不能なインスピレーションの数々に興味深く耳を傾けずにはいられないのだった。
今回はなんとかミッチーのリビドーを押さえ込み、比較的マイルドなアイデア群だけを抽出することに成功したものの、次回はどうなるか分からない。
そもそもの話、彼女の嗜好は学校内の同好会としてそのまま具現化するには明らかに度を越していた。今のところはまだギリギリのところで制御できている範囲だろうが、もしこのままエスカレートしていくとしたら、下手すれば校内校外問わず、あるいは成人しているかしていないかを抜きにしても、“公序良俗に反する”ものとして一発でしょっ引かれてしまうような恐るべきモンスターへと成長していってしまう可能性も……。
今後、どうやって彼女をコントロールしていこうかと頭を悩ませている彼はしかし、心のどこかで『一体、僕は、どれだけとんでもない姿に変身させられてしまうんだろう……』と想像を膨らませながら胸を高鳴らせている自分にも、気付きつつあるのだった。
おわり
自分で書いておいて言うのもなんですけど、状態変化同好会って一体何なんでしょうね……