1-6:”魔染獣”の目覚め
「嘘だッ!」
突然叫んだストロヴェルの声の大きさに、黒ずくめの魔導師も驚愕する!
その拍子に緩んだ拘束を跳ね除け、続け様に叫んだ!
「『ラピス・ラズリ』がそんなものを渡すハズがない!」
いや、待て!?
この” 記録結晶”は『ラピス・ラズリ』の備品だが、ストロヴェルに直接手渡したのはカメリアだ。
「まさか……!?」
嫌な想像に、声が震える。
黙って見ていた黒ずくめの魔導師が、ため息を付く。
「何やら複雑な事情がありそうですが……今の貴女に必要なのは、この場をどうするか、と言う事ではないですか? 一応、テロリストと対峙しているのですよ?」
こちらの事情も知らずに、勝手な事を言う彼女を睨みつけた。
「お前は……何で『ラピス・ラズリ』の”マギ・コード”が読み解けるんだ!?」
「わたしも魔導をそれなりの時間、探求した身……とだけお答えします」
簡潔に答える、黒ずくめの魔導師。
「そんな事よりも、どうするのですか?
自分が自爆させられそうになったと解っても、わたしと闘いますか?」
「…………」
一瞬黙り込んで……ストロヴェルは胸の前で腕を構えた!
魔力を魔導石に集中させ、”マギ・コード”を組み上げる! 両手のあいだに、魔法が編み上がって行く確かな手応え!
「……わたしは、『ラピス・ラズリ』の魔導師だ!
魔法が使えなくたって、任務は果たさなきゃならない!」
「ほう……!」
黒ずくめの魔導師が空中を見上げて、感嘆の声を上げる。
ストロヴェルの周辺に組み上げられた”マギ・コード”の構成は、魔導師である相手にも視えている様だ。
恐らく最下級魔導師に認定されたストロヴェルが、巨大な”マギ・コード”の構成文を編み出した事が意外だったのだろう。「そんな”マギ・コード”を発現出来るほどの魔力を持っているのか?」と言う驚きだ。
”マギ・コード”は組み上がるのだ。
だが、その先が続かない……。
「それならば、手加減は無用!」
黒ずくめの魔導師が高らかに宣言する!
―― 嘶け雷鳴、穿て雷光! ――
「迸れ! ”雷衝撃”!」
再び穿たれる、紫電の茨! しかも、その威力は先ほどよりも強力だ!
この狭い地下空間では――もはや躱せない!
一か八か――!
「お願い、発動してっ! 発現せよ! ”連光弾”!」
願いを込めて、魔導石の中に組み上げた魔力を、火球の連弾に変換する!
突き出した腕とともに、確かな手応えを伴って魔力が、前方に放出された!
しかし――それだけだった……。
噴き出したストロヴェルの魔力は、”連光弾”を構成するどころか、小さな光ひとつ発せず、虚空に霧散して行く……。
「……どうしてよ……っ!」
掠れた声を振り絞り、ストロヴェルは俯いた。
その彼女の姿を、巨大な雷の茨が絡め取る! ――ハズだった!
バチンッ! と言う耳を貫く鋭い音とともに、周囲が一気に薄暗くなる!
「え……ッ!?」
頭を上げる! 周りを見渡せば、ストロヴェルを襲わんとしていた紫電は跡形もなく消え去っていた。
それだけではない!
地下空間を薄ぼんやりと照らしていた照明の光も落ちて、数メートル先も見えない闇に包まれている。
「何ですって……!?」
遅れて、黒ずくめの魔導師が驚愕の声を上げる!
「わたしの”雷衝撃”を消し去った!? いったい何をしたのです!?」
「し……知らないよっ! わたしは何もしてない!」
問い詰める黒ずくめの魔導師に、本当に何が起きたのか訳も分からず首を横に振るストロヴェル。
その黒ずくめの魔導師の方を振り向いて――息を呑む!
消えた魔法。消失した照明――。薄闇の中で輝いているのは、”魔動炉”の高性能魔導石のみ。それと四基の”制御棒”……
「”制御棒”が……半分止まってる……!」
「何……っ!?」
慌てて背後を振り向く黒ずくめの魔導師!
八基あった内の半分、彼女たちに近い方の”制御棒”四基の光が、完全に消え失せてしまっている!
何故止まった!?
周囲の照明や、黒ずくめの魔導師の魔法が消失した事と、関係があるのか……!?
いや、今考えるべきは、そんな事ではない!
”制御棒”はその名の通り、”魔動炉”の魔導石を制御する為に機能しているのだ。その内の半分までもが停止したら――!
「マズイッ!」
危険を悟り、こちらに飛び込んで来る黒ずくめの魔導師!
静電気が弾ける様な乾いた音をバチバチと立てて――”魔動炉”の高性能魔導石から火花が散り始めた!
青白い光の粒子が無数に舞い上がり、周囲を旋回し始める。
「身体から……光が……!?」
気がつけば、光の粒子はストロヴェルの身体からも吹き出し、高性能魔導石へと収束していた。ともに引き寄せられる様なちからを感じ、ストロヴェルの脚が二、三歩前にたたらを踏む。
「ダメです、離れなさい!」
慌てた様子で黒ずくめの魔導師が、高性能魔導石に引き込まれかけたストロヴェルの腕を引き戻す!
「もっと離れて!」
黒ずくめの魔導師に引かれ、魔導石から距離を置く。周囲を滞留していた光はさらに激しく輝き、それはもはや光の奔流となっていた!
「”魔動炉”が……魔力を吸収してる!?」
荒れ狂う光は、タダの光ではなく周囲から流れ出した魔力!
「やはり……予想していた通り……」
黒ずくめの魔導師がマスクの下で歯を噛み締める音が、聞こえてきた。
「この魔導石は……”VERDIGRS”!」
その叫びとほぼ同時に、一際大きなフラッシュが地下空間を覆う!
光源が失われた闇の中で、”VERDIGRS”と呼ばれた魔導石だけが、目を射抜く様な真っ青な光に包まれていた。
金属で出来た”魔動炉”の本体は、真っ赤に焼け上がり、”VERDIGRS”が恐ろしい熱量を放っている事が伺える。
その”VERDIGRS”そのものも、自らが放つ熱量に耐えられず、表面が溶け落ち,
粘液をぶちまけていた。
コポコポと軽い音を立てて泡立ち光る緑青色の液体。
一瞬の静寂を経て――
ゴボッっと大きな音を立て、液体の中から『腕』が立ち上がった!
大した深さもない液体から生えた腕は、向こう側が透けて見える半透明で、その表面の至るところに結晶の様な緑色のウロコが密集している。
これは――!
「”魔染獣”!」
ストロヴェルが叫ぶと同時に、液体が沸騰したかの様に泡立ち、膨れ上がり、”魔動炉”を包み込んで行く!
膨れ上がった泡は、やがてしなやかな女の上半身を描き出す!
僅か十秒ほどで、半透明の身体と結晶のウロコを持つ、上半身だけの女の魔物”魔染獣”が姿を現した! その胸の膨らみの奥には、”魔動炉”の心臓部だった”VERDIGRS”が、文字通り光り輝き脈打っている。
「逃げますッ!」
開口一番、黒ずくめの魔導師が奥の通路に向けて大きく跳躍する!
「ま……待って……!」
慌てて後を追って駆け出すストロヴェル。既に数メートル先に着地した黒ずくめの魔導師の背中を、必死に走って追いかける。
「何をしているのですかッ!?」
後れを取ったストロヴェルに、非難の声を上げる。
ストロヴェルが決してどんくさい訳ではない。黒ずくめの魔導師が、魔法の圧力によって機動力を底上げしているのに対し、魔法が使えないストロヴェルは足で走るしかないのだ!
開いた距離は数メートルほどでしかないが、その差が命運を分けた。
奇声とともに、”魔染獣”の大きな顎の中に青白いプラズマの火球が生み出される! 唸りを上げて射出されたプラズマ火球が、ふたりのあいだに着弾した!
地下道を揺るがす爆炎と轟音に巻かれ、ストロヴェルは元来た方向に跳ね飛ばされる!
「きゃあッ!」
壁に後頭部を強打し、視界が暗転! 床に崩れ落ちる……。
「大丈夫ですか!?」
黒ずくめの魔導師が、燃え盛る火炎の向こうで叫ぶ!
脳震盪を起こした、ストロヴェルは立ち上がれず、床に溜まっていた油とホコリに塗れて、呻いた。
その彼女の上に、”魔染獣”の巨体が影を落とす!
霞んだ紅と碧の瞳で、”魔染獣”を見上げる……。
その顎の奥の真っ暗な闇に――再び灯る青白い火球!
この至近距離で喰らえば、ストロヴェルは人のかたちをした炭と化す!
「何でよ……!? 何でわたしばっかり、こんな目に遭うのよ……っ!」
助からない事を悟って――ぎゅっと目を瞑る。
突っ伏したまま、なすすべなくストロヴェルは頭を下げた。
”魔染獣”の放ったプラズマ火球が――ストロヴェルの小さな身体を真っ青に飲み込んだ!
遥か遠くで聞こえる、黒ずくめの魔導師の叫び声……。
全身を焼き尽くす痛みを覚悟する! ……だが!
火球は彼女を襲わず、外れた場所に着弾し、轟音と爆風が真横から吹き付けた!
「アンタ、こんなところで何をしてるワケ?」
「!?」
聞き覚えのある声に――ストロヴェルが顔を上げた!
目の前には変わらず”魔染獣”の巨体。
――その手前に、こちらに背を向けて佇む、赤毛の女の後ろ姿。
どうしてこの人が、ここにいる!?
ストロヴェルは、肺の奥から命一杯空気を絞り出して、彼女の名を呼んだ!
「ルージュさん!」
次回 第二章『赤毛の魔導師ルージュ』
2-1:最下級の魔導師