1-5:”魔動炉”のテロリスト
朝一番に『ラピス・ラズリ』を出発したストロヴェルが七番街に到着したのは昼を過ぎたころ。
太陽が真上に来ても薄暗い七番街の表通りに、彼女はぽつねんと佇んでいた。
一番街に比べるとホコリっぽく空気が淀んでいる。路地には古ぼけた怪しげな雰囲気の店が軒を連ね、やはり怪しげなものを売っている。
道を行き交う住人の人相も悪く、身綺麗なストロヴェルを睨んで来る者もいた。
赤茶けたレンガ造りの外壁に無数の配管が伝う雑居ビル群が、鈍色の空にそびえる。スモッグの向こうに、天を貫く巨大なタワーが薄っすらと映っていた。
その光景に、うすら寒さを覚えて震えあがる。
街も空気も何もかもがキレイな一番街とは雲泥の差である。
とても、同じ『フォス・フォシア』の街とは思えない。
ここ『フォス・フォシア』では番地が上がるほど、吹き溜まりの様相が強くなる。七番街ともなれば、ひとりで歩き回るのはリスクが伴う。
内心は、恐怖でいっぱいだったが、表面では堂々とした態度を取り繕った。
こんな煤けた街の路地で、ストロヴェルの様な娘がひとりぽつんと佇んでいれば、変な輩に声をかけられ、あっという間に人気のない裏路地へ連れ込まれてしまうのがオチだ。
そうならないのは、ストロヴェルが『ラピス・ラズリ』の制服姿だからである。例え非力そうな少女でも、魔導師にちょっかいをかける愚か者はいない。
だが、今のストロヴェルは魔力を失った、本当に非力な少女そのものだ。
故に、堂々と立ち回り、魔法が使えない事を見抜かれない様に振舞わなければならない。
ふと――視線を感じて、そちらへ目線を向ける。
通りに面した店の軒先で、何をするでもなく突っ立っていた大柄な男と目が合った! 彼が、ニヤリと笑う。
咄嗟に目を逸らすが、その男がゆっくりとこちらに歩み寄って来るのが、視界の端で見えていた。
余裕の無さを悟られたか?
「さっさと終わらせて、帰ろう……!」
駆け出す様な速足で、ストロヴェルは目的の”タイタンフェイド魔動炉”を目指した。そろりと後ろを見れば――幸い、さっきの男が着いて来る気配は無い。
安心して息を付く。だが、あまり一ヶ所に立ち止まっていない方が懸命だろう。
歩きながらバッグの中の地図を取り出す。
もちろん、紙の地図である。
カメリアから預かった”記録結晶”には、目的地の地図がしっかりと道案内付きで納められている。が、”記録結晶”を起動するにも魔力が必要不可欠だ。今のストロヴェルには、使えない代物である。
その配慮もなされない辺り、自分は本当に最下級魔導師に成り下がったのだと自覚し、またしても涙ぐんだ。
彼女の目指した先は、ビルとビルのあいだにある細い袋小路。いや、目を凝らせばその突き当りに地下へと続く古ぼけた石段が、顔を覗かせていた。管理が行き届いていないのか、不正侵入を防止する鉄柵はボロボロで、意味をなしていない。
そっと地下道の入口を覗き込む。
奥は暗闇になって見えないが、入口周辺でさえ、崩落するのではないかと言うくらいボロボロで、壁面は煤で汚れ、良く分からない粘液がこびりついている。
どんよりとした気持ちで、ストロヴェルは薄暗い地下道へと足を踏み入れた。
地下には、市民たちのライフラインが無秩序に張り巡らされている。
水やガスを送る配管。電力を供給するケーブル。それらが絡み合い、ほつれ、滴る。ゴンゴン唸る機械から放出される熱と、配管から漏れた水蒸気とで、むせる様な熱気と湿気が充満していた。
ぽつぽつと配置された裸電球と見取り図を頼りに、奥へ奥へと進んで行く。
「ここを左……だよね?」
まっすぐに伸びた通路の壁に、いくつも口を開く横道のひとつを覗き込む。見取り図では、これ以外の横道はないハズだが、実際には無数の通路が網の目の如く走っている。
区画整理が施された一番街ならばともかく、行政の手が行き届かない七番街の地下は、不法増築が繰り返され、一度迷えば出られない迷宮と化してた。
地図を頼りに右へ左へ、時にはさらに地下へ。
しばらく歩いて行くと、やがて通路の前方から淡い緑色の光が差し込み始めた。
「見つけた!」
地図を荷物に仕舞い込み、光の下へと歩みを進めて行く。
そこは――やや広い円柱形の部屋。ひと際高い天井は暗くて良く見えない。
その部屋の中央に、大きな柱があった。いや、ぱっと見は柱だが、よく見ればそれは無数の配管やケーブルの束だ。その”柱”は、中腹から上下に分断されている。
その空隙で、回転しながら妖しく緑に輝く宝石――魔導石だ。
これが、”魔動炉”と呼ばれるエネルギー炉である。
高性能魔導石の放出する魔力を利用して、蒸気機関や発電機を稼働させる装置で、柱にセットされた魔導石は、常に煌々と輝き、時折火花の様な魔力を弾き出している。
その周囲を、更に八基の細い柱――”制御棒”が囲む。この”制御棒”にも魔導石がはめ込まれており、それらが造る結界が、”魔動炉”の出力を制御しているのだ。
”魔動炉”にはそれぞれ固有の名称が付けられており、これは”タイタンフェイド魔動炉”と言うらしい。名前など、どうでもいいが……。
慣れない場所、湿気と鼻を衝く嫌な臭いの立ち込めた地下。
配管を通る蒸気の熱で、ここに至るまでにローブは汗でびっしょりである。
「これも全部、カメリアのせいだ……!」
荷物の中から、預かった”記録結晶”を手にする。
透き通ったプレートの内部には細かい魔力回路が無数に走り、時折その回路が不規則に輝く。魔力によって書き込まれた”マギ・コード”が反応しているのだろう。
これと、”魔動炉”に装填された古い”記録結晶”を交換すれば任務完了である。
ストロヴェルはため息をついた。
確かに魔法を使う必要も無い簡単な任務である。簡単ではあるが、二度とこんな場所へは来たくない。しかし、最下級魔導師に認定された以上、今後もこう言う仕事ばかりやらされるのだろうか……?
考えれば考える程、気持ちが滅入り、ストロヴェルは大きく首を振った。
気を改めて、低く鈍い唸りを上げる”タイタンフェイド魔動炉”に歩み寄って行く……。
すると――。
「誰かいる……!?」
”魔動炉”から噴き出す光が逆光となり、近づくまでまったく気が付かなかった。
その根元に――人が立っているのだ!
「!」
向こうもこちらに気が付いたらしい。
こちらに背を向けていた人物が、振り返る。
その容貌に、ストロヴェルは息を呑んで後ずさった。
真っ黒いローブを纏い、顔もフードとマフラーで隠した黒一色の人間。
その手には、大きな錫杖を携えている。先端に三日月形のレリーフをあしらった中々立派な杖だ。その三日月形のレリーフにはめ込まれた大小ふたつの紅い魔導石――。
魔導師だ!
「え……っと……」
あまりの出来事に、ひっくり返った喉からやっと声を絞り出す。
「ここで……何をしているのですか?
ここは”魔動炉”です。関係者以外は立入禁止です!」
次第次第に喉が解れ、声を大きく響かせてストロヴェルは叫んだ。
「…………」
黒いローブの魔導師は、無言で佇むのみ……。
”魔動炉”に用ある人間など限られている。
メンテナンスの作業員か、破壊活動を目的としたテロリスト。あるいは、その技術を盗むべく送り込まれた隣国のスパイ。そんなところだ――。
まずメンテナンス作業員はあり得ない。ストロヴェル自身が、そのメンテナンスの為に送り込まれた本人だからだ。
ならば、この黒ずくめの正体は後ふたつのいずれかしかない!
こちらの動揺を察したか、黒ずくめの魔導師がゆっくりと歩み寄って来る。
ストロヴェルは、血の気が退いて目の前が真っ暗になるのを感じた。
こんな薄暗い穴倉に放り込まれた挙句、魔法が使えない状態で魔導師と接敵するとは……。
こう言うリスクを背負って、仕事をするからこその最下級魔導師なのだが、それにしたところで、初日にそのリスクに直面するとは、何と言う不運か……。
”記録結晶”、ルージュさんに返せないかも知れないな……。
ぽつりと、心の中で呟くストロヴェル。
黒ずくめの魔導師の、フードとマフラーの隙間から覗く眼が、ぎらりとストロヴェルを睨む。
「……『ラピス・ラズリ』の魔導師ですか……。こんなにも早く刺客を送り込んで来るとは……意外と優秀な組織ですね」
それは女の声。
イメージに反して透き通った黒ずくめの魔導師の声が――”魔動炉”の内部に木霊した。
「わたしは『ラピス・ラズリ』のストロヴェル。”魔動炉”のメンテナンスに来ました! あなたはここで何をしているんですか!?」
黒ずくめの魔導師に、ストロヴェルは怒鳴りつけた!
「メンテナンス……?
なるほど、『ラピス・ラズリ』が魔導師の部隊を送り込んで来たにしては早すぎると思いましたが、貴女はメンテナンス作業員でしたか」
黒ずくめの魔導師がブーツの踵を踏み鳴らし、ストロヴェルに近寄って来る。
その気迫に圧され、数歩後ずさるストロヴェル。
かつんッと、鋭い音を響かせ、黒ずくめの魔導師が、錫杖の柄尻を金属の床に打ち立てた!
「ならば、悪い事は言いません。何も見なかった事にして、すぐにお帰りなさい」
「そうは行かないわ!」
自分に言い聞かせる様に、ストロヴェルは声を大にする。
「わたしだってこれでも『ラピス・ラズリ』の一員だ。テロリストを黙って見過ごすワケには行かない!」
「テロリストですか……。まぁ、貴女から見ればそんなものかも知れませんね」
クスクスと笑う黒ずくめの魔導師。
「お願いです! そっちの方こそ、何もせず引き上げて下さい!」
ストロヴェルの懇願を聞き終える事なく、黒ずくめの魔導師が、錫杖をこちらに突き付けて来る!
「迸れ、”雷衝撃”!」
杖の先端の魔導石から放たれた紫電が、ストロヴェルの身体を絡め取った!
「きゃああッ!」
全身を走った電撃と衝撃に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられて悲鳴を上げた!
悠々近づいて来た黒ずくめの魔導師が、ストロヴェルを壁に抑えつけ、そのローブの胸元に腕を差し込む!
「何するのっ!?」
胸をまさぐられ、思わず抗議の声を上げる!
無論、相手の目的はそんなものではなかったが……。
黒ずくめの魔導師の腕は、ポケットに仕舞われていた”記録結晶”を捜し当てる。
片手でストロヴェルの肩を抑えつけたまま、もう一方でふたつの”記録結晶”を取り出した。
「中身を拝見させてもらいます」
器用に片手で”記録結晶”を回転させ、手のひらの上に重ねて置くと、”マギ・コード”を展開して、起動させた。
薄暗い地下道が光の粒子で照らされる。
片方の”記録結晶”が投影したのは、ストロヴェルの身分証。
「ストロヴェル=スィートハート。
階級は、最下級ですか。『ラピス・ラズリ』にも最下級魔導師が所属しているとは知りませんでした」
そしてもう片方――カメリアから預かった”記録結晶”。
「…………?」
こちらの内容に目を通した黒ずくめの魔導師が、しばし沈黙する。
その内容は、カメリアが語った通り、”魔動炉”を制御する為のコードが書き込まれている。……ハズである。
空中に投影された異様に長い”マギ・コード”の羅列は、ストロヴェルが見てもほとんど意味を理解出来なかった。
「スィートハート。貴女はメンテナンスの為に来た、と言いましたね?」
「そうだけど……それがどうかした!?」
「本当にそう命令されたのであれば……貴女は騙されています」
「騙されている?」
黒ずくめの魔導師の言葉の意味が分からず、オウム返しに問い返す。
「この”記録結晶”に書き込まれた”マギ・コード”は、”魔動炉”を暴走させる為のコードです」
次回 1-6:”魔染獣”の目覚め