8-3:業火の淵
一度、すべてを棄てれば、後はとても簡単だった。
目の前にいる、このバミューダの命を刈り取る。ただそれだけに、ストロヴェルは集中した。
ただでさえ利き腕を折られ、攻撃力の半減したバミューダは、防戦一方だった。
ストロヴェルの恐ろしいまでに執拗な連撃を、何とか”魔法障壁”で、弾いてはいるもの、余波のすべてを防ぎきれてはいない。
上等なローブは焼け焦げ、小奇麗な青い髪が燃え落ちて行く。
必死に距離を取ろうとするバミューダだが、吸い付く様にピタリと並走するストロヴェルの動きを躱す事は出来ない!
全身に灼熱した魔力を纏ったストロヴェルの拳が、バミューダの腹を捕える! 当然、張られていた”魔法障壁”などガラスの如く砕け散り、爆圧が彼女の内臓を損傷させた!
「がは……ッ!」
血反吐を吐いて、うずくまるバミューダ!
何とか持ち上げた顔に深く刻まれた、恐怖の表情。かつての娣子にまったく歯が立たず、追い込まれた事を悟った絶望が色濃く宿っている。
一歩、ストロヴェルはバミューダに距離を詰める。
悲鳴を上げて、仰け反るバミューダ。
「く……来るな! 近寄る出ないッ!」
目の前に迫り来る”魔染獣”に、恐れをなし尻もちをついて、無様に後ずさる!
当然だ。彼女には――”精神支配”によってストロヴェルの心を射止める手段が失われた。
それがあったが故の、優位だったのだ。
今、彼女は絶対に勝つ事の出来ない”魔染獣”を相手に、ひとりで立っているのである。
「近寄るな、この化け物めッ! そんな汚れた身体で、わたくしに触れるなッ!」
さっきまでの「最強の魔導師」だの「最愛の娣子」だのと言ったセリフはどこへやら、自分が造った合成生物に、罵詈雑言を吐きかける。
心底嘆息して、ストロヴェルは悠々とバミューダに歩み寄った。
「おのれッ! 「跪け! ”精神支配”!
ひ……っ、跪けぇッ!!」
枯れた叫び声を上げ、指先に生み出した光を無我夢中で連発するバミューダ!
自我のある人間に”精神支配”など大した効果は無い。そんな基礎的な事すら忘れるほど、彼女は狼狽していた。
「この……化け物がッ!」
ひっくり返った奇声を上げて、飛び起きる!
ローブが焼けて露わになった胸元の魔導石に”マギ・コード”を組み込み、”光弾”を編み上げて、至近距離にいるストロヴェル目掛けて叩き込んだ!
流石に特大の”光弾”だ!
もちろん、生身の人間が造るにしては、である。
そのまま直撃しても大したダメージは無いが……
ストロヴェルは、左腕で直撃寸前の”光弾”を抑えると――書き込まれた”マギ・コード”を修正した!
一瞬走った”マギ・コード”の構成文が、バミューダにも見えただろう。
「な……ッ!?」
自分が投射した魔法の”マギ・コード”を書き換えられる、などと言う非常識な現象を目の当たりにして、彼女は絶句した。
「返すよ」
”マギ・コード”が変換された”光弾”は、新たな主の命に従い、バミューダを襲った! 完全な不意打ちに成すすべなく、その姿が青い爆炎に包まれる!
強烈な閃光と爆音すら上回る、この世の終わりかと言う様な絶叫が、ドーム内に木霊した!
ぱんぱんっと、肩に降り積もった煤を払いのけて、ストロヴェルは息をつく。
広がった炎が収まり、もうもうと上がる黒煙が薄らいで来ると――ボロボロになったバミューダが、ゆらゆらと歩み出して来た。
どうやらギリギリで”魔法障壁”を展開した様だ。しかし、ローブはボロボロで着ていると言うより引っかけているだけ、髪はボサボサに乱れ、全身血塗れの満身創痍。目も虚ろで、口を半開きにして呻きながらヨタヨタ歩く姿は、さながら幽鬼の様ですらある。
勝負あった――。
ストロヴェルは確信した。
躊躇いなく、ストロヴェルは左腕を掲げ、トドメを刺しに行く!
「ダメよ、ヴェルッ!」
一瞬遅れて、ルージュが叫ぶ!
時すでに遅く、放った熱線がバミューダに直撃した!
衝撃をまともに受けて、その身体が溶鉱炉のフェンスに叩きつけられる! 鋼鉄製のフェンスが、ぐにゃりと曲がり、それにもたれかかるバミューダ。
鉄柵に腕をかけ、崩れ落ちる身体を何とか支える! まだ耐えるとは頑丈な女だが……。
これで終わりだ!
「お願い、ヴェル! 止めて!」
ルージュの鬼気迫る叫び声に――はっと息を呑む……!
ストロヴェルの中で――切れていた何かが結びつく。蒼く淀んだ瞳に、光が戻って行く……。
もはや意識のないバミューダがズルズルと崩れ落ちる。その寄りかかったフェンスが衝撃で歪み――音を立てて折れた!
溶鉱炉の中に、バミューダの姿がフェンスごと飲まれて行く……。
「ダメだッ!」
その腕を――ストロヴェルは、横っ飛びで捕まえた!
宙づりになったバミューダの身体が、辛うじて空中に留まる!
マグマに触れた黒髪の先端から火が上がる。慌てて彼女の身体を持ち上げ、溶鉱炉の淵に放り投げた!
燃え上がったバミューダの黒髪を踏みつけ、必死に炎を消す!
荒く息をついて――ストロヴェルは、両手で顔を覆った。
指のあいだから、青色の涙がポタポタと零れ落ちる。
また、人の命を――殺めるところだった……。
以前、カメリアを”魔染獣”にした時、あれだけルージュに怒られたにも関わらず――また、同じ過ちを繰り返すところだった……!
元から破壊の意志しか持たない”魔染獣”は間違いなく「化け物」だ。
しかし――
「命を奪う決断が出来るわたしも……バミューダ様の言う通り、化け物だっ!」
大きな闘いの後に残ったものは――小さな少女の嗚咽だった……。
***
「終わったみたいね……」
ルージュは、息を付く。
ストロヴェルとバミューダの闘いは、何とか双方とも命を落とさず決着した。
情けない話だが、両者のあまりにレベルが違う闘いに、もはや近づくどころか身体が竦んで動く事すらままならなかった。
ルージュとて、所詮はどこにでもいる中級魔導師に過ぎないのだ。このレベルの闘いになってしまうと、傍観者に成り下がってしまうのも、致し方がない。
「でも、アタシにはまだ、やるべき事があるわ」
自分に言い聞かせて、頷く。
口を半開きにしたマヌケ面で、ストロヴェルたちを見下ろしているカメリアを見る。彼女から見ても、ストロヴェルとバミューダの争いは次元が違ったのだろう。
上級魔導師でも、自分と同じ感想を抱いているのだと思うと、この生意気な少女にも不思議と親近感が湧いた。
「カメリア」
呼ばれて我に返り、ビクッと身体を震わせるカメリア。
その彼女に、改めて手を差し出す。
「さっきは、ありがとう! 助かったわ」
ルージュの礼に、気まずそうな表情で俯く。
「さあ、後は貴女次第よ。”VERDIGRIS”を渡してちょうだい」
自分の手の中に納まっている青い結晶体を見下ろし、カメリアは複雑な表情を浮かべた。
「……本当だね?」
「?」
ぽつりとカメリアが呟く。その蒼い瞳に不安を湛えながら、顔を上げた。
「本当にこの”VERDIGRIS”を渡せば、ストロヴェルを助けてくれるんだね?」
思わぬ言葉にポカンとした表情になるルージュだったが――すぐに微笑んだ。
「何なら、貴女がヴェルを助けてくれてもいいのよ? 貴女の方が魔導師として上手なんだから」
カメリアは大きく首を横に振って―― ”VERDIGRIS”を差し出した!
「失敗したら、ストロヴェルの命がないんだろう!? アタイにはそんなの無理だ!
アンタに任せる! ストロヴェルのヤツを助けてやってくれ!」
ルージュは、カメリアの金髪を撫でると、――強く笑って ”VERDIGRIS”を受け取った! カメリアも――はにかむ様に笑って見せる。
「任せておきなさい!」
自分に勢いをつけるつもりで、ルージュは叫び、友人の下へと飛び出した!
次回 8-4:結びつく、ふたりの心




