1-3:魔力の喪失
***
「魔力測定値……『0』です」
「え……?」
あまりに間の抜けたストロヴェルの声が、『ラピス・ラズリ』の施設内に響き渡った。ほぼ同時に鳴り響いた柱時計の正午を告げる音が、その間抜けさを更に際立たせる。
自分でもそう思わずにはいられない程、ピントのずれた声だったと自覚出来た。
場所は先日と変わらぬバミューダの執務室。
やはり自分のデスクに腰かけるバミューダ。今日は、事務員の女がその横に控えている。
対面して座るストロヴェルの目の前には、複雑な金属細工が施された魔導石。特に輝きを放つ事もなくデスクの上に鎮座している。これは魔力測定機。術者の魔力量を簡易的に数値化する装置だ。
「も……もう一度やってみます!」
上ずった声で、ストロヴェルは胸の前で腕を組み、意識を集中させて”マギ・コード”を組み上げた。胸に埋め込まれた魔導石が、確かに魔力を編み込んで行くのが感じ取れる。
両手のあいだに生まれた、確かな魔力の構成を、そっとデスク上の魔力測定機に移し入れる。
しかし――
生まれていた光は、魔力測定機に光を灯す事なく霧散する……。
「……変わりありません。やはり魔力は『0』です」
淡々とした声で、事務員の女が呟く。
「そんな……!」
愕然とした表情で、ストロヴェルは無言の魔力測定機を見つめた。
その先に座るバミューダも唖然とした表情をしている。
魔導石移植術式が終わり、どの程度の魔力を出力出来るか、試してみようとした矢先の出来事だった。
もちろん、手術痕も未だ癒えず、新しい魔導石のコントロールも完璧には程遠い。この魔力測定値とやらの基準も、ストロヴェルには良く分からない。
しかし、『0』と言うのが論外なのは、誰の目から見ても明らかである。
それはつまり、魔導師としての才能がない――と言うのと同義だからだ。
恐る恐るバミューダの顔色を伺う。
彼女も信じられないと言う感情を隠す事が出来ない、微妙な表情をしていた。
が、意を結して言葉を紡ぐ。
「まさか……ストロヴェルの魔力が消えてしまったと言うのですか……!?」
「どうしてですかッ!?」
デスクを両手で叩き、怒鳴る!
自分でも驚くほどの声量にストロヴェル自身の心臓が跳ねた! 師の目の前での不躾な態度に口元を抑えて席に戻る。
「す……済みません! ……つい、感情が昂って……!」
何とか平静を装って頭を下げるが、声は掠れ、両肩の震えが止まらなかった。
流れる涙を隠そうと、両手で顔を覆う。
デスクを回り込んで、バミューダが嗚咽するストロヴェルの両肩に優しく手を差し伸べた。
「謝る事はありません。これは……あまりにも想定外な事態です」
バミューダの顔を見る事が出来ず、俯いたままストロヴェルは声を振り絞る。
「その機械が壊れているんじゃないんですか……!?」
「残念ながら、この測定値に間違いはありません」
バミューダに比べ、淡々と事実を述べる事務員の女。彼女はストロヴェルとも”青眼の魔女”とも関係のない人間なのだから、当然だ。
「スィートハート。貴女の魔力は……完全に消えてしまっています」
はっきりと言われ、ストロヴェルの心の中は不思議と整理された。
「術式が……失敗したって事ですか……?」
「事前に説明した通り……万が一の失敗は当然想定されます。しかし……現実に……しかも、魔力が消え去ってしまう等と言うかたちで起こるなど……!」
質問に対し、明らかに動揺した返事をするバミューダ。
「ストロヴェル。貴女に授けた魔導石……。保管中に何か、不審な点はありませんでしたか?」
問われてはっと息を呑む!
半ば無理やりだったとは言え、誰にも触らせるなと厳命された魔導石を――カメリアに触らせた。
まさか――あの時、魔導石に何かされたのか!?
例えば――すり替えられた……とか?
「……カメリアに、魔導石を触らせました」
「カメリアに……!? またあの娘が、貴女にちょっかいを出したのですね!?」
憤った声色で、バミューダが声を荒らげる。
「でも、特に何かされたと言う証拠はないです……」
対照的に沈痛な表情のストロヴェル。例えカメリアが、魔導石にイタズラしたのだとしても、彼女に魔導石を触らせたのはストロヴェルの責任だ。もし、それが原因で魔導石移植術式が失敗したのだとすれば――悪いのは自分である。
「すぐにでもカメリアを呼び出し、真相を追求したいところですが――そんな事をすれば、エルダーメンバーが黙ってはいないでしょうね」
この『ラピス・ラズリ』を運営する貴族団体”エルダーメンバー”。その内のひとりハッピーバースディ卿は、カメリアの祖父である。バミューダと言えど、エルダーメンバーの怒りに触れれば、一発でクビが飛んでしまう。
スポンサーとは言え魔導師でもないエルダーメンバーが、魔導師ギルドである『ラピス・ラズリ』の実権を支配している事に、不満を持つ魔導師は多い。バミューダもそのひとりだ。
そのバミューダの指揮下にカメリアがいるのは、――本人の実力もあるが――”青眼の魔女”に対しても支配を及ぼそうと言うエルダーメンバーの意識の表れだった。
悔しげな表情でゆっくりと立ち上がり、自分の席に戻るバミューダ。
「……わたしは、これからどうなるんですか?」
ぽつりと呟いたストロヴェルの問いに答えたのは事務員の女。
「残念ながら、その様な状態では”青眼の魔女”への昇格は認められません」
想定通りの答え。更には――
「それどころか、魔力を喪失している以上、魔導師として仕事をする事すら難しいと存じます」
厳しい現実が突きつけられる。
「……バミューダ様。わたしはどうしたら……」
震えるストロヴェルの声に、バミューダは静かに顔を上げ、なるたけ冷静な口調で答えた。
「貴女には期待していました。しかし……残念です、ストロヴェル」
執務室に余韻を残して響いたバミューダの言葉に、ストロヴェルは顔をゆっくりと上げた。
涙でぐちゃぐちゃになった顔と、乱れた前髪。
その前髪に隠れ――ストロヴェルの表情は見えなかった。
事務員が、無情に告げる。
「ストロヴェル=スィートハート。貴女の所属を認定します。
”記録結晶”を呈示して下さい」
言われるままに、ストロヴェルはローブの中から「身分証」を取り出す。
それはプレート状に形成された魔導石。表面を金属製のケースが覆い、内部を細かい回路が網の目の様に走っている。これが”記録結晶”だ。
半透明のプレートの表面には輝く文字で「ストロヴェル=スィートハート」の名前が刻まれている。
事務員が指先に光を灯し、”記録結晶”を叩く。
一瞬、表面に光の波紋が走り、次いでストロヴェルの名前の下に新たな言葉が刻まれた。
階級――最下級魔導師。
***
「ちくしょうッ!」
自室に戻り、ストロヴェルはテーブルの上に拳を叩き付けた!
今朝飲みかけだったコーヒーカップが衝撃で床に砕け散る!
『ラピス・ラズリ』本部の別館にある魔導師たちの宿舎。その一室を彼女は間借りしていた。
ベッドやテーブル、本棚と言った家具は元々備え付けのものであり、本人の私物はあまりない。
飾り気のない非常に簡素な部屋に、ストロヴェルの怒鳴り声が木霊した。
部屋を借りているのは、彼女がこの国『フォス・フォシア』の住人ではないからである。
ストロヴェルは、地方の農村の生まれであり、自分で言うのも何だが貧しい家で育った。その実家を支える為に、十五歳の時、『フォス・フォシア』へ出稼ぎに来たのである。
そこで、魔導師としての才能を認められ、あれよあれよと言う間に同世代の主席に上り詰め、”青眼の魔女”の育成世代にまで抜擢された。
もちろん見習いなので、貰える賃金は雀の涙である。
しかし十八歳を迎え、身体が充分に育ち、魔導石移植術式が可能になれば、正式に”青眼の魔女”のメンバーに昇格し、待遇は一変する。
そして待ちに待った十八の誕生日を超え、実績も申し分なく、晴れて魔導石移植術式を受ける事になった。
それが、先日の話である……。
「ちくしょうッ! 何でよッ! 何でこんな事になるのよッ!」
普段、言葉遣いの丁寧な彼女でも抑えが利かなかった。
制服を脱ぎ捨て、上半身裸になって洗面所へ向かう。
蛇口を捻って水を流し、涙が枯れた顔を洗い、タオルで拭う。
鏡に映った自分の姿を見つめた。
透ける様な白い素肌。その胸元に走る、赤い手術痕と、深い青緑色の魔導石。
ストロヴェルは、肌がキレイだから――。
そう母が褒めてくれたその身体に、傷をつけてまで埋め込んだ魔導石。それが、彼女から魔力をすべて奪ってしまったのか……!?
もう二度と、取り除く事の出来ない呪いの宝石を睨む。
怒りに任せ、ストロヴェルは左の拳で鏡を砕いた!
真っ赤な血が溢れ、割れた鏡を滴り落ちる。
後悔しても、もう遅い。
「わたしは……最下級魔導師なんだ……!」
最下級魔導師は、その名の通りもっとも能力の低い魔導師に『フォス・フォシア』が与える階級だ。それは「魔導師」と名はついているものの――才能なし、と同義である。
割れた鏡に映る、何の才能もなくなった小娘の姿をストロヴェルは睨んだ。
”青眼の魔女”の証である蒼く輝く右目と――母から貰った紅い光の灯る左目で――。
次回 1-4:無能の魔導師①