2-4:ワンルームの迷い猫
***
「よいしょっ!」
脚で扉を蹴り開ける。
自宅の玄関に滑り込み、ルージュは真っ暗なワンルームへ手探りならぬ脚探りで進んで行った。
何しろ背中にストロヴェルを背負い、回収した高性能魔導石を小脇に抱えていて両手が開かない。
床に散らばった雑誌やら靴やらを払い除け、やっとの思いでストロヴェルをベッドに寝かせる。
帰るまでの道中で、ストロヴェルは完全に気を失ってしまった。と言うより眠ってしまったと言った方が正しいか?
ルージュの苦労も知らず、呑気にスヤスヤ寝息を立てている。
……まぁ、身体に別状はなさそうなので、そこは良かったが……。
天井からぶら下がる裸電球に明かりを灯し、ジャケットを脱ぎ捨てる。タオルで汗を拭き取り、グラスに水を注ぎ、ぐいっと仰ぐ。
ひと息つき、カーテンを押し広げた。
外は陽が落ちて真っ暗。マンションの七階にあるワンルームのベランダからは、遥か向こうに霞む七番街の景色が見えている。
その一部の地域が、ぽっかりと穴が空いた様に、真っ暗になっていた。あそこが事故を起こした”タイタンフェイド魔導炉”のあった場所だ。停電は未だに解消されていないらしい。
テーブルの上のアロマキャンドルに火を入れていると――背後で気配がした。
ストロヴェルが目を覚ました様だ。
ベッドの横に戻り、サイドテーブルから引っ張り出したイスに逆さまに座り、少女を覗き込む。暫くまどろんだストロヴェルだが、徐々に意識が鮮明になって来たか、瞳に光が戻る。
「ルージュさん……!」
ルージュの顔を見て、ストロヴェルが跳ね起きる!
「痛いっ!」
叫んで頭を抑える。
「意識が戻ったばかりで激しく動けば当然よ」
なるべく声を低く落とし、ストロヴェルの肩に手を置く。
「大丈夫、ここはアタシの部屋よ。貴女に危害を加える様な人はいないわ」
と言ってなだめても、ストロヴェルの不安げな表情は変わらない。
それはそうだ。ストロヴェルにとってルージュは二言三言会話しただけの他人に過ぎない。その女の部屋に連れ込まれたと聞かされても、まったく安心出来まい。
「ルージュさん……わたし…………」
何かを言いかけたストロヴェルの口を指で塞ぎ、微笑みかける。
「”記録結晶”、拾ってくれてアリガトね。助かったわ」
その言葉に緊張が解れたか、ストロヴェルは表情を緩めて、小さく笑った。
***
「お風呂、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀して、まだ湯気が上がる髪を揺らすストロヴェル。
ルージュもストロヴェルもとにかく汗まみれ、泥だらけの状態で気持ち悪かったので、シャワーを最優先で浴びたのだ。身体が温まったお陰か、ストロヴェルの顔色もだいぶ良くなった様子である。
「元気そうで良かったわ。座りなさい」
「はい」
ルージュに促され、ベッドにちょこんと腰掛ける少女。ルージュから紅茶の注がれたティーカップを両手で受け取る。
「ありがとう」
小さな唇を尖らせ、熱気を冷まして紅茶に口を着ける。
泥だらけだった上着やローブやらは、とりあえずざっくりと洗濯し、窓の近くに干してある。今の彼女は、ルージュが貸し与えたシャツとズボンを身に着けたこざっぱりとした格好。
対面してイスに腰かけ、その様子を眺めるルージュ。
歳は十八のハズだが、それより幼さを感じさせる小柄で華奢な体格と、顔立ち。ただし目鼻立ちは整っており、顎のラインで切り揃えた亜麻色の髪が良く似合っている。
改めて見ても可愛らしい娘だ。
だが、前回会った時とは、大きく印象が異なっている。
ルージュが貸したシャツは、サイズが合わずぶかぶかで胸の谷間が大きく覗いているが、その胸元に走る赤い手術痕と、そこに埋め込まれた魔導石。
そして、サファイアの様な蒼い右目と、ルビーの様に紅い左目のオッドアイ。
右目の蒼は、見慣れた”青眼の魔女”の瞳だが、左目の紅は生来の色がそのまま残っている様子である。初めて見る現象だが、どう言う事だろうか?
ストロヴェルもだいぶ落ち着いて来た様子なので、その辺りも含めて詳しく聞いてみる事にした。
「貴女ほどの魔導師が、どうして”魔導炉”の修理なんてしてたの?」
「……わたし……魔法が使えなくなっちゃったんです……!」
「貴女の同期もそんな事を言っていたわね。そんな事、有り得るワケ?」
ぽつりぽつりと、ストロヴェルがこれまでの経緯を語り始めた。
魔導石移植術式を受けたこと。その直後に魔法が使えなくなり”青眼の魔女”になれなかったばかりか最下級魔導師に格下げされたこと。
そして……術式の失敗が、カメリアのイタズラによる事かも知れないこと。
黙って聞いていたルージュは口元に手を当てた。
魔導師が魔法が使えなくなる……と言う話は決してあり得ない話ではない。複雑な”マギ・コード”を操るにはかなりの集中力が必要で、精神的肉体的に不安定な状況では魔法が組めなくなる事がある。
身近なところでは、ルージュ自身も月に一度、魔力が操り難くなる事があった。これは女の宿命で、個人差はあれど、誰にでも起こり得る。
だが――ストロヴェルの身に起きている症状は、明らかにそれとは異なる。
ならば、カメリアがストロヴェルの魔導石をすり替えた、と言うストロヴェルの主張も理に適っている。
魔導石も、魔導師との相性があり、相性の悪い魔導石は、どれ程腕の良い魔導師でも使いこなすことは難しい。
同じ”第十一世代”に属していたカメリアなら、ストロヴェルと魔導石の相性も良く分かっていただろう。彼女がストロヴェルを出し抜こうと、相性の最悪な魔導石とすり替えたとすれば……。
「あの”魔動炉”メンテナンスの任務をわたしに押し付けたのもカメリアなんです。きっとアイツは、メンテ用の”記録結晶”をすり替えて、わたしを消してしまおうとしたんですっ!」
俯いたまま、ストロヴェルは声を震わせて続けた。その震えは、悲しさや恐怖と言ったのもではない。
怒り――。
「わたし……絶対に許せない……!」
「……いくら貴女のことがキライでも、そこまでするかしら?」
「アイツならやり兼ねない。わたしの魔導石移植術式が失敗して、予想以上に騒ぎが大きくなったから、わたしもろとも証拠を揉み消そうとしたんだ……っ!」
唇を深く噛み締め、そのオッドアイの瞳に、深い憎悪を宿らせている。
この少女――。温和な見た目に反して、かなり感情の揺れ動きが激しい。
もちろん、彼女の身に起きた出来事に、憤りを覚えるのは理解出来るが――それにしても、感情が揺れ動いた時、負の方向へ転がり落ちて行く。
ストロヴェルは、そんな危うさを感じさせた。
「ルージュさん、わたしはカメリアに復讐したい!」
物騒な事を言い出すストロヴェル。身を乗り出し、まくし立てる!
「わたしの魔導石をすり替えた事をカメリアに白状させてやりたい! それを隠す為にわたしを事故死させようとした事を訴えてやりたいっ!」
「落ち着いて、ストロヴェル」
激しく叫んで息を切らすストロヴェルの肩を抑えて、静かに言った。
「分かってるわ。アタシも一緒にアイツの会話を聞いていたんだから。悪いのはアイツだって事はアタシも分かってる。
……でも相手はハッピーバースディ家のご令嬢よ。増して、エルダーメンバーの孫娘なんでしょ?
下手に対立すれば、今度こそ何されるか解からないわよ?」
びくっとストロヴェルが震える。
その瞳から怒りが消え失せ、怯えに変わって行く……。
「せっかく生き延びたんだから、また命を張る様な真似は止めましょう?」
なるべくストロヴェルを落ち着かせる様に、ルージュは優しく微笑む。
「貴女の安全の為にも、暫く身を潜めていた方がいいわ。
どこか遠く――そうね、例えば実家に戻るとか、貴女を護ってくれる人の傍にいた方がいいわね」
少し納得のいかない素振りを見せたストロヴェルだったが――やはり命を狙われた恐怖心が勝ったのか、小さく頷く。
「それよりもさ!」
ルージュは話題を変えた。
正直なところ、ルージュはストロヴェルとカメリアのいがみ合いよりも、ストロヴェル自身の方に興味があったのだ。
「貴女が”魔動炉”で見せたあの魔法!
すべての魔力を――”魔染獣”の魔力すら消し去ってしまった様に見えたわ!
”魔力消去”とでも言うのかしら? あれは何て術なの?」
目を輝かせ、矢継ぎ早に聞き立てるルージュに、ストロヴェルは困惑して首を振った。
「自分でも解からないの。気が付いたら出来る様になっていて……」
「へぇ……? 貴女は魔導石移植術式の失敗で魔力を失ったのよね。
もしかしたら、その影響で目覚めたちからなのかも知れないわ」
首を傾げる少女の姿に、ルージュは笑った。
本人はピンと来ていない様子だが、この術は使える。
魔力を消し去ってしまうと言う事は、魔導に関わるすべての存在を無力化してしまうと言う事だ。例え”青眼の魔女”でも、”魔染獣”すらも――この少女の前では無力だと言う事である。
「”魔力消去”か……。もっと練習すれば、使いこなせる様になるかな?」
自分のちからに興味を示し始めたストロヴェルに、ルージュは笑顔で頷いた。
「貴女は元々高い才能があるんだから、すぐに使いこなせる様になるわよ!」
うまくカメリアとの確執から話題を逸らし、ストロヴェルの緊張をほぐして行くルージュ。その甲斐があってか、ストロヴェルも次第に笑顔が増えて行く。
その様子に安心したルージュは――自分の部屋にやって来た可愛らしい迷い猫とのおしゃべりを、しばしのあいだ楽しんだ。
次回 2-5:魔導石の墓場『ディス・カ・リカ』