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鍛冶屋にナイフを預け、アイルと待ち合わせをしている聖堂へ向う。だが待ち合わせを意識するあまり、周囲の確認を怠ってしまったドーシュは、誰かとぶつかって尻もちを着いてしまう。
相手はぶつかられても微動だにせず、座り込んだドーシュを見下げた。男はアイルより少し年上で、その顔に表情は一切無かった。
(ヤバい)
ぶつかってはいけない人にぶつかってしまったと、注意せずに前を進んだ自分を死ぬほど悔やむ。頬に冷や汗が伝った。
しかし男は怒鳴るようなことはせず、静かにドーシュへと手を差し出した。
「悪い、怪我は無いか」
その紳士な行動にドーシュは呆気に取られかけたが、謝罪の言葉は自分が言うべきだと気付き、慌てて彼の手を取り立ち上がる。
「ぶつかったのは僕です。すみません」
「いや、俺もよそ見をしていた。気にするな」
ふと男の胸元に光る物が目に入った。緑色の石と、国花を象ったブローチ。それを身に付けるのが許されるのは王都に配属される軍の兵士のみ。ドーシュはこの男がかなり優秀な兵士であることに気付いた。
「王都の人ですか?」
男はドーシュの視線がブローチに留まっていることに気付く。
「このブローチの意味が分かるのか?」
「昔じいちゃんから聞いたことがあって」
その瞬間、男の目が鋭く光る。
「お前の祖父は軍関係者だったのか?」
「いえ、山で猟師をしてました。多分誰かに聞いたことを僕に教えただけだと思います」
「そうか。軍関係者なら知り合いかもしれないと思ったんだが・・・・・・思い過ごしだったみたいだな」
すると男の部下らしき兵士がこちらに走って来た。
「ガリアス隊長、王都から緊急の連絡が来ました」
男はガリアスという名前で、そしてその対応からかなり高位の兵士であることがうかがえた。
「・・・・・・分かったすぐ行く。悪いがもう行かなければならない」
ガリアスに視線を向けられ、ドーシュはこくりと頷いた。
「足止めして本当にすみませんでした」
「ああ」
ガリアスは部下を引き連れ、船着き場近くの高級宿に入って行った。
あの宿は船着き場に近いことから人気と宿賃が高く、普通の人間には中々部屋が取れない。それを十数人の兵士全員の部屋を確保している。さすがは王都所属の兵士の小隊、行き当たりばったりのアイルとは旅の予算と計画性が違う。
(あ、いけない、アイルさんとメルトが待ってる)
約束を思い出してまた足を進めた。ドーシュは一度通った道を忘れない。前に来た時の道を記憶から掘り起こしながら走った。そして聖堂まであと少しというところで、知らない声に引き止められる。
「待ちな、そこの坊」
「・・・・・・僕?」
急いでいるのに、と不機嫌に振り返ると、老爺の占い師が水晶を覗いていた。声を掛けてきたのはこの老爺だ。
「そうだ。お前さん、今日は良くない相が出ているよ」
しかしドーシュはそれを聞いても、たじろぐこと一つしなかった。
(さては、さっきあの人にぶつかったのを見ていたな)
無視して踵を返そうとしたが、それでも老爺はドーシュを引き止めようと話しかけてきた。
「お前さんの近くに、お前を不幸にした人間が居る」
「はぁ?僕がいつ不幸になったって言うんだ」
「気になるかい?」
ニヤリと笑う老爺に、ドーシュは怒りが湧いて来た。見透かしたような顔と、からかうような言葉、この老爺の全てが不愉快極まりない。
「どうせインチキだろ!」
からかい過ぎたと焦ったのか、老爺は慌てた様子でなおも食い下がった。
「待て待て!!お前さんの哀れさに免じて一つだけタダで教えてやろう。お前さん、家族が居ないだろう」
ギクリとして、心臓が飛び跳ねた。動揺したその背中に、老爺は言葉を畳み掛けてくる。
「お前さんには女難の相がでておる。近くに居る女に気を付けることだ。お前の家族を殺したのは、その女だぞ」
「・・・・・・女?」
目を見開き、振り返った時だった。ドーシュの肩にそっと手を置かれ、ハッとしてその主を見上げる。
「子供にちょっかいをかけるのはやめてもらおうか」
「メルト!」
メルトの登場に驚いていたのは老爺も同様だった。
「なっ、お前さんの連れか?」
メルトは老爺をギロリと睨みつけた。
「お前こそ何だ、子供を誑かして。金を取りたいなら相手を選べ。行くぞ」
メルトに手を引かれ、ドーシュはその場を離れた。ただ老爺の言葉による動揺はまだ消え去っておらず、ドーシュの手に汗が滲んでいた。
「あの占い師に何か言われたか?」
「ううん、別に」
ドーシュは自分の言葉に自分で驚いた。咄嗟に嘘をついてしまったのはどうしてだろうか。
「気を付けろ、ああいう奴らは言葉巧みに誑かす」
「うん」
分かってはいるのだが、家族が居ないことを言い当てられたのは偶然とは思えなかった。単に金が目当てならもっと誰にでも当てはまる事を言いそうなのに。それに家族を『殺した』という言葉が妙に引っかかった。家族を殺した『女』とは誰なのか。
(家族を殺したのは僕の近くに居る女・・・・・・それって、アイルさんのことなのか・・・・・・!?)
そう思っていた時だ。前方から歩いて来るアイルを見て、ドーシュは一瞬息が止まるようだった。こちらに気付いて手を振るアイルに、自責の念に駆られた。
(僕は今、アイルさんに何てことを)
その手に手紙が握られており、メルトが尋ねた。
「何か来ていたのか?」
「王都の本部からよ。ダリアの神官から報告が滞っているみたい。警戒して当たれって」
「そうか」
ふとアイルが怪訝そうにドーシュの顔を覗き込んだ。
「どうかしたの?顔色が悪いけど」
「え!ううん!」
「やっぱりさっきの占い師のことか」
「占い師?」
「しつこく絡まれてた」
「まっ!」とアイルは眉をひそめた。
「気を付けなさいね」
「うん」
ドーシュはぎこちなく頷く。ふと、先程ぶつかった兵士を思い出した。ガリアスと呼ばれていたあの男は、王都の兵士。あの緑色のブローチが脳裏に焼き付いている。
(そういえば、アイルさんは昔王都の兵士だった)
その夜、ドーシュはなかなか寝付けなかった。ベッドの中で寝返りをうって、そして天井を仰いだ。一度だけ祖父が口を滑らせたことがある。
新しい猟銃を仕入れる為に祖父と王都に出向いた時だ。兵士の胸に緑色のブローチが光り、幼いドーシュはあれは何かと祖父に尋ねた。
『あれは王都の兵士が付けるブローチだ。階級が同じでも、あのブローチを付けられるのは兵士の中で王都の兵士だけなんだと』
『じいちゃんなんで知ってるの?』
『お前の父親が──いや、なんでもない』
その時ドーシュは初めて、父は王都の兵士だったのだと知った。祖父はいつも多くを語らなかった。どんなにせがんでも父のことは名前以外教えてくれない。そしてドーシュに対しては狩猟ばかりを叩き込み、勉強は微塵もさせてくれなかった。育ててくれたことには感謝しているが、やけに偏った生活をしていたと思う。
やがて祖父は死に、ドーシュはアイルに引き取られた。アイルは元兵士で体術に優れているだけではなく、博識でドーシュに対して教育熱心だった。だから不謹慎だが、勉強がしたかったドーシュには祖父の死は幸運とも言えた。
祖父の死因は老衰だ。それはドーシュが看取ったので確実だ。だからあの老爺の占い師の言葉は嘘だ。そもそもアイルが人殺しなら、今このように旅をしていない。
だがアイルが兵士を辞めて、監察官をしていることが怪訝でならない。
(アイルさんはどうして兵士を辞めたんだろう。向いてないからなんて言ってたけど、王都の兵士なんてエリートだよ。あんなに動きが良くて、何でも出来るのに、とても向いてないようには見えない。やっぱり他に理由が──まただ、僕は何を・・・・・・。まだあの占い師の言葉に惑わされているのか!)
ドーシュは身を起こした。母は産後肥立ちが悪く、父は病死したと、祖父は言っていた。でもそれだけなら、何故祖父があそこまで頑なに何も語らないのか。でもそれはアイルとは関係無い。
(アイルさんに父さんの名前を出したら、知らないって言ってた。やっぱり違うよ。アイルさんは恩人なんだ)
でも気になって仕方ない。いまだに自分を引き取ってくれた理由は知らない。単なる助手なら、誰でもよかっただろうに。
知らなくていいと思っていたことなのに、胸がザワついて静まってくれない。ドーシュは朝まで眠ることが出来なかった。
***