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額に滲む汗を手で拭い、アイルは「ようやく」と達成感に満ちた顔で微笑む。
「着いたわ、聖地ファーノ」
ファーノは谷を越え山を越え、けもの道を通ってたどり着けるような辺境の地であった。そして苦労して来た割には、ファーノという街には人口も少なく、目立ったものは聖堂以外無い寂れた街であった。
「聖地の割に貧相な街だね」
品揃えの悪い商店を見ながらドーシュはため息をついた。まだ少年であるドーシュには見応えの無い街だろう。
「十二ある聖地の中で一番田舎の街だもの。聖地巡礼といっても本当に十二ヵ所回る人は少ないの。大抵は聖地の中で大きいダリア、メルデ、デュッセルの三都市で終わるのよ」
「今僕が言えた筋じゃないけど、信仰心が足らないんじゃない?」
するとアイルは声を上げて笑った。
「仕方ないわ。私も仕事だからここまで来たけれど、信仰を前にして本来は何も必要無いの。大きな都市も、神聖な宝物も。本当の神は心の中に居るのよ」
「神官に聞かれたら殺されるぞ」
さすがにメルトはアイルの言動を制した。もう聖堂は目前に迫っており、誰に聞かれてもおかしくはない。
「大丈夫よ、ここの神官長は耳が遠いらしいから」
「どういうことだ?」
「言葉のままよ」
アイルはそう言って肩をすくめ、聖堂の扉を押し開けた。
中に居た若い神官に身分証を見せると、彼は慌てて奥へと飛んで行った。そして戻って来た彼に別室へ案内される。ふとそこで、メルトは目に入ったステンドグラスの窓を見やる。赤青黄と様々な色で花の模様が彩られ、夕日の光で透かされていた。もうすぐ夜になる。アイルが用のあった神官長はすぐには来られないということで、三人は出された茶と菓子で暇を潰していた。
そして日が暮れて少しした頃、老齢で髭の長い男が部屋に入ってきた。
「よくぞこのような僻地までおいでなさった、監察官殿」
三人は席を立ち、アイルがその男に歩み寄った。その男がファーノの聖堂を取り仕切る神官長だった。
「遅い到着で申し訳ありません、神官長」
「・・・・・・え?」
神官長は耳に手を当て聞き返した。するとアイルは息を吸って、腹から声を出して復唱した。
「遅い!!到着で!!申し訳ありません!!神官長!!」
「ああ、ああ」
(本当に耳が遠いな)
メルトはアイルが言っていた意味がようやく分かった。神官長は老齢によって耳が遠くなっていた。
「そんなことは気になさるな。監察官殿も多忙であるのだろう」
「痛み入ります!!早速ですが!!宝物の!!確認を致します!!」
「そうかそうか。ではそこのカロを案内を付けよう。ワシは今日腰が痛ぉてな」
神官長は後ろの若者に目を向けた。カロとはアイルが一番最初に声を掛けた若い神官だった。
「監察官殿、我々はしっかり宝物を管理していると、王都の監察官に伝えておくれ」
「分かりました!!」
すると思うことを我慢出来なくなったドーシュが、こっそりとメルトに耳打ちする。
「アイルさん大変そう。神官長、あの歳ならそろそろ引き継ぎをしたらいいのにね」
ドーシュがわざわざ耳打ちしたのは、神官長が口を読む可能性を考慮してのことだろう。聞こえないが、見えない訳ではない。だからメルトは拳で口元を隠しながら答えてやる。
「いくら神官長とはいえ、この土地で長らく神官長を勤める覚悟のある者は居ないんだろう。どの都市の神官長になるかで、格が違うと聞いたことがある」
人口の多い聖堂の神官長になることは一種のステータスであれば、このファーノは最も人気が無いと考えられた。
「なるほど、ここに巡礼者が寄りつかない訳だ。神官から信仰心が足りないよ」
確かに、という言葉は胸の内に留めておいた。そしてアイルが呼んだので、三人はカロに案内され聖堂の中を進む。建物は古びているが所々修繕されて手が入っており、粗末な感じはしなかった。
「そういえば監察官殿、後ろのお二人はどなたですか?」
「私の助手です」
「はぁ、助手」
カロは物珍しそうにメルトとドーシュを振り返った。メルトとドーシュは誰から見ても異色の助手であった。だがカロはそれ以上余計なことは詮索せず、聖堂の中で一番奥にある重厚な扉の前で止まった。見張りが立てられ、ここだけ新居のように手入れがされており、いかにも重要な何かが仕舞われているようだった。
重い南京錠を開け、部屋に入ると台座の上に木箱が置かれていた。大人の手のひらを並べたくらいの大きさの箱で、アイルは手袋をはめてその箱にそっと手を掛けた。ドーシュはキラキラと目を輝かせ、メルトの袖を引っ張る。
「メルトは宝物を見たことがある?」
「いや、無い」
宝物は基本非公開だ。中身が何であるか知るのは神官、監察官、そして王のみ。だから部外者であるメルトとドーシュが見られるのは幸運だった。
「じゃあ見たら驚くね。いつもどこの宝物も凄いんだよ」
はしゃぐドーシュにアイルは小さく笑み、蓋を開ける。そこには直径十センチ程の白い真珠が納められていた。メルトはくっと目を剥く。
「バカな、こんな真珠が自然界に存在するのか・・・・・・!」
これが自然界に存在していたというのが信じられなかった。アイルは真珠を手に取り、ランプで照りを見たり傷の有無を確認していた。
「さすが神から授けられたと言うだけあるわよね。私達監察官はこの宝物がきちんと保管されているか、本物であるかを確かめるの。いつもはその真贋を見分けるのが最も至難なのだけど、この真珠は言うまでもなく本物だわ」
「そんな大きな真珠、他には無いもんね」
「ええ。でも本当に素晴らしい・・・・・・」
アイルも思わず魅入ってしまうほどの美しさだった。真珠というのは何年もの月日をかけて育ち、天然であるからこそ千年以上も美しさが保たれる。逆に質の悪いものはすぐに劣化する。この国が興って八百余年、今もこの真珠が輝いているのはとても神秘的なことであり、品質の高さが窺える。
「他の宝物もこんな風なのか?」
「宝物によるよ。ダイヤやガラス細工、ただの木片だったりもするんだ」
「木片?」
「『香木』よ」
「香木?」
アイルが答えるが、聞き慣れない言葉にメルトは首を傾げた。
「香木とはとても良い香りのする木片のことよ。火を付けるとより顕著に香ると聞いたわ。とても貴重な物で、デュッセルの聖堂に納められている宝物なの」
デュッセルは、ダリア、メルデに並ぶ三大都市の名前だ。
「デュッセルともあろう大都市の聖地の宝物が木片とは思わなかったな」
「値段はこの真珠に負けないくらいとても高価なのだけどね」
すると横に控えていたカロがおっとりした口調で語り出した。
「確かに人の心を多く射止めるのはこの真珠かもしれませんが、現実に多くの人が集うデュッセルには平凡な見た目をした木片が納められている。これはまるで神に試されているようだと思いませんか?」
「試されている?」
「どのような見た目であっても、神とその力の及ぶ宝物であると信じる心があるかどうか、我々を試しているのです」
「それならよりいっそ、このファーノの聖堂に香木を置くべきなんじゃない?その方が信仰心を試せると思うけど」
そう言ったのはドーシュだった。ドーシュの指摘は正しい。本当に信仰心を見定めるのであれば、徹底して宝物を配置するはずだ。
怒るだろうか、と心配したメルトをよそに、むしろカロは笑みを深めた。
「この遠い土地へ真珠を授けたのは、褒美なのではないでしょうか」
「褒美?」
「実際に十二の聖地を巡礼する者は多くありません。だからこそ、ここまでやって来た者の信仰心を褒め称え、少しでもその心を潤そうとされたのでは、と私は考えております。まあ宝物はこのように厳重に管理されており、安全面から巡礼者に宝物が何であるかすら公開されることが無いのは残念ですが」
検査をし終わったアイルはそっと真珠を箱へと戻し、頷いた。
「そうですね。私もそう思います」
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