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 飛ばされたアイルは、やがて風の勢いが緩やかになって、地面に降り立った。でもそこはやはり闇の中で何も見えない。どこに行けばいいのかも分からない。共に歩む者も居ない。とめどなく涙が溢れ出て、膝を着いた。そのまま起き上がれずに、アイルは身体を縮こまらせて泣いていた。


 すると、どこからか不思議な声が聞こえた。


「──立ちなさい」


 闇の中から聞こえる声は、どこか懐かしい気がした。けれどもアイルは首を横に振った。


「嫌よ」

「アイル・・・・・・アイル」

「誰なの、私の名前を呼んでいるのは。私には生きる資格なんて無いの。これまで自分の都合で何人もの人を苦しめ、殺してしまった。お願いだからもう終わらせて。そしてガリアスを一人にしないであげて。私と引き換えにしてもいい。私だけ救われたくない。お願いだから・・・・・・あの人を助けて・・・・・・」


 自分達ではどうにも出来ないことに翻弄されてきた。全ては自由を手に入れようともがいた結果だった。死んでしまったのに、この先も彼に孤独という悲しみを与えたくない。ガリアスが一人進む険しい道のりを思って、アイルは泣いていた。


「では残された者はどうでもいいのか?」


 不意に懐かしい香りが漂ってきた。目が覚めるようなスッキリとしたハーブ。落ち込んだり、辛い日々でも前を向かせてくれるあの香り。


「これは、ドーシュが買ってきてくれた香水の香りだわ」

「あの子が呼んでいる。お前が立派に育ててくれたお陰で、今のあの子がある。愛しい息子ドーシュ」


 みるみる目を見開き、アイルは周りを見渡して声の主を探した。


「ライディン様?ライディン様なんですか!?」


 すると闇の中にゆがみが生まれて、ぼんやりとした人影が現れる。顔は見えないが、その背格好と、声は、あのライディンだった。


「アイル、長い間、お前を苦しめてすまなかった。私の最期の願いを聞いてくれてありがとう」


 その言葉にアイルは目を剥き憤った。


「またそんな言葉で私を惑わそうとするんですか!?すまなかった?ありがとう?人を馬鹿にするのも大概にしなさいよ!!あなたは自分のしたことがどんなに残酷か、きっと分かってやっていたのに、なんてひどいのよ!!」


 ボロボロと涙が溢れ出て、アイルは顔を両手で覆う。


「もう、放っておいてよ・・・・・・」


 地獄に来てまでその人はアイルを苦しめる。それがアイルへの罰だというのか。彼の願いを叶える為に、ドーシュを幸せにしようと全てを尽くして奔走したにも関わらず、まだ自分にこんな仕打ちをするなんて。


 するとライディンは困ったような顔で微笑みを浮かべる。


「頼む、ドーシュがお前を呼んでいる。そしてもう一人の青年も呼んでいる」


 アイルはそろそろと顔を上げた。


「メルト・・・・・・」


 彼は何のいわれもないのにアイルに付き添って、よく働いてくれた。そしてアイルを理解してくれようとした。彼が側に居てくれて、本当に救われた。そんな彼がもう一度自分を必要としてくれている。


「行ってやってくれ」

「また『責任を取る』為ですか?」

「いいや、愛しい息子と、息子が信頼する青年の為に」


 この人はつくづく酷い人間だ。


「まったく、本当に・・・・・・」


 そう言ってアイルは目元をぐしぐし擦って、涙を振り払った。


「一つだけ聞かせて下さい。あなたがヴェンダに入ろうと思ったきっかけは、本当はガリアスなんじゃないですか?親の地位が無くて弱い立場にあったガリアスを見て、いつか自分の息子が同じ目に遭わないように、あなたはヴェンダに入ったんでしょう」


 何の隔たりも秘密も無いここだから、ライディンが過去に何を思ったのか見通せた。


「私の過去を見たか」

「どうか、ガリアスの側に行ってあげて下さい。私があの場所に行くまででいい。きっと居心地は悪いけど、ちゃんと話し合って下さい。私と同じように、あなたとガリアスは大切なことは何一つ話し合えていない」


 ガリアスはきっと、話がしたくてライディンの牢まで足を運んだのだ。ライディンがクレイグの事件を揉み消したのも、上官からの命令で逆らえなかったから。軍に入ったガリアスは縦の関係がいかに強固なものかその身をもって思い知ったはずだ。そしてライディン自身の思いを知りたいと思ったのだ。


「そうだな。私も本当は彼があの時の少年だと気付いていた。けれども知らぬふりをしてやることが、彼の将来の為だと思った。だが今となってはもう何も関係ない。恨まれていようと構わない。彼が納得するまで、私は話をしよう」


 アイルは深く頷いた。すると突然、今度はまばゆい光に包まれる。光に反してライディンの影が徐々に消えていく。


「ライディン様」

「ここであったことは忘れるんだ。天寿をまっとうした時に思い出せばいい。死した後は永遠だからな・・・・・・」

「!」


 あまりに眩しい光に目を細めた。闇が光に消し去られていく。




 ・・・・・・目蓋を開けた時、アイルはこの出来事を全て忘れていた。目の前には見知った顔が二人、心配そうにアイルの顔を見つめていた。


「メルト、ドーシュ」


 名を呼ばれた二人は驚いて、ドーシュはアイルに抱きついた。彼はお日様の光のように暖かい。そしてメルトを見やると、口を真一文字にして目が微かに潤んでいる。らしくないその様子が珍しくて笑ってしまった。笑ったのに、頬には熱い涙が伝った。


 アイルはメルトに手を伸ばすと、メルトはそっと握り返した。眠っていた間、ずっとどこかで泣いていた気がする。でもあの時違って、今はこのぬくもりが嬉しくて泣いていた。


(もう少しだけここに居るわ。その後は必ず、私もあの場所に行くから)


 何に対してそう思ったのかは分からないが、ただ今はこの温もりに浸っていたくてたまらなかった。




 ***




 アイルが目覚めて一週間、彼女はすっかり元気を取り戻した。二週間眠っていたのに、その半分の期間で本調子とはどういうことなのか。しかもあれを買ってこいそれを持ってこいと注文が多い。病人は神様じゃないんだぞとメルトは叱ったが、ドーシュが素直に言うことを聞いてしまうので、毎度それに巻き込まれる羽目になる。


 今日は見舞いのケーキが入った箱を携え、二人は病院の廊下を歩いていた。ここは軍直轄の大きな病院だが、通りがかる部屋は空室が目立った。警邏隊本部に侵入したサイフォンからの刺客は殲滅され、負傷者はアイルのみ。そして死亡者の中にはガリアスも含まれていた。


「・・・・・・ガリアスが死んでから保守派は劣勢、改革派が猛勢だな」


 メルトの言葉にドーシュは頷いた。


「保守派からガリアス隊長の証言が出てきて、軍の信頼が失墜したからね。王都の隊長級幹部の汚職はもう二度目だもん。世論が今のままじゃいけないって思ってるってことだよ」


 ドーシュは軽く言ってのけたが、一度目の幹部汚職の当事者は彼の父ライディンとされている。事実がどうであれ、ライディンは兵士でありながら王に楯突こうとした謀反人だ。全ての経緯を知ったドーシュは、一度はアイルから距離を置いたが、また彼女の側に居ることを決めた。誰も強いた訳ではない。彼が自分で決めたのだ。もう出会った時のドーシュとは違った。


「まさかお前から政治的見解を聞く日が来るなんてな」

「そりゃあ文官を目指すなら、これしきのこと知ってて当然でしょ」


 ドーシュは兵士を辞めた。自分のすべきことを見つけたからだ。


 それより気にかかっていたことがあった。


「まだガリアスのことを隊長って呼ぶのか?」


 目を瞬かせ、あぁ、と苦笑するドーシュ。


「うん。警邏隊本部に侵入者が現れたあの日、僕も襲われてアイルさんに助けられたんだけど、アイルさんが頭を撃った死体の背中に、ガリアス隊長の短剣が刺さってたんだ。それってガリアス隊長は僕を助けようとしたってことでしょ?」


 ドーシュ少し足を止めて、窓の外を見た。患者の家族が見舞いに来ている。入院している父に二人の子供が飛びついて、楽しそうに笑っていた。


「みんなは隊長のこと見損なったって言ってたけど、僕はずっと隊長が好きだよ。謀反人の子供が文官を目指せるのも、戸籍を作ってくれたガリアス隊長のお陰だしね。だから僕だけはあの人をずっと隊長って呼んでる」

「そうか」

「隊長は『成し遂げられなかった』人だけど、でも確実に『世論を変えた』。今この国は強烈に動き始めてる。それはいい意味でも悪い意味でも。だから僕は文官になって、人々の支えになる。僕は影から世の中を変えていくんだ。これってきっと、父さんの意志を引き継げることにもなると思わない?」


 驚いた。そんなことを考えているとは知らなかった。彼は紛れもなく、自分の手で人生を切り開き始めた。メルトはそれがとても嬉しくて、微笑んだ。


「そうだ、メルトはこの先どうするの?偵察隊のリオン隊長から訓練生の指導教官の話が来てるってアイルさんから聞いたけど」

「アイツもお喋りだな」

「そりゃ僕の師匠だもん」


 確かに説得力があると思ってしまった。


「で、どうするの?」

「俺でいいなら引き受ける。本当はアイルの方が向いてると思うが」

「アイルさんじゃ厳し過ぎてみんな心が折れちゃうよ」

「だな。しかし、お前に続いてアイルも監察官を辞めるとは」


 彼女は大聖堂のことや警邏隊本部での騒動に責任を感じて監察官を辞任した。監察部本部からは職務を継続して欲しいと連絡が来たが、これ以上推薦人のリオンに迷惑をかけたくないと固辞した。


 監察官を辞めて、彼女はまた家庭教師を始めるらしかった。


 不意にドーシュが目を光らせる。


「家庭教師を始めたら、アイルさんずっと王都に居るよね?」

「地方回りが無いからな」

「チャンスだよメルト!今ならアイルさんにプロポーズ出来る!」

「どうしてそうなる」


 そもそも付き合ってすらいない。


「だってアイルさんが結婚出来るか、僕ずっと不安だったんだ!ほらあんなガサツでズボラな女の人と結婚してくれる度量の大きい人、なかなかこの世に居ないからさ!」

「お前そろそろアイルの部屋近付くから声抑えろよ」

「だからさ、僕、メルトとアイルさんが結婚したらいいなってずっと思ってたんだ」

「あったとしても、まだまだ先になるだろうな」


 ドーシュは不思議そうに首を傾げた。


「どうして?」

「気付かないか?ガリアスが死んでから、やけに物憂げだろ」


 予想してなかったのか、ドーシュは目を丸くして「まさか!」と叫んだ。


「ガリアス隊長とアイルさんは宿敵だったんだよ?」

「世の中には簡単に割り切れないこともあるってことだ」

「じゃあ諦めるの?」

「俺はまだどうするとも決めていない。でも、これからは時間がある。未来をどうしていくか決めるのは急がなくていいだろう」


 するとドーシュはニッと笑って、メルトの肩に腕を回した。


「僕ガリアス隊長のことは好きだけど、こっちの方はメルトを応援してるからね」


 やっぱりまだ子供らしさが抜けていないとメルトは思わず笑ってしまった。そしてアイルの部屋の前に辿り着く。ドアを開けるなり怒号が飛んできた。


「遅い!何してたの、病人は動けないのよ!もっといっぱいお見舞いに来てくれないと暇なのよ!!」


 横暴だとメルトは思った。ドーシュが肩をすくめて苦笑した。


「どこが物憂げなの?」

「悪い、見違いだったな」

「何の話?」

「いいや」

「アイルさん、今日は近くの店でカスタードパイを買ってきたよ!」


 アイルはパァっと顔を明るくさせた。


「ドーシュなんて気が利くの!さあ早く食べましょ、お腹空いてるの!」

「昼食食べたばっかりだろ」

「何言ってるの、スイーツは別腹よ。さあメルトも座って」


 アイルは笑って呼びかけた。甘いカスタードと紅茶の香りが漂う。こんなに穏やかな時間はいつぶりだろうか。三人で旅をしていた頃以来だ。アイルからすれば思いがけない入院だと思うが、色々と困難が降りかかった彼女には良い休養だ。


 ドーシュが窓を開けると優しく風が頬を撫でる。今日は本当に良い天気だ。空が、新しい人生を歩む三人の門出を祝福しているようだった。

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