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歩きながらも二人は気を緩めることなくきびきびと歩き、三十分ほどしてリオンの屋敷にたどり着いた。こんな夜更けに訪れたにも関わらず、警備の人間にアイルの名前を言うとすんなりと入れて貰えた。
客間に通され、現れたリオンは汗だくになった二人を見て眉をひそめる。
「何があった?」
「刺客に襲われました。私は無事ですが、メルトが私の身代わりになって負傷しました。手当をさせてくれませんか」
「分かった」
「身代わりってどういうことだ?」
「夕食をあなたの部屋で食べる時に、私があなたの部屋に入ったのを見て間違えたのよ」
なるほど、とメルトは納得した。
「さっきの言葉はそういうことか」
侵入してきた時、女は何故メルトが部屋に居るのかと叫んだ。二人の目当てがメルトでないならば、残るはアイルだけ。
「向こうも眠っていたのがあなただったから戸惑ったんじゃない?」
「笑い事か」
「アイル、襲って来たのは警邏隊の人間か?」
「はい」
リオンの質問にアイルは即答した。
「でも主犯はガリアスじゃありません。アイツはこんなわかりやすい手で殺しに来ないです」
「他に思い当たる節があるのか?」
少しだけ間を置いて、その名を口にした。
「私の同期だったフランです。彼は同期の中で成績最下位で、それでも分け隔てなく指導するライディン様を特別尊敬していましたし、実際襲われた時に確認しました。目元しか分かりませんでしたが、間違いありません」
「さっき、足を打つのを躊躇ったのはそのせいか」
「いいえ」とメルトに反論する。
「あれは宿で殺したら後々厄介だからよ。外だったら躊躇わなかったわ」
「よく逃げられたな。向こうも無計画だった訳でもないだろう」
「そこは元王都の兵士ですから。まだあの背高建物を不法占拠してくれていてよかったです。正攻法じゃ無理でした」
聞いていたメルトは口をへの字にした。何がよかっただ。それこそ元兵士として嘆くところだろう。
アイルの言葉とメルトの表情からリオンは色々と察して苦笑した。
「無茶をしたようだな。とにかく今日は休みなさい。今風呂と部屋の用意させている。メルトの手当は、その傷なら風呂の後でも大丈夫だろう」
「ありがとうございます」
「夜分にすみませんでした」
「何かあればここに逃げ込むように伝えたのは私だ」
「もう六年も前の話なのに、よく覚えていてくれましたね」
「何年経とうが約束は守る」
そう断言出来るのはリオンの潔癖な性格ゆえだろう。偵察隊長としての立場を考えれば、警邏隊とのいざこざを持ち込まれるのは好ましくないはず。この屋敷も上級兵士に与えられる宿舎に近い。軍から追い出されたアイルをあえて軍の施設の中に匿うと言うのだから、リオンの真意は言うまでもない。メルトは心から感謝した。
その後用意された浴室で服を脱ぎ、ハーブの浮かべられた湯船に体を沈めた。鼻を通る複雑な香りにホッと息をつき、しばらく心を落ち着かせていた。体を拭いて着替えた頃には血は止まっていたが、部屋に行くと同じく湯上りのアイルが包帯を持って待ち構えていた。
アイルはメルトの首元に薬を塗って、ガーゼを当てる。
「ごめんなさい、私のせいで傷を付けてしまって」
「かすり傷だ。すぐに塞がる」
アイルの髪はしっとりと濡れて、メルトと同じ香りがした。
「傷であることに変わりはないわ。この襲撃は窓から飛び降りたあの男、フランが私を殺そうとしたものだったの」
メルトは襲われた時のことを思い出した。フランはナイフを投げてきた方だ。
「お前の言うような落ちこぼれにはとても見えない動きだったが」
「そうね。昔の彼なら肩を撃たれているのに仲間を拾って窓から飛び降りる勇気なんてなかった。変えたのはライディン様ね。フランはライディン様を父親のように慕っていたから」
アイルはメルトの首に包帯を巻くと、薬箱の蓋を閉じた。
「ガリアスが襲ってくる可能性はあるのか?」
「あの男自身が私を殺すなら、とっくの昔に殺しているわ。それが可能な機会もあったわ。でもしない。それに誰かを指図するなんて足のつくようなこともしない」
「とはいえフランは昼の査問委員会に居なかったから、あの場に居た誰かが情報を与えてフランをけしかけた可能性はある。まあもしガリアスが裏で糸を引いているなら、フランを問い詰めるだけ無駄なんだろうが」
「そうよ。これがあの男のやり口なの。自分はまるで関係が無いことを装って、いくら辿っても自分には繋がらないようにして、でも私を殺そうとする」
「六年前のようにか」
「ええ」
アイルの瞳が微かに揺れ動く。六年前、ライディンは謀反人となった。それはアイルが仕向けたようで、本当はガリアスが仕組んだことだった可能性がある。
「夕食の時言ってた『ガリアスはライディンを慕っていなかった』とはどういうことだ」
「・・・・・・ガリアスは間違っても誰かになびいたりしない。側に居るのは観察する為。返事をするのは利用する為。普段は決して自分の素顔を見せず、仮面を被っているの」
もしそうでなければ、ライディンがヴェンダの一員であることを保守派に漏洩したりはしない。その点に懐疑は無かったが、メルトはあることに引っかかった。
「仮面だと分かるのは、お前がガリアスの本性を見たことがあるからか」
するとアイルはメルトを真っ直ぐに見つめた。
「あなたに嘘をつきたくない。だから言いたくないことはハッキリ伝えておこうと思う。アイツについてこれ以上語りたくない。でも信じて。私は本当にあの男が嫌い。顔を思い出すだけで鳥肌が立つくらい許せない。そういう存在なの」
メルトが頷くと、アイルは微笑んで薬箱を持って部屋から出て行った。閉じられた扉を見てあることを確信する。
(ライディンのことを除いた他にも、ガリアスの人間性を理解した何かがあったということなのか。アイルがガリアスを許せない理由は何だ?本人が言いたくないのなら仕方がないが、それを解明しない限りはきっとアイルは永遠に狙われ続け、根本的な解決には繋がらない気がする)
それはメルトが知らない、アイルとガリアスだけが知る二人の間にある秘密。触れられたくない過去。ライディンはその延長にあった附属的な出来事。果たしてそれに終着点はあるのか。今夜は就寝中に襲われたこともあって、あまり深く寝付けなかった。
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