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「ところで、もうここに用が無いなら俺達はこの部屋で何をしているんだ?」
休憩かと思っていたが、アイルは一向に部屋から出ようとしなかった。この程度の話なら宿に向かう道でもいいだろうに。荷物を置いてすっかり腰を下ろしきっている。
「あの庶務の子から、私達に話があるからここで待っているようにと伝言があったの。相手は王都偵察隊隊長リオン様よ」
「俺もか?」
「ええ。事情聴取とかではなくて、個人的な話があるみたい」
それから彼がやって来たのは数分後のこと。年齢は五十過ぎ。白髪というよりも銀髪で、長い髪をうなじの辺りで束ねて、鋭い眼差しと冷徹そうな雰囲気を持ち合わせた男だった。
入って来た瞬間、アイルとメルトはさっと立ち上がった。これは元兵士の性で、上官を見ると一秒でも早く椅子から腰を離さなければならないと訓練生時代に叩き込まれていたのだ。
「待たせたな、アイル」
静かで、見た目よりも温かみのある声だった。
「いえ、とんでもありません。お久しぶりですリオン様」
「ああ。息災そうで何よりだ」
やがて彼の視線がメルトに向けられる。
「君がメルトだな」
「はい。初めてお目にかかります、メルトと申します」
「私はリオンだ。王都の偵察隊隊長をしている。君はエゾラの班員だったそうだな」
「はい」
「話は聞いている。所属地域は違えど、偵察隊の過酷な任務に変わりはない。ご苦労だった」
メルトは目蓋を伏せがちに答える。
「自分はただ幸運に生き残っただけです。結局班長が居なければ、正確な思考判断も出来ませんでした」
「私には生きて戻ることがどれだけ難しいことかが分かる。全ては結果だ。君は兵士であったことを誇っていい」
「はい」
三人座るや否や、リオンの眉間が険しくなる。
「本題に入るが、私がここに来たのはガリアスの話をする為だ」
アイルは眉をピクリと動かした。
「あの男が何か?」
「君が監察官になって一年ほどして、彼が訪ねてきたことがあった。監察官になったとどこかで耳にしたのか、私にカマをかけてきた」
「どこから聞きつけたんだか」
「それでどうされたのですか?」
メルトの問いに、リオンは腕を組み目蓋を伏せる。
「彼は情報通で有名だ。はぐらかしておいたが、元々確信しているようだった。最初から君を監察官に推薦したのは私だと見抜いていたんだろう。その後彼はすぐに帰っていった」
「・・・・・・ダリアでの事件直前、ある港でガリアスと会いました。そして奴は私と居たドーシュに過去を話し、連れて行きました。あの時は何の因果かとおもいましたが、今リオン様の話を聞いてとても偶然とは思えなくなりました」
リオンは目を見開き、驚きメルトの方を向いた。メルトは同意の意味を込めて頷く。
「馬鹿な。ドーシュの素性はさすがに知らないはずだろう?彼には戸籍が無いんだぞ」
「ええ。だから不思議なんです。何故ガリアスはドーシュに目をつけたのか。多分ライディン様の息子であることは後から知ったんだと思います。つまり奴の本当の目的は別にあって、その為にドーシュを連れて行ったんだと思います」
「何かそう考える根拠があるんだな」
「はい。その前日メルトが、ドーシュに話しかけ惑わそうとした怪しい占い師を目撃して、不審に思って調査してみたんです。そしたらいくら聞き込んでも、普段そんな占い師を見た者は居ないとのことで。占い師とガリアスが同時に現れたのは仕組まれたことと推察します」
リオンはしばらく考え込んで、眉間のしわを深くした。
「君が監察官であるのなら、次の行き先に回り込むのは簡単だ。監察官には一定のルートが決まっているからな」
「やっぱりそうですよね。じゃあガリアスは何の為にドーシュを・・・・・・」
「一つ聞いておきたいことがある」
「はい」
「ドーシュは誰の意思で君から離れた?」
アイルは一瞬目を見張って、不本意そうな顔で目をそらす。
「彼自身です」
「なるほど」と呟き、リオンはため息を吐く。
「ドーシュが彼に付いて行ったのが自己判断なら、私がこの件に口を挟むことは出来ない。私も君に加担した一人だからな。恨まれて致し方ない」
「・・・・・・」
俯き唇を噛むアイル。確かにドーシュの実父ライディンを殺す直接的な原因を考えたのはリオン、実行したのはアイルだ。しかしメルトはここで黙っていられず、重い沈黙で口火を切る。
「僭越ですがリオン隊長、ドーシュの意志を尊重することと、彼の安全を確保することは別だと考えます」
「君はガリアスをどう見ている?」
リオンは試すような視線をメルトに向ける。メルトはぐっと顎を引いた。
「一度しか会ったことはありませんが、油断ならない男です。狡猾で冷酷な雰囲気を身にまとっていました」
「その見立ては間違っていない。奴は危険だ」
「では何故ドーシュを放っておこうとするのですか。ドーシュはガリアスに説得されたからではなく、アイルの抱える葛藤から逃げる為にガリアスに付いて行きました。いくら彼の意思と言えど、一刻も早く連れ戻すべきです。それが彼から父を奪ったあなたの責任ではありませんか?」
聞いていたアイルは目を見張り、思案していたリオンもやがては納得したようで頷いた。
「分かった、前言を撤回しよう。確かにドーシュはまだ十五歳。自由にさせることが彼の為になるとも言いきれないな。実はガリアス率いる警邏隊について気になることがあった。それはこの時期に行われる部隊別地方遠征で、警邏隊は先日の日程を頑なに譲らなかった」
「それが何か?」
「普通各部隊は同時に遠征を行わない。それは王都の戦力を少しでも保持しておく為だ」
「誰も反対しなかったのですか?」
「今年は年末に即位二十年記念式典を控えていることから、スケジュールの都合と言われれば誰も口出し出来なかった。そして記念式典の成功を優先させる為に神官達が口を出してきたことも関係する」
神官と聞いたメルトは手を顎に手を当てる。また神官か。
「でも今回は神官が謀反を企てた訳ですよね。しかもダリアのハンヌ神官長は改革派を名乗っていましたが、保守派の手引きもあったと聞きました」
「ああ。実は保守派は、神官が改革派に転じてまで訴えようとしたのは王が神官を蔑ろにしているからではないか、もっと国政に神官の意見を取り入れるべきだと、主張している」
なるほど、と全てに納得がいった。
「それが狙いだったんですね」
メルトは双眸を薄くした。
一歩間違えたら改革派に世が転じてしまう謀反。しかし保守派はイチかバチかの賭けをして、改革派を助けるフリをして逆に謀反を失敗させた。そうして賭けに勝ったのだ。
「だがそんな横暴が許されるはずがない。何故神に仕える神官がそこまで政治に対して進言出来るのですか」
メルトの問いにリオンの目に一瞬興味が閃く。
「君は神官の地位を落とすべきだと考えるのか?」
「少なくとも今よりは」
真っ直ぐにメルトを見つめ、ややあってからリオンは微苦笑した。
「個人的には賛成だ。しかし事はそう簡単ではない。そもそも何故我々は神という存在に頼るのか、それは国民の不安を和らげる為だ。完璧な国家なぞどこにも存在しない。一代の王が優秀でも、その後の世代は保証されない。そして権力の頂点に立つ王が自分が完全無欠であると考えるのはそれこそ無責任なことだ。だからこそ色々な所で妥協しなければならない。つまり安寧秩序は積み重ねが必要であり、欠点を曖昧に出来る抽象的な存在が神なんだ」
「しかし神官達はもはや国家ではなく個人の私利私欲に走っています」
「そうだな。しかしいくら考えたところで我々にその決定権は無い。まずは国から職を与えられた者として、王と国民の為にそれをまっとうするのみだ」
その言葉を聞いてメルトは、リオンが偵察隊隊長であるというのが腑に落ちた。自分の感情を完全に殺し、完全に公私を分けきって命じられた任務を遂行出来る。
彼の冷静さは一歩間違えたら冷徹さに見える。自分には持ち合わせていないものだから、理解が追いつかないのかもしれないと、メルトは内心で感じた。
しかし、どうしてリオンが今この話をしたのかピンと来た。
(今の話の流れだと、ガリアスが保守派に後押しされたことになる。まさかガリアスの背後には保守派が居るのか?)
チラリと視線をやると、アイルも同じことを考えているようで目が合った。リオンは偵察隊長として守秘義務がある。つまり会議の話をするのがギリギリなのだ。
(保守派、ガリアス、ダリアでの謀反。無関係に見えてこれらは全て繋がっているんじゃないか?)
ふとその時、ガリアスの陰謀は、アイルを兵士から追いやった五年前より今までずっと繋がっていても、何らおかしくないということに気が付いた。
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