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「神官共がヴェンダと共謀して謀反だと?馬鹿馬鹿しい、ありえん!!」
大部屋に男の怒号が響き渡る。部屋の隅で作業をしていた男の兵士は、様子を見ていた女の先輩に事情を尋ねる。
「どうしたんですか?謀反とか聞こえましたけど」
尋ねられた彼女は顔を曇らせていた。その視線の先にはコートを着て銃を背負う見知らぬ男。男が退治していたのはダリア支部の全部隊を指揮する立場にある統括隊長だ。
「あの男が突然やって来たの。監察官の委任状を持っているらしいわ」
「監察官の!?じゃあ本当に謀反も起こるんじゃ」
「それは無いわよ。神官は保守派の代名詞じゃないの。神官長がヴェンダのメンバーだなんてありえない。見てみなさいよ、統括隊長もまともに取り合っていない」
この場所でまともに彼の話を聞いていた者は居なかった。彼──監察官の委任状を持ったメルトの。
メルトは真っ向から統括隊長に反抗する。
「しかしここには監察官の正式な委任状があります。監察官権限でなら軍も動かせるはずです!」
「いくら委任状があるとはいえ、そもそもお前はどこの誰なんだ!身元もしれないような奴に従えるほど我々ダリア支部は甘くない!!」
「ちょっとちょっと、メルトくん!?アンタ何してんのさ!」
突然湧いて出たのは、騒ぎを聞きつけて飛んで来たエルマーだ。
「アイル先輩は何してるんだよ!」
「幽閉されてる」
「幽閉!?先輩が!?」
信じられない、と顔に書いてある。それもそうだろう、アイルの実力は今だに健在である、それを神官達にどうにかされるはずがないのだ。メルトもアイルがこうもあっさりと捕まったのは釈然としないが、幽閉されていることは事実なので話を続ける。
「時は一刻を争います。統括隊長、今すぐ聖堂の鎮圧を」
「だからお前は誰なんだと聞いている!」
あまりにしつこく統括隊長は食い下がった。メルトはコートの襟元から下に着ていた軍服を見せた。
「俺は偵察隊第三班所属メルトです。アイル監察官から権限を委任されここに参りました」
「偵察隊?」
エルマーは面を食らった様子だった。
「アンタ兵士だったのか!」
この軍服はずっと荷物の奥に押し込んでいたものだ。アイルに助けられた日から、ドーシュに繕われ、ようやく日の目を見たのがよもや謀反の直前とはメルト自身も思いもよらないことだった。
統括隊長は眉間に皺を寄せる。
「偵察隊の人間が何故監察官と行動を共にしている」
「詳しいことは守秘義務から言えません。ただ言えるのは、現在聖堂に居る神官達はヴェンダと繋がっているということです。これでは保管されている宝物の安全に支障をきたす可能性が高い。あなた方には監察官の代理として管理者である神官長を拘束して頂きたい」
「・・・・・・もしや、そのアイルという女は昔王都に居た兵士じゃないのか?」
その言葉に周りに居た何人かが反応を示した。エルマーは声を低め、メルトに耳打ちする。
「メルト、統括隊長は・・・・・・ライディン様の元で働いていたことがある」
やがて統括隊長は表情を消し、冷たくメルトを突き放す。
「監察官は神官に身柄を拘束されていると言ったな。悪いが証拠が無ければ我々は動けない。実際怪しい動きを見せている神官は報告されていない。そもそも我々ダリア支部に神官ごときがかなうものか」
「軍を動かす権限は正当なものです。権限を行使するのに監察官の証言以外に必要なものがあると?」
「どこに監察官の証言がある。こんなもの、ただの紙切れに過ぎない」
メルトは唇を噛む。
(やはりライディンの恨みか)
かつて上司であったライディンを密告したのは他でもないアイルだ。それも当時の『アイルがライディンに濡れ衣を着せた』という噂を耳にしていたとするなら、この先メルトが何と言おうと統括隊長は聞く耳を持たないだろう。万事休す、その時だ。
「しかしその書面は正式な委任状ですよ、統括隊長」
後ろから聞こえた声にメルトは振り返る。そこには優しい面影をした美丈夫が部下を引連れやって来た。そして彼の顔を見たエルマーがまるで幽霊を見たような顔で震える。
「ああぁ・・・・・・!」
「どうした?」
「た、大変だ!あの人は──!!」
目を白黒させるエルマーをよそに、彼はメルトの前で立ち止まった。
「僕はシグナルド。治安維持部隊隊長だ」
メルトはくっと目を見張る。
治安維持部隊とは今上国王が自ら創設した王都所属の部隊だ。そして主に地方に根を張る保守派改革派を探る偵察隊とは異なり、王都で勃発している派閥争いに対処するのが治安維持部隊の仕事だ。
「何故、治安維持部隊がダリアに居るんですか」
「遠征中だったんだ。我々王都の部隊はこの時期、交代で地方を回る慣例があってね」
やがてシグナルドはメルトの隣で何故か泡を吹いているエルマーに気付いた。
「やあエルマーくんじゃないか!久しぶりだね」
「ど、ども、覚えて貰えていたなんて光栄っす・・・・・・シグナルドさま」
メルトはエルマーの様子が始終おかしいことに疑問を抱く。どうしてエルマーが驚きふためくのか、その答えはシグナルドの口から出てきた。
「婚約者のバディだったんだ、当然だよ」
「婚約者?」
「シグナルド様は・・・・・・アイル先輩の元婚約者だ」
エルマーにそう言われ、シグナルドは薄く笑んだ。
メルトは平常を装ったつもりだった。でも内心では呆然とするような、困惑にも似た感情を抱いた。あのアイルに結婚を約束した相手が居たのか。そういえば知ってか知らずかドーシュがアイルに対し結婚の話をすると、いつもアイルは苦虫を噛んだような表情をしていた。結婚という言葉の先に、彼女の頭の中にはずっとシグナルドが居たのだ。
「統括隊長、メルト兵士の委任状は正式なもので、サインもアイル監察官のもので間違いありません。つまりメルト兵士の権利行使はすなわち監察官の権利行使に相違ありません」
シグナルドの言葉にメルトとエルマーは現実に引き戻された。統括隊長はシグナルドを忌々しそうに睨む。
「元婚約者に対する贔屓じゃないのか」
「事実を述べただけですよ。もし贔屓目で見るとすれば、彼が偵察隊の兵士ということです。彼は保守派や改革派について詳しいはず、言っていることに信憑性があると思います」
「・・・・・・」
笑みを浮かべながら淡々と物を言うシグナルドだったが、とうとう最後の一手を振りかざす。
「あなた方が出動しないなら、我々治安維持部隊が動いてもいい。その代わりもし、本当に神官長が謀反を企てていた時、要請に従わなかったあなた方も謀反に加担したと見なします」
統括隊長はカッと見開き、目を血走らせていた。
「それで脅す気か?このダリアを管轄しているのは私だ!ここで王都のように勝手な振る舞いが出来ると思うなよ!!」
「あなたこそ何を履き違えられているのですか。この国を統べるのは国王陛下です。そして我々は王の直轄部隊。ここが王都でなくとも、我々の意思は王の意志と捉えるのが至極当然なのでは?」
シグナルドの言葉に統括隊長は額に脂汗を滲ませる。本当に私情で動いているのはどちらか言うまでもない。
「あなたが今すぐ監察官代理に従うのなら、今の言葉は聞かなかったことにします、統括隊長」
「・・・・・・。・・・・・・三十分後、ダリア支部全隊をもって緊急出動する。ダリア聖堂を制圧し、謀反人を取り押さえる!急いで準備しろ!!」
「「「「「は!」」」」」
総員が声を揃え、慌ただしく大部屋から出て行った。統括隊長も恨めしそうな目でシグナルドとメルトを睨みながらその場を離れた。
統括隊長の気持ちが分からないでもない。しかし統括隊長にはかつての上司の恨みを持ち出すことよりも、兵士という立場において成すべきことを成さねばならない。それが与えられた役割なのだから。
「協力感謝します」
メルトはシグナルドにそう言うと、彼はやや複雑そうな顔をした。
「君はアイルさんにかなり信頼されているようだ。でなければ清廉潔白な彼女が簡単に権限譲渡なんてするはずがない」
メルトは少し首を傾げる。
「ライディンさんのことを知っていてなお、彼女が清廉潔白だと思いますか?」
この男は先程の統括隊長とは違い、アイルがライディンを陥れたと思っていないようで、『清廉潔白』という言葉が浮いて聞こえた。それとも単純にアイルを信頼しての言葉なのか。
「率直に言って、僕はアイルさんが改革派と組んで何をしたのか知っている。そしてヴェンダはアイルさんに六年前のことに恩義を感じていて、そう簡単な理由で彼女を幽閉などするはずがないことも分かっている。これで君が気になっている疑問は解決したかな?」
シグナルドはメルトが試していることに気付いていた。
(この男も情報通か)
あの統括隊長ですら、ライディンはアイルに陥れられたと信じ込んでいる。しかし港に現れドーシュを連れて行った警邏隊隊長ガリアスは違った。そして二人目が目の前に居るシグナルドだ。二人に共通するのは王都の人間であることと、アイルに近しい人間だということ。
しかし尚更メルトはある疑念を抱く。
「そこまで分かっているなら、俺が嘘をついている可能性を疑わないのですか?」
シグナルドは統括隊長が置いていった委任状にトンと指を置く。
「もし君がこの書面を脅して書かせたとしたら、平常時と同じ筆跡になるはずがないんだ。でもこれは彼女のいつも通りの筆跡。ということは偽装ではない。──安心したまえ、僕は君より彼女の味方さ」
シグナルドは意味ありげな笑みを浮かべる。そして悠然とした足取りで立ち去っていったのだった。
メルトは、自分はどうやらとんだ勘違いをしていたことに気付いた。彼はアイルのことを信頼しているいない以前に、彼女のことが分かるのだ。アイルがどんな性格でどんな筆跡でどう行動するのか心底理解している。彼はメルトを信じたのではなく、アイルを信じていたのだ。そして心から愛しているのだろう。
「・・・・・・すごいだろ、アイル先輩のことに対するあの自信」
いつの間にかメルトの背中に隠れていたエルマーが苦笑しながら姿を現す。
「ああ。本当に恋人だったんだな」
「いいや、婚約は家同士の決め事だったらしぃ。でもライディン様の密告後、先輩の除隊を聞いたシグナルド様の両親が、評判の悪くなったアイル先輩と結婚することを反対して婚約は破談になった。そしたらアイル先輩はそれをすんなり受け入れたけど、シグナルド先輩だけは頑なに破談を拒んだらしーけど」
「あの態度を見ればその光景が容易に思い浮かぶな」
彼の中ではアイルとの結婚は政略結婚ではなかったのだろう。
「あーあ、ライディン様さえ死ななけりゃ、アイル先輩はとっくに結婚してたのにな。つーかオレめちゃくちゃヒヤヒヤしたよ。いつ元彼と今彼の激戦になるのかと」
「今彼って誰のことだ」
「そりゃアンタでしょ」
指をさされたメルトはため息をつく。シグナルドが現れてからやけにこちらに視線を向けてくると思ったら、エルマーは想像以上につまらない取り越し苦労をしているようだ。
「俺はアイルとそんな関係じゃない」
「えぇ、マジかよ?オレはてっきり・・・・・・」
ぶつくさ呟くエルマーはさておき、メルトは彼女が歩んだ人生の旅路に顔を暗くした。
(上司の為思って密告したことで除隊と破談か。まるでそれが不幸の起爆剤になったかのような転落だな・・・・・・)
ふと、ある考えが頭をよぎった。
(もし六年前の件がガリアスの仕組んだことだったとして、奴の計画の中に『婚約の破談』は組み込まれていたのか?)
これこそエルマーに負けず劣らずつまらない考えだ。つまらない上に安直で、あのガリアスには到底似合わない考えだった。
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