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「まだ来ていない?」

「はい。監察官殿はまだおいでになられていません」


 メルトは眉をひそめた。先に聖堂に行っていると言ったのに、まだ来ていないとはどういうことか。何よりメルトの問いに対して考える素振りも無く即答するのだ。


「そんなはずはない。俺より先に来ているはずだ。確認してくれ」

「申し訳ありませんがもう閉門の時間ですので、また明日お越しください」

「待て!」


 門限を理由に、あっという間に追い出されてしまう。神官達が何か隠しているのは言うまでもない。メルトは、アイルが事故ではなく事件に巻き込まれたと確信した。


 ひとまず聖堂に潜り込む手段を考える。日はすっかり落ち、訪れる礼拝者ももう居ない。聖堂の周りの塀を探るが、メルトの身長より高く登るのは不可能だ。それに欠損部分はそのつど補修されており、人の通れる穴も、足を掛けて登れる傷も無い。


聖地に指定されている十二の聖堂には最低限の防犯と守護が義務付けられている。あの辺境の地にあるファーノであっても補修工事が行き届いているとアイルが言っていたのを思い出した。聖堂に侵入するのは一筋縄ではいかない。


 メルトはため息をつく。彼女は面倒なことに巻き込まれたようだ。


(死んでなければいいが)




(死んでなければいいが、とか簡単に思ってそう)


 頬杖をつき、やる事も無く机の木目を数えていたアイル。取り押さえられた後連れて来られたのは、罪を犯した神官が入れられる反省室だ。机もベッドもあり、手錠や足枷も無い。囚われの身としては好待遇と言える。牢屋と同じ部分があるとすれば、日光を取り込む窓が天井近くにほんの少しだけあって、人が出入り出来ない大きさで、わざわざ丁寧に鉄格子が嵌められている点だろう。勿論扉には外から鍵が掛けられている。


(探しに来てくれなかったらどうしよう)


 窓の外からは騒ぎ声一つ聞こえない。もしやアイルが閉じ込められていることにも気付いていない、なんてことはないだろうか。


 と言っても、待っているだけではメルトも見つけるのは難しいだろう。せめて自分から何か居場所を特定出来る行動を起こさねば。


 すると若い神官が食事を持って部屋に入って来た。先程アイルに説得を試みてきた彼だ。


「あなた名前は?」

「オーブリーと言います」


 オーブリーにはドーシュを彷彿させる何かがあった。若いからか、真っ直ぐな目をしているからか。少し懐かしさが蘇ってきたが、同時に別れた時の苦々しさも思い出して思わずオーブリーから目を背けた。彼が運んで来たトレーにはスープとパン、水の入ったグラスが乗っていた。


「ねえ、私は何日くらいここに閉じ込められるの?」

「少なくとも都市封鎖が開始されるのは三日後です」

「その三日後っていうのに意味はあるの?」

「現在ダリアには治安維持部隊が遠征中です。なので彼ら等が王都へ帰還次第計画は開始されます」

「そう」


(確かに、ダリア支部の兵士だけでも厄介なのに、王都の治安維持部隊を相手取るのは分が悪過ぎるわね。神官長も馬鹿ではないか)


「お気持ちは変わりませんか?」

「ええ」


アイルは迷い無く答える。


「そうですか・・・・・・」


 オーブリーはまた食器を回収しに来ると言って部屋を出ていった。


(私がライディン様を助けたことがヴェンダの中でよほど神聖化されているのかしら。オーブリーは聞いたことを素直に答えてくれる良い子だわ。でも兵士が来たら、あの子も謀反人として処刑されてしまう)


 ふと、まだ監察官として何もしていないのに、もう神官達が取り押さえられることを前提に考えている自分に呆れ、自嘲気味に笑った。


(人の心配をしている場合じゃなかったわね)


 アイルは黙って椅子に座り、スプーンでスープを静かに口に運んだ。


 異変に気付いたのは次の日の夜だ。どこからかハーブの匂いがする。スッキリと鼻を抜ける独特の匂い。これはいつぞやの商店で、寝起きの悪いアイルを起こす為にドーシュが買ってきたものだ。


 匂いの元は天井にある通気口からだった。通気口はいくつかの部屋に空気を送る為に一続きになって繋がっている。成人でも一人なら這いずって通れる。


(メルトがドーシュの香水を使って、来ていることを知らせているのね)


 しかしアイルの場所は特定出来ていないのだろう。気配は感じられない。何か合図をしたいが、荷物は全て没収されている。


 部屋にあるものでどうにかしなければならない。机の中にあるのは懺悔の日記を綴る為にある筆記用具、そして空の食器だけ。オーブリーが来る前にスプーンをくすねポケットに隠したアイルは、トレーの回収に来たオーブリーにある物を頼んだ。




 メルトが部屋に辿り着いたのは、三日目の夕暮れだ。通気口の上にメルトが来てもなお、アイルがヴァイオリンを弾く手を止めることは無かった。弾いている間、ひそひそ声で話せば音色が会話をかき消してくれる。


「ヴァイオリンの趣味があるなんて一言も言ってなかっただろ。紙細工を置いてなかったら気にも留めなかったぞ」


 耳を澄まさなければ聞き漏らしそうな声が通気口から聞こえる。


 このヴァイオリンはアイルがオーブリーに頼んだものだ。暇潰しにどうしても欲しいと懇願した。すると聖堂に務める楽士から古いものを借りてきたという。古くともダリア聖堂の楽士の所持品は一級品で、保存状態は良く、伸びやかな音はしっかりとメルトを呼んできてくれた。


 そしてアイルはベッドに椅子を置き、背もたれに足を置いて天井に手を伸ばし、通気口の蓋にあるネジをくすねたスプーンで外した。椅子の背もたれに立つだけでもバランス感覚を伴うのに、マットレスの上でそれをやってのけるのは勿論容易ではなかった。しかし人間やらねばならない時というのは、自分が思っている以上に力が発揮出来るのだ。自分でも思わず王都の兵士だった頃の自負を思い出したほどのバランス感覚を発揮した。


 それから、外した蓋の上に紙で折った鳥を置いておき、またネジを留めておく。あちこちの通気口を這いずってウロウロしていたメルトは、ヴァイオリンの音色とその紙でできた鳥でアイルに気付いたのだった。


「よく侵入出来たわね」

「昼間に聖堂に入って、人目の無くなる夜まで潜んでいた。それでどうして幽閉されてる?」


 会話をしても外の見張りは入って来なかった。気付いていないのだ。アイルは話を続けた。


「神官長がヴェンダと繋がっていたの。奴ら、このままダリア都市を封鎖して謀反を起こす気よ」

「そんなことが・・・・・・。よく生きていられたな」

「ヴェンダはライディン様の件で私に恩があるみたいで、待遇は上々よ」

「そうか。だがどうやってここから抜け出す?」

「計画が開始される明日まで私はここでやり過ごすわ。でも、あなたを巻き込むつもりはない。どこへなりも好きな所へ行くといいわ」

「突然何だ。そんなこと出来るか。俺を拾った責任とやらはどこへ行ったんだ」


 メルトの静かな声音から怒っていることが分かる。


「責任があるからこそ、あなたに生きて貰わないと困るのよ。もう自由になって欲しい。ダリアで神官と兵士の抗争なんて起これば、監察官の助手であるあなたにも危険が及ぶかもしれない。だから──」

「俺に自由になれと言うならそうする。重石おもしになっているのならどこにでも行こう。だがそんな理由で遠くへやろうとするなら、俺は自分の意思でお前に付く」

「そうなれば、あなたは色んなことに()()をつけなければいけなくなるわよ」


 メルトにはずっと、宙ぶらりんにして放っていることがあった。それはこのまま触らなければいつか忘れ去られ消えるもの。メルトがそうしたいのならそのまま消してしまえばいいと思っていた。だが、メルト自信がそれを選ばないようだ。彼はキッパリと言う。


「それこそお前の心配することじゃない。子供じゃないんだ、自分の行動には自分で責任を持つ」

「・・・・・・。置いてあった紙細工を開いてみて。中身は監察官権限の委任状よ」


 籠の鳥状態のアイルは、監察官としての権利をメルトに譲り、謀反に対する対処を任せようとしていた。本当はメルトが決断することを心のどこかで分かっていた。分かっていたことをメルトは察して、不機嫌な声音を出す。


「結局最初から俺の意志を読んでいたのか」

「信じていたからよ」

「嘘をつけ。俺を試したんだろう。まったく、卑屈な人間だなお前は。そのヴァイオリンの音に出ているぞ」


 そう言うとメルトの気配は消えた。アイルはメルトが消えてからも、ヴァイオリンを演奏し続けた。朝から弾き続けた演奏が突然止まると不自然に思われるからだ。


 思えばヴァイオリンを弾くのは久しぶりだった。もう何年も弾いていなかったが、まだ何曲かは腕が覚えていたのは幸いだ。


 ───不意にいつの日か交わした会話が脳裏に閃いた。あれはまだ兵士だった頃。腕がなまらないようにと両親の言いつけを守り、ただ意味も無く弾き流していた時だった。


『あまり演奏が好きじゃないようだね。音に出ている』


 見透かしたように話す彼は、アイルより歳上で、いつも愛おしげな眼差しを向けてきた。それがいつも面映おもはゆかった。


『下手なだけです。それにあなたに聞かせているんじゃありません』


 アイルが冷たくあしらうと、


『じゃあいつか僕の為に演奏してよ。その時はきっと、素敵な音色になっていると思うから』


 そう言って最後まで演奏を聞いていた彼。・・・・・・誰かの為に弾くのなら、腕前以上の音色になるのかとずっと思っていた。でも。


(今度はちゃんと弾いたのに、あんな風に言われるなんて。やっぱりただ下手だっただけじゃない)


 メルトの言葉を根に持ちながら弾いているとヴァイオリンの弦が一本切れてしまって、とうとうアイルは演奏を止めた。



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