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床に座り込んでいたライディンは、鉄格子の向こうに立つアイルに驚かなかった。暗くて冷たい石の床で、今何を思うのか。彼の浮かべる微笑を見て余計に分からなくなった。
「そうか、お前だったか」
「何に対する納得でしょう。私が密告したことにですか。改革派と手を組んであなたに謀反の罪を着せたことにですか。それとも、あなたの両親と妻を殺してまでも、あなたを保守派に渡さなかったことですか・・・・・・」
「いいや、兵士としての務めを果たしたことだ。ヴェンダの構成員である者を見つければ即時報告。お前は自分の仕事をした。よくやった」
「よくやった、ですって?──なんでヴェンダに入ったんですか!!あなたはリオン様と並ぶ中立派として、改革派と保守派の間を取り持つ方だったではありませんか!!どうして、どうしてよりにもよってヴェンダになんか・・・・・・似合わないですよ・・・・・・!!」
堰を切ったように言葉が溢れ出てきた。こんな時に褒められたって嬉しくない。成長して褒めてくれるなら、上官のままで居て欲しかった。
「実は息子が居るんだ」
「え・・・・・・?」
それは初耳だった。ライディンに子供は居ないはずだ。
「妻との子ではあるが、戸籍は無い。山奥の知り合いに預けている」
「ヴェンダに入れば自分の子供が危険にさらされるからですか」
「いや、ヴェンダに入ったのは数年前、息子が生まれたのは九年も前だ」
「でもそのつもりではあったんでしょう」
ライディンは少し考えるように黙って話し始める。
「子供が生まれると知った時、漠然とある不安に襲われたんだ。国の上層部を牛耳り、政治を私利私欲の為に利用する保守派の高官達。このままじゃ子供達が幸せに暮らす明るい未来が、保守派によって食い潰されてしまうのではないか。生まれてくる子供は本当に幸せになれるのか、と」
何年かけて組織に入り込んだのだろう。ライディンに子供が居る素振りなど微塵も見せなかった。これほど子煩悩な人なのに、それが行き過ぎたのだ。
「幸せになれるかどうかは、ライディン様がもうご存知のはずではありませんか?あなたは奥様と出会われ、息子が生まれた時、幸せに感じなかったのですか?この国は、変えなければいけないほどおかしいですか?」
「勿論俺は人生の幸せを噛みしめている。しかしこれは俺の幸せであって、息子の幸せを保証するものはない」
「ヴェンダは民主主義を掲げているそうですね。慣例も神も捨て、民が自ら政治を進める。その志は立派です。そんな理想が叶えば夢みたいです。でもそれは、やはり夢なんです。──現国王陛下だって民のことを考え、必死に保守派と改革派を押さえ込んで、王はしっかりと自らの政治を執り行っておられている!それの何がいけないんですか!」
ライディンは口元を歪ませた。
「では国王陛下が亡くなられたら、その次の国王は同じ政治を進めるか?そんなことはありえない。国王という名前は同じでも、人の考え方はそれぞれ異なる。今までの改革派とヴェンダの違いはそこだ。同じ改革派の思想を持ちながらも、今までは新たに別の王を据えて新しい世の中を開こうとした。しかし悪意ある王が現れる度そんなことをしていたら一向に国政は落ち着かない。それなら最初から王なんて置かず、我々が自ら考え、動き、未来を切り開くべきだ」
「・・・・・・。私はこれ以上あなたと政治的な意見をかわすつもりはありません。でも、あなたが決定的なミスを犯したことは事実です。それは保守派に正体を知られたことです」
「そうだな。正直どこでしくじったのか心当たりが無い。きっと俺にはヴェンダの幹部なんて向いてなかっんだろうな」
その言葉を聞いてアイルはワナワナと震えた。
「何でそんなこと言うんですか!今更言ってももう遅いんですよ!?」
「分かっている。別にお前が恨めしくて言ってるんじゃない。もし保守派の手によって捕らえられていれば、拷問の後、妻を人質に取られ、夫婦共々地獄を見ていた。それならいっそ皆々で一瞬にして殺された方がマシだ。俺はお前に救われたよ」
「優しい言葉なんて要りません。私は自分の下した決定がどんな理由があっても正当化されるべきじゃないと考えてます。私は私のエゴであなたを密告した。それだけです。でもあなたがそんな後悔してたら、あなたの生きてきた意味そのものが無くなってしまうのに!!」
「ならそのエゴに乗っかって、一つ頼みたいことがある。俺の息子、ドーシュを任せられてくれないか」
アイルは鼻で笑った。笑ってやったのだ。
「親を殺した相手に息子を任せるなんて、正気じゃないですよ!あなたなんて大嫌いです、あなたの息子なんてもっと大嫌いですよ!!」
やけっぱちだった。これ以上ライディンらしからぬ言葉を聞きたくなかった。今まであった理想が崩れていく。
「いいや、お前なら引き受けてくれるだろう。自分のエゴで我ら一族を殺し、一人の子供を孤児にした。お前にはその責任がある」
「どうして私にそんな呪いをかけようとするんですか。それは私だけじゃなく、あなたの息子をも不幸にするんですよ?あなたは息子の幸せを願っていたんじゃないんですか!?」
「そうさ、アイル。情けないが、俺は今過去を悔やんで止まない。何故ヴェンダになんて入ったのか。ドーシュの為に世の中を変えようと思ったのに、もう二度とドーシュに会えないようになるだなんて、本末転倒もいいところだ。こんなことになるならドーシュを自分の手元で育てるべきだった。子供を奪われた妻は気が狂ってしまったというのに」
その時牢に設置されたロウソクの微かな明かりに何かが反射して光った。どこに隠し持っていたのか、光ったのはナイフの刃だった。その切っ先はやがてライディンの喉元に向く。
「これは最後の足掻き。俺と妻を殺したのはお前だ、だからお前が責任を取ってくれ」
アイルは鉄格子を掴んで叫んだ。
「ふざけないでライディン様!!あなたは死を目前におかしくなったんです!!お願いやめて!!誰か!!来て、早く!!」
しかし人払いをしていた牢に人がすぐに来られるはずもない。
「頼んだぞ、アイル」
それが最期の言葉。牢の中に血飛沫が舞い、ライディンは処刑を待たずして自殺した。アイルは呆然と立ち尽くした。足元に流れて来た血が、ブーツの中に染み入るような気がした。そしてその血は足を雁字搦めにするのだ。飛んで来た牢屋番達が騒がしい中、アイルはしばらくその場から動けなかった。
***
「・・・・・・ル、アイル!」
「!」
揺り動かされ、アイルは目を覚ました。肩を揺すっていたのはメルトだ。
「起きろ、着いたぞ」
どうやら船の移動中に眠っていたらしい。ふと、じっとアイルはメルトの顔を見つめた。それに対しメルトは怪訝そうな顔をする。
「どうした。気分でも悪いのか」
「いいえ、何でもないわ」
目の前に居たのがメルトでよかった。冗談でもライディンの幻影など見たくもない。
あの時誰が牢の中でライディンにナイフを渡したのか分からない。ライディンには面会禁止令が出ていたが、違反者は数多く居たという。特定は難しい。アイルもその内の一人。
結果、ライディンはアイルの目の前で死に、アイルの中に確かに『呪い』を残していったのだ。もう六年も前だというのに、呪いは今もアイルの首に鎖をかけ、手足に枷をかけている。
アイルはゆっくりと立ち上がって、日の照った船の甲板に出た。
「行きましょうか、次の聖地ダリアに」
こうしてメルトと二人きり、ドーシュの居ない聖地巡礼が幕を開けたのだった。




