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日が昇って少しだった頃、メルトとアイルは帰りの遅いドーシュを迎えに、少し早く宿を出た。この時メルトは嫌な予感がしてならなかった。昨日王都の兵士達を見たせいか、あの船着き場近くを通って鍛冶屋へ向かうことが良くないことのように思えてならない。
ふと隣を見ると、アイルの表情もいつもより少しだけ固いように感じる。今までドーシュが寄り道をして遅くなることなど無かったという。彼を迎えに行こうと言い出したのもアイルだ。
しかししばらくしてすぐに、ナイフを腰に携えたドーシュを見つけた。アイルが安堵した表情で小走りに彼へ駆け寄った。メルトも内心ホッとした。
「ドーシュ何をしていたの!心配したのよ、っ──!」
驚愕したアイル、その視線の先、ドーシュの後ろに見知らぬ一人の兵士が立っていた。男の胸には緑色のブローチが光っている。
(誰だ?)
彼は王都の兵士、つまりアイルの知り合いである可能性が高い。しかし男はドーシュの後ろで冷笑を浮かべ、向かい合うアイルは男を目の敵にするように睨めつけている。
「久しぶりだなアイル。まさかお前がライディン様の息子と居るなんてな、どこまであの方を貶める気だ」
「ガリアス・・・・・・!」
憎々しげに男の名を呟き、アイルは唇を歪めた。ふと、二人の間に立っていたドーシュがアイルを見つめた。その目には淀んだ闇が宿っている。
「アイルさんが僕の父さんを殺したって本当なの?」
アイルはくっと目を見張った。ドーシュの言葉と、アイルの反応に、メルトも驚きを隠せない。
(アイルがドーシュの父親を殺しただと?)
当然にアイルは抗弁すると思っていた。だがアイルは何も言わなかった。彼女の顔から驚きが消え、感情さえも消え去り、やがて冷徹な双眸でガリアスを見返した。
「あなたが喋ったのねガリアス」
「俺は聞かれたことを答えただけだ」
そのやり取りが、ドーシュの問に対する答えでもあった。
「やっぱり父さんのこと知ってたんだ。知らないって言ってたのに」
「・・・・・・」
「なんで嘘ついたの?僕を引き取ったのはなんで?騙してまで何がしたかったんだよ・・・・・・!?」
「・・・・・・」
感情の無い表情で、アイルは沈黙を貫いた。
「何故何も言わない」
そう尋ねたのはメルトだった。やがてアイルは重い口を開く。
「ライディン様は罪を犯していた、だから上に報告した。でも私もあの方を尊敬してたことがあった。優しく立派な上官だったから。だから身寄りが無くなってしまったあなたを、ライディン様の代わりに育てた。本当のことを言わなかったのは、知られると面倒だったから。それだけよ。それが全て」
「嘘だ。アイルさんが父さんを殺しただなんて」
「殺したのは私ではないわ、何もかもライディン様自身の罪が招いた結果なのよ。あの方は、改革派の人間だったのだから」
メルトはハッとした。保守派と改革派、そのどちらであっても罪を問われることはない。しかしそれにも例外がある。どちらかの思想を持ち合わせ、なおかつ過激派と呼ばれる組織に属する者。それらは国に仇なす大罪人として裁かれる。
「まさか、そのライディンという男は『ヴェンダ』のメンバーだったのか?」
メルトの問いにアイルは頷く。
「・・・・・・そうよ。改革派の中でも過激な思想の集まりであるヴェンダ。ライディン様はその中でも幹部格の人間で、兵士としてあるまじき行動を取っていた」
「じゃあ父さんは本当に謀反を?」
頷きかけたアイルに、その前にガリアスが遮った。
「──それは違う。ライディン様は敵であった保守派の人間にヴェンダの一員であることを覚られた。そして味方であった改革派の人間は、ライディン様から秘密が洩れることを恐れ、改革派自らライディン様の謀反をでっちあげて処刑したんだ。そうだろ?アイル。これが真実だ」
彼女の唇が一瞬だけ震えたのをメルトは見逃さなかった。次いでアイルは目尻を吊り上げ叫んだ。
「ガリアス!!」
ガリアスはアイルの表情を見て嘲り、せせら笑った。
「本当のことを言われて驚いたか?俺はもう王都警邏隊の部隊長だ、このくらいのことはとうの昔に知っている。密告し、改革派と結託し、将来を嘱望されたお前より出世しただろう?」
アイルはギリっと歯を軋ませる。その様子を見てドーシュはもう落胆の顔すら見せない。ただ虚空を見つめている。
「アイルさんは出世の為に父さんを売ったの?僕をずっと騙して、今度は何をしようとしてたんだよ。僕を利用して兵士にでも戻りたかったのかよ!!」
「待てドーシュ、落ち着け──」
「──落ち着いてらんないよ!」
悲鳴にも似た声で、メルトの制止を振り切って、ドーシュはアイルの胸ぐらを掴む。その目には涙が浮かんでいた。
「どうしてずっと黙ってたんだよ!!じいちゃんのことだって全部知ってたなんて!!お願いだから・・・・・・全部間違いだって、ライディンなんて知らないって言ってよ!!」
アイルはほんの一瞬苦しそうな表情を見せたが、やがて表情を消してドーシュの手をそっと外した。
「事実よ」
淡々とした声に、ドーシュは手を振り払って思わず後ずさった。
「僕はもうあなたを信じない。だからこれから先一緒には行けない。・・・・・・さよなら!!」
ドーシュは振り返ることなく走り去って行く。
「待てドーシュ!」
追いかけようとしたメルトの腕を掴んだのはアイルだった。そしてアイルはガリアスに、やはり嫌悪の情を見せ睨みつけている。
「あの子をどうする気よ」
「本人は兵士になることを望んでいる。使えると判断すれば俺の隊に入れる」
「あくまであの子が望んでの話よ。無理強いは許さない」
「知るか。俺はお前のように甘くはない」
ガリアスはそう言って、アイルと、そしてメルトを一瞥して背を向けて行ってしまった。
この僅かな時間に何が起こったのか理解するには、あまりにも情報が少なかった。ただあれほど仲睦まじかったアイルとドーシュは決別し、別々の道を歩むことになった。
俯くアイル。メルトは彼女を責めなかった。ガリアスの言うように、アイルが出世なんてものの為にドーシュの父親を売るような真似をするとは考えられなかったからだ。
「何故、ドーシュを行かせた」
「ドーシュがそうすると決めたからよ」
「お前には止める権利すら無いということか?」
アイルはドーシュに振り払われた手を見つめる。
「ガリアスが言ったのは全て本当のことよ。ドーシュの父ライディン様を密告したのは私」
「確かヴェンダは各地の保守派を暗殺している組織だな」
「ええ。ライディン様はその指揮をしていた。でもヴェンダは身内をも見限る無情な組織よ。だから捕まったライディン様に謀反の罪を着せ、親族共に処刑させた。でも例外が居たの。それが戸籍上息子とされていなかったドーシュの存在よ・・・・・・」
前にアイルは、ドーシュには血縁者が居ないと言っていた。その理由はこれだったのだ。あまりにも無常で無慈悲な過去に、メルトは彼を哀れまずに居られなかった。
「お前がドーシュを引き連れて旅をした理由は、ライディンという男の恩義からだったのか」
メルトの言葉にアイルは自嘲めいた笑みを浮かべた。その頬に、一筋の涙が伝う。
「恩義なんてものじゃないわ。言うなればこれは、呪いよ」




