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王国軍偵察隊第三班は、木々生い茂る山中で息を殺して潜んでいた。藪の中で相手に悟られぬよう目と耳を凝らす班長以下班員四人は次の銃弾を装填していた。偵察任務とはいえ、三日続いている戦いにはさすがに全員疲弊していた。逃げても逃げても追ってくる敵。いくら山深い場所とはいえ通常であればとうに街に出ている頃だ。なのに応戦しながらでは遅々として前に進まない。敵はいつこちらに気付いて襲いかかってくるか分からない。
不意にメルトは空を眺めた。どんよりとした灰色の厚い曇が空を覆い、今にも雨粒がこぼれてきそうだった。
「どうしたメルト」
「いえ・・・・・・」
メルトが俯くと、代わって班長が空を見上げた。
「降り出しそうだな。雨の中眠るのは辛いなぁ」
「雨でなくともまともに眠れないですよ」
ある班員がそう言うと、班長はニヤリと笑った。
「どこでも眠れるお前なら眠れないくらいで丁度いいだろう。いびきで敵に察せられるのだけは避けたい」
「酷いですよ班長」
班員達は声を抑えながらで笑い合った。どこから狙われているかも分からず、命すら危うい状況なのに、こんなにも暖かい談笑が出来るのはおかしなことだった。
ただメルトは口の端を微かに上げただけで、本心から笑えてはいなかった。
(この班は特殊だ。偵察隊というのに明る過ぎる)
班長は人徳のある人物で、まだ三十過ぎの若手。班員一人一人に目を配り、孤立しがちなメルトにもよく気を配ってくれていた。班長だけではない、他の三人も何故偵察隊などという孤独で表に出ない部隊に居るのか不思議な程の人格の持ち主だった。もしかしたら班長の人柄に染まって、こんな班になったのかもしれないと思った。けれどもメルトだけはそうはいかなかった。むしろ自分の心の中に暖かい何かをもたらそうとしてくれる班長に、苦手意識を抱いていると言っても過言ではない。
不意に乾いた銃声が響き、血飛沫が散った。年長の班員の頭に銃弾が貫通したのだ。
「伏せろ!!」
三人は班長の言葉に脊髄反射で動き、倒木に身を隠しながら応戦した。班長は隙を見て敵数を数える。
「敵は五人だ!こちらの手投げ弾は残り一つ、合図したら投げる!各自山を下れ!合流点で落ち合うぞ!」
「はい!」
「三、二、一!」
班長が手投げ弾を投げると、轟音が響き、煙が蔓延した。敵方に混乱を招いた内に、各員はそれぞれ木の陰から飛び出す。 撃たれた班員の遺体は置いていかねばならなかった。先程まで一緒に談笑していた仲間であったが、今もう彼に意識を向けている人間は居ない。各員はただひたすら逃げて、自分が生き延びる為だけに動いていた。そうしなければならないのだ。
それからどうなったのか、メルトはよく覚えていなかった。銃声と怒号が響き、班員は散り散りになってしまった。右肩に弾が掠め、山を転がり落ちるように走った。そして目の端に入った穴蔵に身を潜め、穴を木の枝で塞いだ。大人の身体がようやく入る広さで、動物が住処にしているようだった。
メルトは腕を押さえながら息を殺し、追っ手が通り過ぎるのを待った。そして足音が遠ざかったのを確認し、チラりと傷を見やる。
(思ったより傷が深い)
布で縛り止血をする。不意に死んだ班員の顔を思い出した。他の人間もどうなったのか気になったが、痛みと気だるさが思考を邪魔した。
まだ日は高く、外に出てもこの手負いではまともに銃を構えられない。メルトは今しばらくここに留まり隠れることにした。ここを住処にしている動物がまだ帰って来ないことを祈るようにして、そっと目を閉じた。
それから目蓋を押し上げると、日はすっかり沈んでいた。二時間くらい眠っていた気がする。メルトは辺りを注視しながら穴から這いずるように出た。闇に沈んだ森は静まり返り、人も動物の気配もしなかった。
(班長と合流しなければ)
メルトは銃を左肩で担ぎ、合流地点である谷まで急いだ。昼間曇っていた雲が残っており、月明かりが無く、足元が不安定ということもあって谷までたどり着いたのは真夜中だった。
もしかしたらもう他の班員達は合流して、自分を置いて行ってしまった可能性もあると考えながら、忍び足で辺りを確認しながら進む。すると渓流の傍にある岩陰に誰かが腰を下ろしているのが見えた。
「エゾラ班長!」
メルトは班長に駆け寄った。班長であるエゾラはメルトを見て小さく笑った気配がした。
「メルトか、遅かったじゃないか。もう来ないかと思ったぞ」
「他のみんなは?」
「お前が一番乗りだ」
「そんな・・・・・・」
ここに至るまでメルトは穴蔵で休んできたのだ。他の班員がメルトより遅くたどり着く訳がない。ふと、エゾラの足を見て目を見開いた。何発も被弾しており、血がズボンを染め、いまだ布地から滴っている。あまりにも酷い出血だった。生きていることすら奇跡なほどに。微かに雲の隙間から覗いた月がエゾラの顔色を照らしだした時、メルトは悟った。エゾラの肌はもう死人のように青白く、目も焦点が合っていない。
「班長・・・・・・」
「メルト、直ぐにここを離れろ。段々水が濁ってきた。上流で雨が降ったんだ。もうすぐ突如水かさが増す」
「でも班長───」
「命が最優先!!」
エゾラの絞り出した喝にメルトは肩を震わせる。
「それが偵察隊兵士のルールだ。だから頭を撃たれたウガも、胸を撃たれたリーライも置いてきた。ここにたどり着いていないスティーブも探さない、恐らく死んでいる。俺もこの出血じゃもうダメだ。ならお前のやるべき事は一つ。生きろ。生き延びて、任務完遂の使命を果たせ」
その強い意志のこもった眼差しが余計にメルトの足を重くした。するとそんなメルトを見て、エゾラは悲しそうに微笑む。
「・・・・・・悪いな、お前は最後まで俺の班に馴染めなかったな。いや馴染もうとしなかった。どんなに言葉を交わし、笑みを浮かべようと、俺達はいざという時仲間を見捨てなければならない。お前はそんな冷酷なことが出来ない優しい奴だったからだろうな。最後の最後に今までの努力を無駄にしてしまって」
信頼も、情も、敵を前にしたら捨てなければならない。だから普通は一線を引いて仲間と接する。いざという時に判断を鈍らせないように。なのにエゾラの班は特殊だった。優しい班長、緊張の中でも冗談を言う同僚、なのに突如冷酷になれる優秀さを持ち合わせていた。メルトにはそんな器用に生きられなかった。だから心の中で自分だけ一線を引いていた。なのに今、あんなに苦手だった瀕死のエゾラを置いていく決断が出来なかった。本当は苦手どころか、敬愛していたからだ。
見捨てたくない。なのに、エゾラに肩を貸して担ごうとしても、兵士として今自分がすべきことがそれではないと心の中では自覚してしまっていた。何より腕の怪我がそれを困難にした。そんな冷静な気持ちが自分の中に存在して、板挟みになったメルトは立ち尽くしてしまった。エゾラを見ると、やはり笑っていた。短く息を吸って、震える手を潰すように拳を握り立ち上がる。メルトはようやく決断した。
「エゾラ班長、俺は班長の下で働けて良かったです」
「それは俺への最高の手向けだな。・・・・・・さぁ、行け」
その時、轟音が地響きと共に聞こえて来た。メルトは嫌な予感がして、反射的にその場を離れた。エゾラに背を向け、必死に谷の傾斜を駆け上がった。そして一瞬の内に大量の濁流が押し寄せ、振り向いた時にはエゾラは濁流に飲み込まれ姿が見えなくなっていた。
「っ・・・・・・!」
後ろ髪を引かれる思いで、メルトは水が届かない位置まで上ろうとした。しかし片方の腕が使えないので岩が上手く掴めず、いつもの要領で登れない。その時、あとすんでのところで平地であったのに、片方のつま先を流れに掴まれてしまった。
メルトは川に引っ張られ、濁流に巻き込まれる。水の流れは上下に複雑で、まともに泳ぐことなど出来なかった。そしていつしか息継ぐことも出来ず、メルトの意識は水の中で途絶えた。
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