感動はどこへ
自分の体が私の知らない中に何も入っていないモノになった気がした。
数舜前まで本を読み、主人公の悲しみと喜びを感じて涙を流していた。気が付くと目からは涙は消え、あんなに近くに感じた主人公の言葉もどこか遠くに行ってしまった。頭には疑問だけが残っていた。登場人物はなぜ泣き笑い怒るのか。この本に限らずこの世すべての物語についてだ。そして、内から声が聞こえるのだ。「作者がそう書いたから」だと。あまりに空虚な言葉が湧いて出てきたことに感動は去り、すべてが止まったように感じる。それでも感動は本物なのだと、いつか読んだ本に書かれた言葉を思い出した。今までそう思ってきた。しかし、なぜ感動するのだろうか、考えれば考えるほどすべてが上滑りしていく。
日も落ちた町へ出かけた。家を出る際にしっかりと鍵を閉めることを忘れない私をあまりに冷たいもののように感じる。感動の為に登場人物は辛いのだろうか、死ぬのだろうか、幸せに生きていくのだろうか。暗い町はいつもの変わることなく、暗くなることもなく静かになることもない。もう一人いるように感じた。同じ感情と理性と思い出によって作られている全く同じ存在でありつつ、まるで中の見えない穴が見つめているような私だ。あまりに冷たくつまらないことを言うのだ。そして、それを否定できない。ただ悲しい。
足は前に進む、止めってしまえばつかまってしまう気がするのだ。しかし、明日の仕事のことを考え出し、足を家へと向けるのだ。体のすべては私に支配されているのだ。どんな思いがあったとしても、現実的に動くのだ。そう思わなければやっていられない。もう一人にはいてもらわないといけないのだ。全てに無視されいると感じても、眼は信号を確認し左右を見て、体は横断歩道を渡るのだ。何もかも鈍ってしまったのだろうか、感情は枯れてしまったのだろうか。そうではないが、なにもないのだと感じざるを得ない。
何事もなく、家にたどり着いた。入口の鏡にはしっかりと焦点の合った顔が映るばかりで割れもせず、汚れてもいない。劇的な瞬間を追い求めてしまう。背中には翼があり飛んでいく、そういうイメージを思い描こうとしたが上手くいくはずもない。この骨と肉と皮の後ろにはシャツの裏側がある。閉じた本を広げ、文字を追ってみたが、何も入ってこない。内容は分かるが、それ以外何も得ることができなかった。もう寝なければいけない。だが寝たくない。そうしてしまえばすべてなかったことになり、感じたものはさらに遠くに消えてしまうのだ。私はなぜ。
本を置いた。本の様子は何も変わることはなく。変わるわけがない。もう一人は居ない。つまらない私は、そのつまらなさを世界でいちばんよく知っている。どうすればよいのか聞く相手がいればと思うが、自分が相手に持たれる印象と今後を考えてそれさえできずに、しゃがみ込むことも倒れることも出来ずに、どこまでも。
風呂の準備を始める、自分のあまりのどうしようもなさに呆れることさえできない。もし呆れることができたなら私は。明日も仕事に行くのだ。心のままに生きていけないのだ。心を置いていくこともできないのに。悲しみも憤りもない。何かあっても、名前が分からない。名前を付ける才能が欲しい。
風呂につかり、体を洗い体をふいて着替えて寝床を準備して。死にたくないが、こんなに何もかもが遠くては明日も食事をしなければならない義務感につぶされてしまう。理由を教えて。
電気を消して。すべては、今失われているのに。明日の朝職場で話す内容が大事だ。