50 魔酒魔王Ⅱ
空気を気づかぬうちに粉砕し、紫に色づく髪を掻き分けてくる。
偽造していた耳が吹き飛ばされ、久しぶりに強い痛みが迸る。
「ッうぶぁ!?」
「きゃッ!」
俺の後ろにいたミレメルの頭上を、俺の耳を飛ばした触手がかすめて行った。余りの衝撃に腰を抜かしてしまったらしい。
「はぁ……はぁっ……」
「気を付けて。―――ったく。痛ぇなぁ」
心配してミレメルに背中越しで声をかけるも、耳が痛くて格好がつかない。証拠に小声で愚痴が漏れる。
それでも相手には集中しないといけない。守らなければならない。これは家族としての、嫌じゃない宿命だ。
対して当のミレメルは頬を赤らめているが、これはカゲハルにとっては知る由もない事である。
「とりあえず、距離をとるぞ」
俺はミレメルの方を瞬時に向き、
「ちょっと失礼」
背中を支え、脚を持ち上げる。
「え――ちょ、ちょッ!」
脳超加速を駆使し、一番早く逃げられるルートを考える。
地面を影操作でひっぱたいて初速を出し、強化障壁で魔王側に壁を作る。
ついででその障壁に爆弾石を添えて隠し、そのままスタコラと走り出す。
「逃げるんだね。賢明だねッ!」
当然相手は追いかけてくるだろう。俺は予測して爆弾石を置いていた。
粉塵が舞い、触手は遅れてやって来る。
その表面は傷ついており、どうやら作戦は成功しているらしい。
「ええい! シェドラ!!」
「ふんっ」
対抗できないかと体から蛇を放つも、フローネは無論といった様子で、相殺どころか突破して、ビームなり触手なりを飛ばしてくる。
「うぉッ、よッ、あっぶね!」
シューティングゲームなどをやったことはあるが、この場合の問題点は一人称と言う事。
FPSもやってはいたが、高速で背後から飛んでくる瞬殺物を完璧に避けるのはどう考えても鬼畜ゲー。
それこそ察知能力と瞬発力、脊髄反射がものを言う。察知はできても脊髄反射は無理に等しい。長時間動きながらの脳超加速は、流石にMP切れの心配があるため、実行できないという苦衷。
「確かに僕のプスゥレイトたちを屠ったのは見事だったけど、それはあくまでも時間を稼いだ程度。到底、生きられる保証にはならないよね」
(サバイブしているナウな奴を本気で殺しにかかってくる。どこまでハートが氷なんだよ!?)
冷徹に冷酷に、無慈悲な猛攻は蟻の軍隊のごとく、蜂の軍勢のごとく。
一瞬、走る自分よりも前に飛んでいった触手が、タコの手のように曲がりだす。
「ッ!? 止まれねえええ!?」
とにかくミレメルを下ろそう、そう焦ったせいで対応が遅れた。
触手が俺の喉元を通過する。
それはスキルとは程遠い、謎のダメージを含んでいる。
焼き切られる粘土細工の首。だがそれはどこまで行っても粘土だ。
【対処します―――………「解析変化体」解除。……体の構造を制御……レジデンスの意思より、個体名「ミレメル」を「魔吸収」内に収納します】
それはもうコンマゼロ点いくつかの間に起きた出来事。
何が起きたかは自分でも不思議なくらい理解できたが、自分の手から彼女が消えたとき、流石に体は正直に震えた。脳と体が分離した気分だ。
そして一番不思議なのが、視界がさっきまでの半分、どころか三分の一程まで低くなっていることだ。
手も黒い霧のようなものに戻っている。
「ほほう。それがカゲハルちゃんの真の姿だね。シャドーか。僕自身とても欲しい品だねェ………」
舌なめずりをするフローネ=ロムペンダ。
その音を聞き分けつつ背を伸ばしていくと、すぐに詔が解析変化体で、設定していた紫髪の美人に変更してくれた。
「無益な争いは僕も好むモノじゃないし、自分の利になるものは全て貰いたいんだよね。だから提案だね。私の所へ来てくれない? もちろん、君が隠した白髪の女の子も込みで、ね?」
俺が見たと分かると、手を招き、一つ目をいやしく現し、赤い絨毯を示すように。
ね、と付ける語尾も、今の言葉でより腹立たしいものになってくる。
「ああそうだ! 折角だし、君と隠した子を……合体させてみる? そうすれば、君たちは離れることはないよね。見た感じ仲良しだしね。そして強くもなる、僕についてくれれば僕にとっても良いことだね」
ウィンウィンと言いたいのだろうか。
俺は無性に、表現のしようのない、それでも例えるなら、「宇宙」とでも呼べばいいのか、とにかくよくわからない感情に浸食された。
それは多分、シンプルな怒り。
だが規模が違う。
「さあ! カゲハルちゃん! 来てよ、ね?」
……
………
「いや、知るかよww」
一周回って冷静とは、正にこういう事なのだろう。
自分でも何故吹き出したのかわからない。
だが、どうしようもなく、あのフローネとか言うのがしょうもなく見えたのは事実だ。
自分の事だけを考えている。それ以外は何も見えていない。それこそ一つ目だから、視野が狭いのかもしれない、そう思えてきた。
呆けるフローネを置き去りに、俺は急いで建物へと逃げてみた。
一方のフローネは、
(なんでだろうね。どうしてだろうね。ね、ね、ね、ね、ね、ねぇ? ダメダメダメ。あの子は僕の下に来るべきなんだよね。どうしても、欲しいんだよね!!)
フローネは歩き出す。
確実に捉えて、離さぬように。
一歩、二歩、三歩。
そこまで来たとき、急に目の前が木屑で覆われた。無論、うるさいなどと書くにはあまりにも似合わない爆音付きで。
「ちょちょちょちょちょぉおおおおおッとストップ!? 待て待て待て待て待てぇえええ!?」
建物から出てきたのは、さっきまで嘲笑っていたあのカゲハル。今では見違えるほど慌てふためく様子で逃げていく。
「……なんだろうね。あ、そうだ。プスゥレイト、確か一匹いたよね。あの建物に行ってきてね」
そう指示すると、後ろから薄ピンク色をした液体状の生物が進んでいく。
未だに飛び続ける木片の霧を、躊躇なく進んむ。
見えなくなったプスゥレイトの気配は、すぐに掻き消えた。
その存在が無くなったように。
それもそのはず。
件の魔物は建物の天井を、噴水上に散っていったのだから。
「……なんで? ―――うぉッ!?」
「GIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIITATATATATATATATATATATATATATATA!!」
それは悪魔のような笑いだった。
笑いなのか?
いいや、嗤いか。
音の震動、空気が伝導、地面すらも揺れている。
そこにはもう人はいない。
ただ二人を除いて。
ドックン。ドックン。ドックン。ドック……
心音はもう聞こえない。建物の、消えた扉の上の壁が破られたから。
規律よく組み立てられた白い石のレンガが、雨のように降ってくる。
そして雨の中、皮切れが一つ。
「君……は……」
「……」
先程声を発し、魔物を塵と化した人物は、間違いなくこいつのはずなのに、どうも居心地の悪さを覚える。
いや、この男が今の破壊を起こしたことは確実で、それに疑問を持っているわけではない。
ただ、どうしてもこの後の展開が想像もつかないことになる予感がするだけで。
「ギタ、ギタタタッ………」
「!? なんかこれマズイねッ!」
思わず「見通し見貫く」を出力。
地表をほんの少し削りつつ、一直線に男へ向かう光。
だがしかし、
『ガリガリガリガリガリ』
男は光線を、受け止めていたのだ。
その、腹筋をもって。
「き、ききききき君ッッ!?」
「GITTAAAAAA!!」
リフレクト。
ただただ筋力を馬鹿の一つ覚えのように使った、脳筋戦法。
「ウヴァアアアアア!?」
光線をもろに受けた。
どうしたところで大ダメージ。
起き上がることすら億劫だ。
「はぁ……はぁ……」
「ひっくッ。っああ……酔っちまってェねえしぃ……ボスゥ…戦おうぜぇ……」
呂律もひどく、足取りも悪すぎる。
こんな男にやられたのかと思うと、自分でも情けなく、絶対に屈するわけにはいかないという意志が強くなる。
ただ並行して、この男に秘められたポテンシャルが無限大だと感じる自分もいて。
ぺた、ぺた。
フローネは見た。男の側に寄っていく一人の少女を。
その背丈は余りにも小さく、子供。
「あの……おにいさん……」
「ひっく。あ? ああ、あんときの嬢ちゃんじゃあねえか……」
「あの、大丈夫?」
何と言う事か。
ギェリヴの次の句を聞く前に、彼が「この男の妹か」と、そう思ったのは刹那の出来事。
フローネ=ロムペンダはすでに、彼女を人質にすることを計画してしまっていた。
事実を言えば、彼女は妹でも血縁でも何者でもないのだが。
「くッ!」
「!?」
触手が少女に絡みつく。
それに驚いた少女は目を見開く。
痛みがじんわりと広がってくる。
心の底から来るのは、子供としては当たり前の、つらいという感情。
ネクスト、目から滝。
「う、うう……うわあああああああああああああああ!!」
途端の鳴き声に触手が滑り落ちる。
否、触手は、弾かれたのだ。
彼女の皮膚周辺から、あまりにも膨大な何かが現れるのが彼の目にも見えた。
辺りの花も、飛んでいた鳥も蝶も、這いまわってた蜥蜴も蟻も、全てが干からびる。
あふれ出る何か。
それが、狂気的にあの毛皮の男に入って行く。
「お、おお。ひっく。なんか、気持ちがいいなぁ……ひっく。ひっく、ひっく、ひっヒッヒッヒッッッッッ」
魔王の喉が上下する。
「……ぎたた、ギタタタタ、ギ多多多多多多多多多多多!!」
気が付けば、町が粉砕していた。
横にいた少女すらも少し吹き飛び、男は目には追えない速度で町を走り回っていた。
町を壊滅させるという当初の目的を、この男が叶えそうではあった。だが、当然フローネを認識しているのだろう、確実にその勢いは迫って来ている。
急に背後の門前に気配。
振り向くと奴がいた。
「く……」
口から言葉を。
「来るな…」
最後のあがき。
「僕にはまだすることが沢山……」
アレが走ってきた。
「あるんだよn――――」
どれほどの猶予があっただろうか。
自分の腹に足が来たことだけは覚えている。
ただ意識が戻った時、自分は、黒一色に白い点が沢山ちりばめられた世界を見た。
下を見れば青や緑に輝く球があり、またその奥には白や赤、色もわからぬ大きな光が見える。
どうやら宇宙らしい。
そして、彼はなんとなくわかった。
自分にはどうすることもできないのだと。
(ねぇ………)
言葉は無く、儚い。
ただただ漂うだけの生活。
しかし同時に、死ぬこともないのだと、悟った。
彼が持っていたのは、宇宙の混沌とした神話、「クトゥルフ神話」の世界の能力だったのだから。
(傷の影響から移動ができない。でも生命力の強さから死ぬこともできない。こんな無情で無益なことがあったんだね……悲しい……)
魔王はただ、漂う。
時の流れに身を任せて。
――――――数時間後、
(……寝てたね。流石にそりゃあ戻る術も無ければ、ね。………ん?)
空気を感じず、それでも冷たさだけは表面を通過する。
彼が見たのはブラックホールのような何か。
吸い込んでは吐き、吸い込んでは出しを繰り返すよくわからない何か。
ただそれはデカいだけで、距離にすればあと数週間、数か月、はたまた数年か数十年はかかるのだろう。
少し、肝が冷える。
(アレに吸い込まれたら、僕はどうなるんだろうね)
そう思った時だった。
意識が断たれたのは。
重力が存在しない、海の原点のような宇宙。そこを泳いでいた何者かに、フローネ=ロムペンダの上半身は持って行かれた。
この空の果ての事を知るのは、この異世界こと「アース」の住人はおろか、カゲハルたち異世界人もまだ知らない。
ただ唯一を除いて…
≪また一人、ハエが淘汰される。カゲハル君が魅せる中に現れた一匹のバッファロー。そして、小柄なハナカマキリ。まったく、楽しませてくれる………ふふ、フフフフフ》
もう一度言うが、ここの事はまだ、誰も知らない。




