42 憂鬱排除
チュンチュン。
ピーロロロロ。
キキーキー。
グワァグワァ。
有象無象と表現するには美しすぎる、動物たちの声が響く。
ここは大自然のど真ん中であり、その中でも一際広いこの森の中には、大きな木の家が建っている。だがそこには、千年以上も前から「魔物に寝返った禁忌」が住んでいるという逸話が残されている。
人々は恐れ、森に採集に行くときは必ず、ラルシア国家軍事部の兵の護衛のもと行くのが定番というか掟となった。しかも禁忌の影響なのか、森の魔物の中に凶悪な者が現れるようになり、森の恵みに関する交易は漸減する一方だった。
そんな根も葉も華も無い噂はいつも更新・捏造され、ラルシア王国全土に瞬時に広まる。今回もまた新たに、「剣士団が禁忌の調査に入ったら音信不通になった」という噂が、猛スピードで走った。
更に言えば、バビリア山での多数の不可解な目撃情報が過去に報告されたため、あの周囲では何かが起きているという、危機感が自然に浸透した。
疑念は疑念を、恐怖は恐怖を、怒りは怒りを連鎖的に生産し、森の禁忌排除への動きは一層高まりつつあった。
ラルシア王国及び周囲の国家は、バビリア山並びに周辺地域により目を光らせるようになった。もちろん迂闊には動けないため、事態は膠着状態。いつどこで何が火を噴き狼煙を上げるか、火のある所に煙が立つか、人々は一切合切見当がつかないでいた。
チーチー。
ピピピピピピ。
ゲーゲー。
ガロガロガロ。
今日も今日とていい音色が在るこの鬱蒼とした森で、件の存在はというと……
「ス~……ス~……」
白い髪は、窓から差し込む光に目一杯照らされ、見事に反射して輝く。
横に向き、手が前に来た状態で気持ちよさそうに寝息を立てる。
早朝の今、言われるまでもなく――――寝ていた。
「………んー………ス~……」
起きる素振りを見せたものの、一向に起きる気配を見せない。そもそもその姿勢すらない。
ただ好きに眠欲に身を委ねているだけの、甘く健やかな時間。
それを、一瞬で叩き壊す。
「起きろー、飯だぞー、ミレメルー」
体を大きく揺らされることにより、闇の淵から記憶が飛び出してくる。
目が色を捉え、物の輪郭を捉え、段々と光を受け入れるとそこには、「紫黒」と表現したい綺麗な髪色の青年が。
家族が起こしに来てくれたことはとても嬉しいはずなのに、今のミレメルはとても不機嫌だ。
「もうちょっと寝るー」
「おいおい。確かに今日は男メシって言うか、そんなに大層なもの作ってないけどさぁ…」
「Zzz……」
「寝るなって。ちゃんと眠れなかったの?」
尋ねる青年こと―――俺に対して、毛布に顔をうずめたまま首を横に振るミレメル。どうやらゼットの文字は、彼女がベッドに潜った際に俺が見た幻覚だったらしい。
「……………は……ちょ、ちょっと待って! 分かった、起きるから!」
毛布の中に手を突っ込み、寝巻きごと彼女を引っ張り出してみる。それによりずり落ちそうになった体を、なんとか持ち堪えさせるミレメル。朝の他愛無い、何事もない、優しい時間だ。
だが、
「……服が伸びる」
「あ」
そのことに配慮していなかった。見事に伸び切ったパジャマで、凄く不服そうにミレメルは着替え始める。俺は誠心誠意、謝って許しを得てから、下で待ってるとだけ言い、そそくさと一階のリビングへと向かった。
この家は木造二階建て。色を除いた見た目に関しては西洋風で、異世界って感じがメキメキ伝わってくる外装だ。実際にミレメルが一から作り上げたものであり、彼女の技術力と想像力の高さが理解できる。
ミレメルとカゲハルのパジャマ。これもまた彼女が千年生きた中で培われた織物技術。それにより編まれたレース風の優しい布地は肌触りがとてもよく、売り物にもなるレベル。だが、忌み嫌われる者の辛い所。自分で着るしか用途がなかった。
「久しぶりに、なんか楽しい……何故だろう……」
服選びが心躍る。それは見てもらう人がいるからだろうか。親しきものがいるからだろうか。
「良い匂い。これは、野菜?」
下から立ち込める香しく香ばしい物は、現代でもポピュラーな野菜炒めの香り。
リビングへ降りた先では、カゲハルが何気なく皿に盛り付けを行っていた。バランスを保った人参やピーマンらしきものがタレの照りに守られているその光景は、さながら地球の食卓だ。
スッスッス。ミレメルが机に向かい、俺は食膳を並べる。
椅子に座った二人は頂きますとともに食べ始める。俺が台所にあったものと野草で作ったご飯は格別。よって彼女の顔も自然にとろけることになった。
「おいしい、やっぱり」
「おほっはんはへほ(思ったんだけど)、ほほほーふはほほへはっへひはほ(このソースはどこで買ってきたの)?」
「……え、なんて?」
口一杯に野菜を頬張った俺の言葉、流石に聞き取れず。台所にあったソースはどこからという、同じ質問を飲み込んで話す俺に彼女は答える。
「このソースは、バビリア山……っていうのはすぐそこの山。そこから北西にある『ラルシア』という国で買ってきたもの。もちろんわざわざ変装して行くから、滅多に手に入れられないけど」
「……その町発展してんのか?」
「していると思う。少なくともこの周辺では確実に大都市」
その言葉で、俺は旅先を決めた。
主たる目的は二つある。一つは、この世界での食や文化の調査である。ソースを始め、文字や言語やことわざは日本に酷似しているこの世では何が基準なのか、それが知りたいからだ。
そして、もう一つ。
「変装ってことは、やはりそこには君を侮蔑する奴がいるんだな?」
ミレメルを蔑ろにする者への報復だ。
それを実力行使ですることが明白な俺に、野菜を飲み込んで応じる白髪の子。
「……確かに、守ってほしいとは言ったけど、無駄な争いはしてほしくない。ましてや、カゲハルに……手を汚してほしくはない」
俺を、良い意味で呼び捨てにしているあたり信頼関係は築けてきているのが分かる。互いの来歴を語った結果であり成果だ。しかしながら、そこまで親密になっているからこその、守護のありがたさと身内が穢れることへの恐怖がある。この矛盾こそミレメル自身の見解である。
「でもなぁ、そうやって俯いているだけじゃ、何も変わんねえぞ?」
「だ、大丈夫。……もうカゲハルがいてくれるだけで心は落ち着くから」
でもなぁと不服そうに頭を掻くモーションをとる俺。食事は殆ど済み、満腹感が脳の七割を占めてくる。
「俺は、家族が嘲笑われるのが大っ嫌いだ。過去を思い出して拒否反応が出ちまうって……………ん?」
『ドンドンドン』
「な、なに?」
玄関のドアがノックされた。その音の波は振幅が大きく、およそ穏やかな訪問ではないことを物語っていた。筋骨が並外れた人間が普通のノックをするならわかるが、何となく怒っているようなものがひしひしと伝わってくる。
「……飯時にぃ。まあ、終わってるけど」
「ね、ねえ」
向かおうとした俺の服を咄嗟に掴むミレメルは、とても心配顔。
「ん?」
「あ、危ない気がする。これは種族……というか、契約による勘な気がするの………ここに尋ねてくる人は皆穏やかじゃなかったし」
「勘はあくまで“感”だろ。大丈夫。ただのとばっちりや逆恨みなら、俺もいたぶる程度で倒すことはしない。まあ、こんなところまで文句言いに来るほど皆暇じゃないでしょ」
その楽観的思考は、あくまで攻撃されてもスキルじゃなかった場合は防ぐことができるという、絶対的な自信によるものだ。
人、もとい核を持つ「純魔物」でない者は、スキルの所持数が基本的に少ない―――と、彼女から聞いていた俺は、何の恐れもなくドアに手を掛ける。
「はーいはい。どちらさんで」
「ひゃっはあ!!」
『ズガッ』
眩しい光と共に、俺目掛けて突き進んできたのは、まごうこと無きナイフだ。小型とはいえ、先端から両刃が鋭く研がれており、こと切り裂く場合においては十二分に効果を発揮する。
その投手は、逆立てた頭髪をかき上げ、屈託の無い笑いを見せる。
「はっはっはー。いやー失敬。この家に住むものはろくでなしと聞いていたものだから、確認もせずに投げちまったぜえ………ところで、君は誰だい? その奥で縮こまっているのが禁忌なのはわかるのだがね?」
うずくまる紫髪の俺と白髪のクオーターを交互に見つつ、問う男。その、超適当な感性と行動に、苛立ちと忌避したくなる嫌悪感が拭えないミレメルだが、それ以上に俺が刺された現状の意味が分かっていない。
「か、カゲハル……?」
「すまんねえ、そこの嬢ちゃん。まあ、大方その白髪の味方として、一緒に住んでたんだろうが、無駄な足掻きだな。ここはもう各国の標的だし」
心配と侮蔑を一身に受け止める青年から、一滴、一粒も血が落ちてこないこと。
無駄だと知るのは相手の方。
「無駄な足掻き?………そっくりそのまま、模型よりもリアルに言葉を御返却いたしま~す」
「……おいおいおいおいおい。何でそんな、流暢に喋っていられるんだ?」
「え、ごめん。ちょっと何言ってるかわかんない。……俺になんかしたの?www」
そう言い、俺は体を綺麗に起き上がらせる。なんの欠損も怪我も無く、まっさらピンピンの身体がそこには在った。俺は、演技として腹を折るようにして蹲っていたのだ。
「な、ナイフはどこだ?」
「うーん。案外君の足元にでも生えてるんじゃない?」
それを聞き、きょとん顔の男が、ほんの一秒未満ですくみあがるのも無理はない。彼の立っていた所の丁度真下に、彼の方を向いてナイフが直立状態で置かれていたのだから。
「ギャッッ!?」
腰を抜かして後ろに倒れ、尻餅をつく男。
「君をBANする方法なんていくらでもある。星の数とまではいかなくとも、全ての指で数えるくらいにはな」
「ひぃ……ふ、ふざけるなぁあああ!!」
余りにも奇想天外な展開に、へっぴり腰かつ語彙力皆無な不格好さで襲い掛かってくる男。
「はぁ。そんな追い込まれた悪役みたいに………それじゃああの見物人を楽しませちまうだけだってのにっ!」
そう言いつつ、影操作で立てていたナイフの柄を、操って相手の後頭部に強打させ神経ごと破壊する。
あたふたと傍に寄ってくるミレメルに、俺は微笑み返した。
「ほら。手は汚れてないよん」
「そ、そういう事じゃ……」
「大丈夫。正義執行は穢れじゃないし、そもそも善悪の基準なんて化学的には証明できないんだから」
屁理屈も極まれば哲学である。
この短いスパンで、ここへあのような輩が来る時点でもう有無は言っていられない。その事実と共にささやかながら安心感を与えていく。
俺の服についた小さな泥を払うミレメルは、ありがとうと囁くもまだ不服そうであった。
「……ミレメルの持っている『慈悲の心』。これ、人族や魔族みたいな“人”に分類される奴らを長い間大切にしてきたってことらしいな?」
治癒系の能力を向上させるこの紋には、こういった事情があった。
「それほどまでにお人好し。俺はそれに敬意を表したいくらいだが、何度も言っているように君が卑下されることを俺は許せないし、君も耐えきれないはずだ。幸いなことに俺は人でもなければ生物でもないから、君が言う穢れなんて関係ない。もちろん人としての倫理はあるから殺戮は好んでしない、だからどうか、そんなに嫌がらないで欲しいんだ」
どれだけやられようとも自分の道徳心が体を「我慢」へと導いてしまう、彼女の良くも悪くも強い信念。それは殊勝なことだが、ここは日本ほど治安や人間関係が良くないため、この性格というのはとても苦労する。だから、この世界での弱肉強食は悪い事じゃないんだよと必死に伝える。
「君の仁のある気持ち、俺が家族を守りたい気持ち、これを一致させかつ汚れない方法は……空気な俺が君を守る事。今までどうりでいいんだ。どう? 筋は通っている気がするけれど?」
俯いて、拗ねたように、それでもしっかりと話を聞いていたミレメルは、ほんの数秒の沈黙の後に、顔をスタンドアップさせる。
「卑怯だよ、カゲハルは……」
言葉が巧みだったからか、亜族としてミレメルとしての自分を肯定したうえでの根拠に納得させられたからか。彼女は身を委ね、懐に紅潮させた顔をうずめてそう言った。
「ああ、俺は卑怯で狡猾さ。これこそがゲームで勝てる奴のアドバンテージよ」
白に輝く相も変わらない髪の毛を撫で、頭をポンポン叩く。
そのひとしきりが過ぎて、俺は知恵の詔をフル稼働し、死体の身元を調べつくす。端から端まで、隅から隅まで、名前、身長、性別、種族、家族構成、性格、出身地、職業、所持金、所持物、剥げるものは全て剥ぎ取る。容赦なんて言葉は、宇宙の空間に捨てて来た。
「さあ、飯片付けて、明日には出発するぞ」
「……どこに?」
俺は死体を、胃、もとい魔吸収に収めて、満面の冷ややかな笑みで答えていく。
「調味料の宝庫、悪人の巣窟、ラルシア王国だ」




