other 異変調査Ⅲ
人生で、一度は、ヤバいと思ったことがあるだろうか。
その時はどうか。
転びそうになったときか、恥晒しになったときか、空腹のときか。
それとも絡まれたときか?
まあなんにせよ、死を直感できる相手に遭遇すれば、少なくとも人は動けなくなるのが大概だ。
その場面に、四足の輝龍は立っている。国内でも優秀な、将来有望とされている者たちが。
出会った相手、それは正に、怨念の集合体のような容姿をしていた。
地面にどす黒い液を垂らしながら、ゆっくりと移動する魂。
その浮いた身体には、悲しみに暮れる亡者の顔がひしめき合っていた。
眼球がなくて黒い。口の中まで暗い。
本当の闇をそこに宿していた。
悲しみだけではない。憎悪、哀願、欲望、失望、憤怒など。ありとあらゆる重い感情が、輪廻のごとく渦巻いていた。
そこから出でる声もまた、鼓膜を嫌に濡らすような音であった。
「酷い」
「悲しい」
「酷い」
「辛い」
見ていられない。
それが第一。
会うことをこちらから拒絶したい者。
それが彼ら。
四足の輝龍は、一瞬頭に「死足の輝龍」を考えてしまった。
「土、大地の御助力を、御力を、与えください。『サンド・ゲイル』!」
辺りの塵や石が、スワイフの正面に集合し始める。
彼の得意な魔法は土系統。
火と光で作る属性で、その適正というか、馴染みやすさが彼にはあった。
魔力を回す、そして放つ。
砂嵐が巻き起こり、相手目掛けて飛んでいく。
しかし、事はそれで収束するほど単純ではない。
「痛い」
「憎い」
「喰いたい」
「喰ってしまえ」
魔法は打ち消された、というよりは食われた。
スワイフは、さっき咄嗟に打った「サンディック」にあまり手ごたえを感じなかったことから、薄々勘づいてはいた。
恐らく、相手の属性は霊属性。
聖属性と空属性、伝説上で噂される神属性、それら以外の全ての属性に対して、優位になる危険な属性だ。
あまりこの属性はいないため、滅多に危険視されない。
だが一度現れれば、聖職者、回復士をかき集めて退治しなくてはならないものでもある。
名の通り物理は効かず、殆どが質の悪いスキルを使う。
憑依したり、生命エネルギー・魔力を吸収したり。
なんにせよ、今は彼ら一行に聖属性がいない。
よってこの結末は————
「ぐおおおおおお!! 炎、全力の魂を、『イフリクス』!!!」
ケビンが決死の覚悟で、火の魔法を放つ。
炎が相手の周囲を飛び交う。
そして相手を閉じ込め、収束。続いて爆発。
完全に捉えているものの。
「憎い」「憎い」「痒い」「憎い」
「だめだ! アレに僕らの魔法は意味がない!」
スワイフが叫ぶ。
ケビンに色んな付加飲料をサーリアは与えた。
痺れを切らしたペルシが、相手に単身突っ込む。
「ペルシ!?」
「……許さない……」
暗殺者に憧れを抱いたことがあり、今は隠密などの仕事を請けてもいる彼女は、とても身軽。
壁から壁を縦横無尽に飛び回り、相手のてっぺん目掛けて飛んでいく。
腰から、ダガーを三本取り、投げつける。
しかし、その内二本はすり抜け、一本は弾き返された。
意地の悪いことに、その一本は気まぐれでもなんでもなく、ペルシ目掛けて飛ばしていたのだ。
それでペルシは撃ち抜かれる……事はなく、空中で彼女は身を捩って、反射を躱す。
躱したダガーはすり抜けた二本とは反対、天井に刺さる。
「ペルシ! そいつに物理は効かないぞ!」
「わかってる。目的はそこじゃない!」
ペルシは音もなく、地面に着地。
そして、
「『殺め糸』!」
仕事で培ってきた秘技、スキルでの攻撃。
物理も魔法も効かないなら、あとは練られた魔力による強力な一撃。それが勝つための鍵だった。
床に刺さった二本のダガー、天井に刺さった一本のダガー、そして彼女の手、それ全てに糸が繋がれており、そこから一気に痛みが流れ込む。
糸は、相手を丁度すり抜けるように伸びているので、当然攻撃が直撃する。
闇の空気が霊を食らう。
それはどんな暗殺や武芸でもできない。対精神系魔物用の技。
これで終わり、そう思っていた。
「……!?」
「憎たらしい」
「悍ましい」
「腹立たしい!!」
「のろぉおおおおおい!」
その声を聴いた瞬間、ペルシは体を動かせなくなった。
流れに身を任せるように、バタリ。
足どころか口や瞬きすら抵抗を許されず、前に向かって倒れる。
「ペルシッ!!」
「な!?」
「ペルシちゃん!?」
三人の驚愕。しかし彼女はそれどころではない。
体の奥が蝕まれ、手足に電気が走るよう。
目が霞み、眼前の敵すら見えなくなってきた。
彼らは知らなかった。呪い「呪詛」の恐ろしさを。
「呪ってやった、食いたいぃい!」
「……くっ」
一人の少女が手に掛けられようとしたその時。
「させるか!!」
ガキンと甲高い音がし、相手の動きが鈍る。
スワイフの盾が相手を抑えていたのだ。
相手の体の下から生えた手は、魔力の塊で物質的ならしく、盾をすり抜けてはこない。
それでも相手の猛攻を止めているあたり、ダイヤ・ミスリル製の壁は伊達ではなかった。
だがそんなものが、この相手に完璧に敵うわけもなく。
「のろぉい」
相手の魔の手、魔の声が轟く。
風により、辺りの砂塵が飛び散り、紫色の煙が充満する。
そしてそこには、大半が錆びた盾だけが。
「あっぶねえ……」
「スワ……イフ……」
すんでのところで攻撃を躱し、盾を囮にしたスワイフ。
アレを間近で食らえば、ご臨終だったかもしれない。
今は、とにかく、生存することを考えるべきだ。そう彼は思った。
スキルですら、相手に効果が薄そうなのがその根拠。
「こいつには勝てない! 急いで逃げよう、みんな!」
スワイフが危機感知して叫ぶ。
しかし、ケビンも言い放つ。
「逃げられるかよ!!」
想定していた返答ではなかったため、スワイフは焦った。
未だに霊の怨念は聴こえ、その距離も縮まりつつある。一刻の猶予もないとはこのこと。
だがそれでも彼が否定した理由は。
「どうして……」
「ここで負傷者抱えて……逃げても、あいつの……変幻自在な技が……俺たちを逃がさない……だろう。だったら、せめて俺だけでも囮になって、国に報告した方が最善……だ……」
呂律が回らないなりに、言葉を絞り出すケビン。
囮など務まるのかと問いたいぐらいだが、彼の意見は尤もだ。壊滅したのでは、先遣隊の二の舞。これを報告するのが、今回、王直々に下された任務であり、それを任されたことを自分たちも誇りに思っていた。
「でも……そんな……」
スワイフは言葉を喉で詰まらせる。呪いにかかってすらいないのに。
「大丈夫、私も残るから」
ケビンを支える声。サーリアも、二人の逃げる時間を稼ぐと言った。
二人の勇姿が彼には霞んで見えた。
目から滴が、出てくる。
「サーリア……お前……」
「こんなのでも、うちのリーダーよ。皆のことを思ってるの。でも、私だってその気持ちは強い。こいつよりもね!」
念を押すようにそう言った。
彼女はケビンを鬱陶しいと思うことはあっても、嫌いとは思わない。
それは戦友のようで、一種の美学。
だからこそ、彼の囮が無駄にならず、確実に二人を助けられるように、力を添える。
「この提案、受け入れられないなんて言うほど、馬鹿じゃないでしょ、あなた」
その言葉に、否定はできない。
出来ないと知っていて、サーリアはスワイフに言っている。
彼もそれを理解し、悲しく、辛く、嬉しく、むず痒かった。
「…………ごめん」
その一言を最後に、スワイフは残る力を全て使う気で、ペルシを持ち、逃げる。
何処までも。洞窟を抜け、国を横切ってしまうような気持ちで。
でも、流石に相手は強者。
何処までも足搔いて来る。
全力で走って二分くらいでそれは聞こえた。
「のおろぉいぃぃ!」
あの声がしたと思ったら、スワイフの足も縺れた。呪詛だ。
でもそんなことでは到底止まれない。彼らの犠牲が自分のせいで無意味になるのは御免だ。
ペルシも本能的に、喉の代わりに手足を動かす。
一歩でも逃げるため。
それに習いスワイフも、うつ伏せで逃げる。ペルシを時々引っ張りながら。
「大丈……夫か」
「……う………………ん」
体の中が解けるような痛みが。これが相手の主な攻撃か。
苦痛に歯を食いしばって、確実に進む。
どんなに不格好でもいい。
どんなに小さく、か細くてもいい。
ただそこにある光だけを求めて、進む。
光……
光……
光……
かすれた喉から、イバラのような鋭い痛み。それに苦悶の表情だけではすまない。手で頭を抑え、追い打ちをかけるがごとくの頭痛に抗う。
砂漠にいたほうがまだましだとさえ思える悪環境。湿気り、硬くて角が立つ石の床。未だ反響してかすかに聞こえる化け物の声。せめて飲み水でもあれば状況は違ったかもしれない。
目も見えぬ中、互いを見失わないように匍匐前進していた二人は、不意に。
頭から、一気に水を被った。
水……?
しかし、どことなく痛みが和らいでいる。
その事実に驚愕しつつ、更に顔を上げると……目の前には、魔物がいた。
これは、資料で見たことがある。「シャドー」だ。
特別何かすごいという報告はなく、どちらかというと洞窟でただ居るだけの魔物なので、危険視されない。
派生種と考えられている「フレイム」や「ウィンド」よりも、民間に被害が出ていない微妙な立ち位置の魔物。
更に言えば、それらを仄めかすように、発見数も少ない。
そんな魔物の後ろに見えるのは、フェアリ。
彼女ら光・聖属性の者たちと、この闇の魔物がなぜ一緒にいるのかはわからない。
しかし、そんなことはどうだっていい。
スワイフはこれらのことより何より、この魔物が一瞬で人の姿を模したことに驚いている。
彼らは霊の様に憑依もせず、特殊なスライムや無形魔物のように擬態もしない。その筈だ。
なのに、なのに。どうしてだろう。
この魔物———いや、この人なら。
「大丈夫なら、何があったか聞かせてくれないか?」
妖精を制止し、下手に優しく言葉を発してくれたこの人ならば、この状況をどうにかできるのではないか……
そう、何かを見た。




