other 過去Ⅲ
はあ…
憂鬱だ。全くもって憂鬱だ。
笹峰にああは言ったものの、状況説明とか正直めんどい。それに、この役回りはいつだって損をするというのが定番な気がする。
そう、誤解とかされて、怒られて……
ああ嫌だなあ…嗚呼……
ええい、意気地なし! 正直意気地なしでもいいけど、ここは頑張ろう。
なあに、ただ報告するだけだ。
問題ない問題ない。
繁治は、太陽がだいぶ高くなり、それによって光る窓を背に、保健室の戸を閉める。
そして右に向き、その足で職員室へと向かう。
足は重かった。
質量が増えたか、太ったか、肥えたか、そう考えてしまったがそうではない。
心の奥底で乗り気じゃないだけだ。
誰もいない廊下を歩く。
階段を通り過ぎようとすると、上の階から、生徒達の雑談が聞こえてくる。
笑い声、はしゃぎ声、真剣な声。
こう、ふと意識を集中させてみると、今まで聞こえなかったものが可視化するように聴こえる。
何気ない日常に少しの発見を見つける。
それが意外に心情を鍛えさせてくれる。
「職員室」と書かれた部屋札。
その戸の前に起立してみると、中からは話し声やPCを打つ音。
肩肘張ってしまう。
それにより肩こりや筋肉痛になりそうだ。
コンコンコン。
ノックを三回。
そして戸を開けて入っていく。
体の芯が火照りそう、目線を感じる、何を思っているのか、そう考えてしまうのはコミュ障ならではの思考回路だからなのか。
そんなことを思いながら、照明に照らされた騒がしい室内を進捗する。
部屋の真ん中あたりに担任の席はある。
凛々しく、優雅に座っている彼女が担任の折音真由美。
体形は一般的な、いわゆる一人の大人の女性だが、顔が柔らかい童顔なので、どこか着ているスーツに違和感がある。
眼鏡等の装飾は特になく、唯一髪に特徴がある。
髪の一部に、水色っぽいカラーリングの毛が数本束ねられた箇所があるが、本人曰く、「これは地毛なの!」ということらしい。
はて? と俺はクラスの端の席で疑問顔をしていたが。
俺が先生の斜め後方に。
先生もそれに気づいて、回転式の椅子を柔らかくクルンと回す。
「おや? 繁治君。どうしました?」
お、俺のこと覚えてるんだ。
てっきり、俺は影が薄すぎて先生ともあまり話さないから覚えていないかと…
先生って意外とすげえな。
「その顔…名前覚えてくれてたって思ってる。私は担任ですよ? 忘れるわけないからね?」
「ギクッ」
読まれただと!?
そういえばこの先生、授業で黒板描いているときいつも、
「鉄君…授業に集中しなさいね?」
「うげっ…」
こうやって、確実に背後は見えていないはずなのに、寝ていたり、集中していない人をズバリ見抜き、背中越しに、脅してくるんだ。
天性?才能?能力?超能力?
そう信じてしまう生徒もいるが、実際に見せられては何とも言えたもんじゃない。
恐ろしや恐ろしや。
「ええと、実は鉄が暴れたんです。それで貞治が怪我を負いまして、俺も貞治のことで歯止めが利かず赤井坂を殴ってしま」
「ちょちょちょ、どういうことー!? 大惨事じゃないの!」
慌てふためき、汗垂らしながら、顔を真っ青にする真由美先生。
生徒に危険が及んだことに肝を冷やした。
もしくは、子供が怪我したと保護者に言われるのが面倒くさい。
このどっちかが、この先生の脳みそを駆けていることだろう。
できれば前者を思っていて欲しい…
「取り敢えず、赤井坂は保健室に、貞治もまあ軽傷ですし、クラスも今は大丈夫かと…」
「そう、それならよかった、君も怪我はないの?」
「はい。俺は大丈夫です」
先生の真っ直ぐな眼差し。
何処までも見透かされていそうで、それでいて安心できるような包容力?
何にせよ、先生方の中では小柄だが、その教師像としては理想形と言えるかもしれない。
彼女は生徒思いだから。
「なになにぃ? 尊敬してる?」
「いえ、別に」
「えー、冷たくない?」
悔しそうに先生は眉を細める。
ぷくーっと膨れて、その容姿はタコのキャラクターのよう。
元の柔和な顔立ちと相まって、とっても愛らしい。
まあだからと言って何か特別感があるわけでもない。
日常にふとそれを見ると少し和むだけだ。
「では、俺はこれで」
「はい、では赤井坂君などの確認はしておきます。報告ありがとね」
踵を返して職員室の戸へ向かう。
その途中、やはり多くの教師に見られている気がしてならなかった。
本当に陰湿というのは生活するうえで苦労が絶えない。
どうにかしてこの億劫を砕けないものか。
それをしなくてもいいと思っているから、今のままなのだろうけれど。
兵隊が整列するように規則正しく並べられた机、その上に何事もなく佇むPC。
教師が数十人。
生徒が繁治含め3人程度。
俺にとっては騒がしいこの部屋を、名残惜しからずそのまま退出。
学校はその後、つつがなく終わった。
羽田貞治、俺の親友は「かすり傷だぜ」と元気よく俺を安心させてくれた。
笹峰凛、彼女は「ありがとう」とだけ。まあ、不愛想ってわけでもなかったから良かった。
赤井坂鉄、あいつは…失神したままだが、まあ大丈夫じゃね?
他には特に何もなく。
いつも通り影の薄い俺は、平凡な境遇を堪能した。
キーンコーンカーンコーン。
下校のチャイムが鳴り響く。
それと同時に多くの生徒が廊下に屯。
中学三年生は入試だから部活はないものの、中二・中一は部活を今か今かと楽しみに部活場に向かう。
生粋の帰宅部で、アルバイトなどをこなすこれまでの俺と比べれば、部活など易いのかもしれない。
肉体的にも、精神的にも。
はあ、早く帰って、猫と大家さんに会いたいなあ。
駐輪場も人は多かった。
羽田と帰りたかったが、相変わらずバイトなので、急いでバイト場に急行。
ほぼ休みなし、ゲームや炊事の時間を考慮しても、今俺が生きていられるのは奇跡だとさえ思える。
何で生きてんの俺?
逆に怖えよ、キモイよ。
学校から帰る。
それは何事もない一日。
山が澄み渡り、夏の夕凪が一瞬、木と木の間から窺えた。
綺麗だな。
なんでなんだろう。いつもと違う風景に見えてしまう。
たまたまか?
何か縁起でもいいのかもしれないが、何故その風景などに興味惹かれたかはわからない。
俺がアトラクトできるのはゲームと愛猫みつりだけだと思っていたのに。
ふと、首筋に風を感じた。
ん?
なんだろう。
今チャリ漕いでたけど、向かい風が強かったのに、後ろから風??
俺は自転車を一旦停めた。
そして背後を振り返った。
…
白
今さっきまでいた学校の周辺が一瞬、ホントに火花くらい一瞬しか見えなかったが、白く光っていた。
何と表現したらいいか。
こう、魔法陣っていうか、筒状に学校を包んだような?
縁起でもねぇけど、あの白はなんか不吉だ。
全く何を言っているかわからないと思うが、俺も何が起こったのかわからない。
俺の頭か目ん玉はイカれているのか?
よし、今日は早く寝よう。
自転車を急かしてバイトへ向かい、バイトを終え、アパートに帰宅した。
日はもう既に沈んでおり、風もほとんど吹いていない。
飛ぶコウモリが妙に不吉さを煽るが、一息つきたい気持ちが勝って、急いで部屋へと駆け込んだ。
「みゃー」
みつりのその声。
癒しというのはこういうもののことを言うのだろう。
かわえええええええ。
しかし、俺は両手に花とする為に、ゲームを起動。
ご飯は済ませたので、みつりのご飯「タラ缶詰」を開いて渡す。
左にみつり、右のゲーム機。
正面にはテレビがあり、その中に映ったFFF(フリーファンタジーフィールド 通称トリプルF)の画面が壮大に見える。
オンライン型の自由度の高い、純ファンタジーのゲームで、ゴブリンとかゴーレムとか、ドラゴンといった魔物がわんさか出てくる。
それを爽快に倒す、それも綺麗な綺麗な大自然で。
イベントもあり、貞治と参加した大会もこのゲームの一つだ。
あれはマジ最高だったな…
猫は缶に夢中。少年はゲームと猫に夢中。
さすれば必然に、気づけなかった。
不幸がもう、目の前まで迫っていることに。
≪≪ゴオオオオオ≫≫
突如目の前が朱一色になった。
右の窓を見やろうとしたとき、もう白いものが一面を覆いつくして、轟音と共に迫っていた。
それを知ったとき。もう既に遅かった。
なにも、出来なかった。やっぱり白は不吉だった……
しかし、全てを覚えていた。