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恋をしますか、しませんか  作者: 如月ちえ
2/17

ストーカー

 タクシーを呼ぶべきだったのか。いや、国道に出たときにタクシーをつかまえるべきだった。……違う。安くて築浅でオートロックではないアパートを選ぶべきではなかった。

 今さら考えてもどうしようもないことばかりが、頭のなかをぐるぐると回る。脳の回転数が上がったままだからだろう。今、それを下げてしまったら、私の命はなかったかもしれない。

 実家を出て、アパートに越してから今日で一週間。昨日、家電の最終配達が終わったばかりだった。月末の金曜日で仕事が定時に終わらず、最終の一本前の電車に乗り、駅から歩いて帰った。

 ――誰かにつけられている気がする。

 そう感じたのは、国道を逸れてアパートが見えてきたころだった。気のせいだと思いたかったが、あまりにも気配を感じたため、国道に戻っていつもの帰り道とは反対方向からアパートに向かうことにした。街灯が増え、まだ開いている居酒屋の前を通り過ぎると、その気持ち悪さはパッタリとなくなった。もう大丈夫だろうと、ヒールの音だけを響かせながらアパートのある道に入ると、また気配がした。このまま帰ったら、家を知られてしまう。また国道に出るのか。足はもう限界に近かった。それでもなるべく早く歩く。

 見えない。

 聞こえない。

 自分の荒くなる呼吸だけが耳に入ってくる。誰か、早く助けて。

 とにかく必死に歩いていると、数十メートル先に人影が見えた。シルエットは男性のようだった。もう男性でも女性でも関係ない。この人が優しく親切な人であることを願うだけだ。私は携帯を取り出して、メモアプリを開き、文字を打った。そして、勇気を出して、その人と横並びになった瞬間、私はその人の腕に自分の腕をすっと入れた。

「な」

 男性がものすごく驚いた顔でこちらを見た。私は素早く携帯の画面を見せる。

 急にごめんなさい、今うしろから誰かにつけられているんです。友人でも恋人でもいいので、知り合いのフリをしてもらえませんか?

「んだよー、びっくりしたなあ」

「驚かせようと思って」

 よかった。この男性はアタリだった。神様、仏様、ありがとう。

「で?このケーキ食いたいの?」

 彼は私の携帯の画面を指した。

「ん?うん」

「ったく、じゃあコンビニ行くか」

「うん!ありがと」

 いくら大学で演劇サークルに入っていたとは言え、数年前の記憶を呼び起こしながら感覚でエチュードをすることになるとは思わなかった。二人で国道へ出て、歩いて数分のコンビニに入った。

「あの、ありがとうご」

「シッ」

「え」

「だめだよ、あいつまだいるかもしれない」

 男性の少し後ろを歩いて、奥のチルドドリンクコーナーに着いた。

「ありがとうございました」

「いや、俺はなにもしてないけど」

 そういうと、男性は襟足と首の間を指で掻いた。髪の毛は肩にかからない程度の黒髪で、前髪は長め。ウェリントンの眼鏡をかけている。

「これからどうするつもりですか」

「帰ろうかと」

「うーん、あの通りですよね」

「はい」

「ちなみに、どこっすか。俺は薄緑色の壁のマンションなんすけど」

「私は、プレジデントBです」

「あ……あの産婦人科の前ですよね」

「はい」

「今日は帰らないほうが、って無理ですよね」

 実家に帰ろうかと思ったけれど、コンビニの時計の針はすでに0時を回っていた。タクシーに乗るお金もないし、ビジネスホテルに一泊という気にもなれなかった。

「とりあえず出ましょうか」

「はい」

「一旦外に出てみて、いるかどうか確認してみましょう」

 男性はペットボトルの紅茶を二本と、生クリームの乗ったプリンを買って、コンビニの外へ出た。

「すみません、ありがとうございます」

「敬語、なしね」

「すみ……ごめんね」

「大丈夫」

 今日は遅かったね。なかなか仕事終わらなくて。てかよくこんな甘いもん食えるね。そりゃ別腹だよ。そういう他愛もない会話をして、男性の名前も仕事先も知らないことに気が付く。彼はおもむろに携帯を取り出して、何かを打ち始めたと思ったら、こちらに画面を見せてきた。

 あいつ、まだいるよ。

 その文字を見た瞬間、絶望した。私は今夜どこへ行けばいいのだろう。明日は土曜日だけれど、仕事をほんの少し残してしまった。こんなことなら、会社に泊まってでも仕事を終わらせるべきだった。

「今日、泊まってくよね?」

「うん」

 彼に話を合わせるしか、私には方法がなかった。まるでパートナーに暴力を受けて、逃げたくても逃げられない人のようだった。彼の住むマンションは、新築ではなさそうだけれどオートロックが設置されていて、ここの治安の悪さを突き付けられた気分になった。私はただただ、彼の三歩後ろをついていくしかなかった。


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