第六章 街の仕立て屋
冷たい風も温んできた頃、マリユスはユリウスと共に、館から離れた場所にある街の仕立て屋を訪れた。
この辺りは貧民街では無いが、富裕層が住んでいるわけでも無い。賑やかな通りの中でもどことなく静かな雰囲気が有るその仕立て屋。入り口のドアベルを鳴らすと、中から足音が聞こえてきて扉が開いた。
「いらっしゃいませ、何かご用ですか?
……あ、マリユス様にユリウス様。お久しぶりでございます」
そう言って出て来たのは、マリユスと同じくらい背が高く、肩幅の広いがっしりした男性だ。短くまとめて後ろに撫でつけた金髪は堅苦しい印象だけれども、久しぶりと言ってふたりを迎えたその表情からは人懐っこさがうかがえる。
「やぁ、ギュスターヴ君も久しぶりだね。
今日は新しい服の注文をしたいのだけれど、カミーユ君は居るかな?」
「はい。先程布の買い出しから帰って来た所ですよ」
マリユスがギュスターヴと呼んだ男性に案内され、三人は応接間に行く。応接間に着くと、そこには華やかでこそ無い物の上品なふたり掛けソファが一つと、それよりも幾分小さいひとり掛けソファが一つ。それらに挟まれるように背の低いテーブルが一つ置かれていた。
マリユスとユリウスがソファに腰掛けると、ギュスターヴは早速、この店の唯一の職人で兄のカミーユを呼びに部屋を出た。
ふと、ユリウスが口を開く。
「そう言えば、そろそろ夏に向けて洋服の注文が増える時期だよね。
カミーユ君の許容量越えてないかなぁ」
「それは心配だけど、ギュスターヴ君が通してくれたって事は、まだ余裕があるっていうことじゃないかな?」
「なら良いんだけど、カミーユ君は油断するとすぐ根詰めるから心配」
「ああ、うん。それは言える……」
この店の主人、カミーユは腕の良い仕立て屋だ。腕の良さだけで無く、きちんと納期までに服を仕上げると言うのが評判になり、カミーユに仕立てを頼む貴族や富豪も少なくない。けれども、あまりにも注文が殺到する物だから、弟のギュスターヴが注文管理をし、一定期間に一定数以上の注文を受けないように調整しているようだ。
富豪はともかく貴族からの注文でも、定数を超えると断ってしまうらしく、それを聞いたときにマリユスは、随分と思い切ったことをしているのだなと、そう思った。
ふたりが少し雑談をしていると、部屋のドアが開いて、ふたりの男性が入ってきた。先に入ってきたのは、質素ながらもきちんとした服装をした、しっとりとしたラズライトのような青い髪を束ねた華奢な男性。あとから入ってきたのは、丈の長いエプロンを着け、クッキーの入った器を持った、紅緋色の髪を結った男性。身長は、先に入ってきた男性より頭半分くらい高い。
青い髪の男性がにこりと笑ってマリユス達に一礼をして声を掛ける。
「マリユス様、ユリウス様、お久しぶりでございます。
アル、おふたりにクッキーを」
「はい。どうぞ、よろしければお召し上がりください」
テーブルの上に置かれたクッキーに、ユリウスが早速手を伸ばして食べている横で、マリユスは言葉を返す。
「ああ、ありがとう、アルフォンス君。
それで、カミーユ君には夏服の注文をしたいのだけど、余裕はあるかい?」
その言葉に、ふいっと斜め上を見て何かを考え始めた青い髪の男性、カミーユに、ユリウスがふたつ目のクッキーを手に持って言う。
「ギュスターヴ君が通してくれたって事はまだ大丈夫なんだと思うけど」
すると、自信が無さそうにカミーユがこう返事をする。
「そうですね、多分大丈夫だと思うんですけど、えっと」
その様子を見て、アルフォンスと呼ばれた男性が呆れ顔をする。
「もー。ギュス兄ちゃんに確認してくるから、カミーユ兄ちゃんはちょっと待ってて」
「あ、うん。よろしく」
相変わらず本人の仕事量管理がガバガバだなと思いながら、マリユスがカミーユに声を掛ける。
「相変わらず、頼りになる弟君達だね」
苦笑い混じりのその言葉を聞いて、カミーユは嬉しそうな顔をする。
「そうなんです。いつも僕のことをサポートしてくれていて、とても助かってます」
この様子を見る限り、どうやら弟達を褒められた物だと思ったようだ。褒めたと言えば褒めていることになるのだろうが、もう少ししっかりと仕事量の管理を自分でもした方が良いと言う意図は伝わっていないだろうなと、マリユスは思う。
少し待っていると、アルフォンスがまた応接間にやって来て、まだあと四件分くらいは余裕があると伝え、分厚いノートをカミーユに渡して、すぐに去って行った。
「そう言うわけですので、おふたりともご注文をお聞かせ願えますか?」
ひとり掛けのソファに座りノートを開くカミーユ。無事に注文が出来ると安心したマリユスが夏服を注文したいと伝えると、早速どの様なデザインにするのか、服の素材はどうするかという話になった。
あらかたデザインを決め、採寸をする段になり、マリユスがカミーユに訊ねた。
「ところで、このところはどのような生地が流行っているんだい? やはり絹かな?」
その質問に、カミーユは淀みなく答える。
「そうですね、冬の間は毛織物のご注文も比較的多かったですけれど、全体的に見て絹や木綿が流行りですね。
特に最近は、インド産の綿織物、キャラコが人気です。色柄も鮮やかですし、異国情緒があるからでしょうね」
「なるほど、そうなのか」
何を輸入するべきか、そう言う情報を集めるのにこう言った店で話を聞くことはとても重要だ。売り上げの数値を見ているだけでは見えない物が見えてくる。
採寸をして居る間、流行の生地の話をして、ふと、今度はカミーユがマリユスに訊ねた。
「ところで、クッキーの器が空になっていましたが、お口に合いましたか?」
「あ」
それを言われて改めて気づいた。マリユスはクッキーを食べていない。しれっと全部クッキーを食べてしまったユリウスのことを思い出すと恥ずかしいような心地になったけれども。
「どうやらとても気に入ったようで」
「そうですか。それでは、アルに言ってもう少し包ませましょうか?」
「お願いします……」
感想は言えないけれどもそう答え、弟が強引にねだる前に、好意に甘える事にした。