第四十八章 銀杏の降る頃に
外に吹く風も冷たくなり、身を切るようになった頃。そろそろ交易に出ていたキャラベル船が帰ってくる頃なのだけれど、その館に異変があった。ある日を境にソンメルソの姿を見掛けなくなったのだ。何が有ったのだろう。マリユスは不思議に思っていたけれども、ソンメルソの代わりに交易の仕事をこなしている父親からは、何も聞かされない。
仕事をこなしながら、そう言えば。とマリユスは気づく。ソンメルソの姿を見なくなってから、部屋にかけられていた彼の肖像画が、無くなっていたのだ。
まるで、ソンメルソと言う人物などはじめから存在しなかったと言いたげな、館の中の空気。
いつから主の姿を見なくなったのか、マリユスはそれを思い出そうとする。仕事が終わり、自室で考えていると、誰かがドアをノックした。
「お兄ちゃん、僕だけど」
「ああ、ユリウスか。どうぞ入って」
ドアを開けて入ってきたユリウスは、ベッドに腰掛けていたマリユスの隣に座る。
「ねぇ、お兄ちゃんは知ってる?」
何のことだろう。不思議に思ったマリユスがユリウスの次の言葉を待っていると、ユリウスはこう続けた。
「ソンメルソ様が、だれかを殺してしまったって」
「えっ……? それは、どういう?」
思わず声が大きくなるマリユスの口を、ユリウスがぱっと塞ぐ。それから、ユリウスはマリユスの耳元で、小声で話を続けた。
「だれを殺してしまったのか、どうやって殺してしまったのかまでは聞いていないけど、それでいま、この館のどこかの部屋に閉じ込められてしまっているんだって」
マリユスの顔からさっと血の気が引いていく。あの、気は強いけれども心根の優しいソンメルソが、そんな事をするとは思えなかったし、もししてしまっていたのだとしても、何かの事故だと思いたかった。
「それは、きっと何かの間違い……ソンメルソ様を出していただけるように申し上げないと……」
震える声でマリユスがそう言うと、ユリウスはマリユスの手をぎゅうと握ってこう言った。
「それはだめ。そんな事したら、僕達までなにかされちゃう。
解雇されるだけならまだいい。下手したら僕達も閉じ込められてしまう」
「でも、ソンメルソ様が人殺しだなんて、そんな」
混乱してしどろもどろになるマリユスに、ユリウスが強い口調で話を続ける。
「お兄ちゃん。心配なのはわかるけど、自分の身が一番大事なんだよ」
「でも」
「大丈夫。僕がお兄ちゃんを守るから」
強い目で自分を見据えるユリウスに、マリユスは頼りたくなった。本来ならば自分が守るべき相手である弟に、今いっときは甘えても良いのでは無いかと、そう思った。
それから数日後の夜。ソンメルソが居ない日々を過ごし、仕事を終えたマリユスの元に、何故か外出着を着たユリウスがやって来た。
「どうしたのユリウス、そんな格好をして」
すると、ユリウスは大きな鞄を部屋のテーブルの上に置き、こう言った。
「お兄ちゃん、今すぐにここを出る準備をして」
「え? なんで」
特に目上の方の機嫌を損ねたと言う事はないし、解雇を言い渡されたわけでもない。それはユリウスも同じ筈で、何故出て行けなければならないのだろうと、不思議に思う。
事情が飲み込めないと言った様子のマリユスに、ユリウスが手短に説明をする。
「今日、メチコバール様から、ソンメルソ様が魔女として告発されたって言う話を聞いたんだ。
このままだと、僕達まで魔女の仲間として裁判にかけられかねない。だから逃げよう」
それを聞いて、マリユスはぞっとする。これから魔女裁判にかけられるソンメルソのことは勿論心配だったけれども、告発された以上、自分達も関係者として諸共に処刑される可能性は、捨てきれなかった。
震える手で言われるまま、外に出る準備を始めるマリユスが訊ねる。
「ソンメルソ様の弁護人は、誰が?」
今まで身近に居た人物として、自分が指名されている可能性は高い。もしそうだったとしたのなら、ここで逃げ出してソンメルソの絶望を深めてしまうことに、心苦しさがあった。
しかし、ユリウスはこう答える。
「ソンメルソ様の弁護人にはメチコバール様が名乗りを上げたって。
自分の身の安全をお金で買うからって」
「そうか……」
今まで自分に良くしてくれたソンメルソの恩に報いることが無いままだけれど、マリユスはまだ死にたくなかった。身支度をととのえ、ユリウスと共に部屋を出る。なるべく足音を立てないように廊下を歩き、そっと使用人出入り口から外に出る。
そこから少し離れた厩に行き、マリユスは馬を一頭、拝借した。
馬具を付けないままに、マリユスとユリウスは馬を裏口に連れて行き、敷地の外に出てから馬の背に跨がった。
満月の明かりが照らす街中を進みながら、マリユスは小声で訊ねる。
「どこまで逃げる?」
ユリウスは即答する。
「ブルターニュかフォレーズ。そこでは魔女狩りは行われてないって」
「わかった」
それだけやりとりをして、馬を走らせる。地図は無いけれど、ブルターニュまでの道のりは頭に入ってる。
ふたりは生き残るために、生まれ育った街を捨てた。




