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第四十六章 オパルセント

 まだ暑さは残っているけれども、夜に吹く風は涼しくなってきた頃。先日、月と星空を見上げながら楽しむ夜のパーティーというのが催されたばかりだった。

 そのパーティー以来、ソンメルソはぼんやりとすることが多くなってきた。もしかして、日中と夜の気温差が堪えて疲れているのかも知れないと、マリユスは仕事のスケジュールを調整して、なるべく休めるようにはからっていた。心配だというのも勿論あるが、そろそろ港に帰ってくるキャラベル船に備えなくてはいけないのだが、それまでには間があり、かつ去年の冬に運び込まれた輸入品を管理する仕事も落ち着いている時期なので、今の内に休んで回復して貰わないと、交易の仕事に差し障ってしまうと言う事情もある。

 少しでも元気づけられればと、先日オペラ歌手のウィスタリアを館に呼んだけれども、それでもいっときしか心はほぐれなかったようだ。あの時、デュークにも歌を聴かせたいと言っていたけれども、そう言えば最近は、デュークの姿を見掛けることが少なくなった気がした。


「デューク様は、どうなさってしまったのでしょう」


 マリユスが誰ともなしにそう呟くと、紅茶を飲んでいたソンメルソがこう答える。


「夏バテを拗らせてしまったようでな。最近は仕事も休みがちなんだそうだ」

「そうなのですね」


 なるほど、どうりで近頃はソンメルソがデュークのところに行くことが多いわけだと、マリユスは納得する。あれだけ親しい友人なのだから、心配してお見舞いに行くのは、何ら不思議ではない。

 静かにティーカップを置き、ソンメルソが言う。


「シナモンはまだ残っているか?」


 その問いに、マリユスは倉庫のことを思い出しながら答える。


「はい、少量ですが」

「それを持ってきてくれ」


 突然どうしたのだろう。特に取引の予定は無いはずだけれどとマリユスが思っていると、ソンメルソはこう続けた。


「あれは身体を温めるのに良いだろう。デュークのところに持って行って、紅茶と一緒に淹れてやろうかと思って」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 一礼をして部屋から出るマリユス。倉庫に行く間、ソンメルソがまだ少年だった頃のことを思い出した。確か、自分で美味しいお茶を淹れられるようになりたいからと、手筈を何度も訊きに来たっけ。ここ近年聞いている話でも、デュークのところへお邪魔したとき、たまに持参した紅茶を淹れて差し入れしていると言っていた。

 それにしても、スパイスの力を借りなくてはいけないほど、デュークの体調は悪いのだろうか。自分がお見舞いになど行ける立場では無いのはわかっているけれども、心配になった。

 数本のシナモンを取りだし、紙で包んだ物を持って、マリユスは倉庫から出る。部屋に戻ったらデュークの不調がどれほどの物なのか、ソンメルソに訊ねるくらいは許されるだろうかと考えながら。


 部屋に戻ると、ソンメルソは外出の準備をしてそこに居た。


「ソンメルソ様、これからデューク様のところへ?」


 マリユスがシナモンを渡しながら訊ねると、その通りだという。


「お前も来るか?」


 その言葉にマリユスは驚いた。まさか自分にそんな言葉がかけられるのが意外だったのだ。


「僕も同行して良いのでしたら、是非」

「それなら付いてこい。お前も随分とあいつのことを心配しているようだからな」

「かしこまりました。ただいま準備をしてまいります」


 同行の許可が出るとは思っていなかったので驚いたけれども、ありがたい言葉を受け、マリユスは早速外出の準備をしに行った。


 デュークの館に着くと、にこやかな侍従に迎え入れられた。この館に住んでいる主の家族は、デュークとその母親のふたりだけ。他に住んでいるのは、すべて使用人だという。

 デュークの母親にも挨拶をしないと、マリユスがそう思っていたら、丁度デュークの母親は友人のところへ出かけていて居ないのだという。

 ソンメルソが住んでいる館よりも幾分小さく、若干質素なためか静かに感じる廊下。そこを通って応接間まで案内された。

 応接間に通され、ソンメルソだけでなくマリユスも椅子を勧められる。恐縮しながら椅子に座って居ることしばし、少しふらついた足取りでデュークがやって来た。


「やぁ、いらっしゃい。

今日はマリユスも来てくれたんだね」


 体調が悪いせいだろうか、前に会った時よりも顔色が悪いように感じる。それでもなお、儚さが加えられたその微笑みは、目を惹きつけてやまなかった。

 デュークが椅子に座ると、ソンメルソがこう言った。


「身体を温めるのに良いかと思って、シナモンを持ってきたんだ。

これから紅茶を淹れてくるよ」


 なるほど、こういう感じでいつもお茶を淹れているのかとマリユスは納得する。デュークの方も慣れた物で、嬉しそうに言葉に甘えていた。

 マリユスが紅茶を淹れるのを侍従に頼むのが、本来ならば良いのだろう。だけれども、すっかりこの館に馴染んでしまっているソンメルソの邪魔をすると、かえって良くない気がした。


 ソンメルソが淹れてきた紅茶を飲みながら、たわいの無い話をする。両手でカップを持ちながら、デュークが申し訳なさそうにこう言った。


「そう言えば、前に貰ったグラスなんだけど」

「ん? あれがどうかしたか?」

「実は、手を滑らせて割っちゃったんだよ。折角くれたのに、ごめんね」

「……そうか。まぁ、気にするな。ヴェニスに行けばいくらでもあるだろう」


 デュークとソンメルソのやりとりを聞いて、マリユスはいつだったか机の上に並べた、白いグラスを思い出す。あのオパルセントのグラスは、デュークに渡したのだろうか。それとも、他の物なのか。少しだけ気になったけれども、あまり詮索するのは良くないし、言わないでいたのなら聞かない方が良いことなのだろう。マリユスはふたりの話を聞きながら、熱い紅茶を飲んだ。

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