第三十四章 赤の残像
鮮やかな日差しが照りつけるようになった頃のこと、この日はソンメルソの父が肖像画を描いて貰うと言うことで、画家を招いていた。それに関してソンメルソが何か手を煩わせると言う事はないので、マリユスは普段通りに貿易の仕事の補佐をしていた。
スパイスや絹織物、綿織物などの取引は大体終わり、紅茶はユリウスの勧めでティーオークションにかけ高額で落札された。陶磁器も、安価な物は他の小売店に大体卸し終わり、直接取引で販売する高額な物だけを手元に残してある。
これからの時期にやらなくてはいけないのは、来年の冬に輸出する、石鹸やワイン、毛織物、その他様々な輸出品を国内で確保するための手配などの仕事だ。
書類とにらめっこしていたソンメルソが、ふと目を擦った。
「どうなさいました? お疲れでしょうか?」
普段から目をこする事が無いわけではないが、今日は随分と回数が多い。もしかしたら昨夜眠りが浅かったなどの理由で眠いのかも知れない。そう思ったマリユスが訊ねると、ソンメルソは難しい顔をして答えた。
「疲れているわけではないと思うのだが、今日はなんだか目の調子がおかしいんだ」
「はい、それはお疲れなのでは……」
とは言った物の、マリユスもこの日は目に、正確には視界に異変を感じていた。心なしか、いつもの景色の色が違うように思えるのだ。
自分も疲れているのだろうか。あまりにもこの調子が続くようなら、ソンメルソを休ませて、自分も少々休まなくてはいけないかも知れないとマリユスは考えていた。
「取り敢えず、休憩しましょう。ただいまお茶のご用意をして参ります」
「ああ、頼んだ」
マリユスの疲れているのではないかという指摘を素直に受け入れ、ソンメルソは休憩を取ることに承諾する。一旦書類を机の上に置いたマリユスは、部屋から出て厨房へと向かった。
厨房でお湯を沸かしている間に、ティーセットの準備をする。ティーカップをソーサーに乗せ、ティーポットの中には茶葉を入れる。今回用意して居るお茶は、紅茶と青い矢車菊をブレンドした、華やかな物だ。
ふと、茶葉の中に入っている矢車菊の花びらが紫色に見えた。
「……?」
思わず目を擦ってもう一度茶葉を見ると、別段紫色というわけではなかった。
こんな錯覚を見てしまうなんて、相当疲れているのだろうかと思いながら、沸騰したお湯をティーポットに注ぐ。それを含むティーセットをトレイの上に乗せ、ひっくり返した砂時計も乗せる。砂が落ちきる前にソンメルソの元へ戻るために、マリユスはトレイを持って厨房を出た。
部屋に戻ると、ソンメルソ以外にも何故かユリウスと、本日父親の肖像画を描きに来ている画家のトマが中で話していた。部屋の中に据えられているソファに座って楽しそうだ。
「あれ? ソンメルソ様、何故トマさんがこちらに?」
不思議に思ったマリユスが訊ねると、ソンメルソは嬉しそうにこう答えた。
「ああ、今日の仕事が終わってこれから帰るところだったようなのだが、そこを通りかかったところで声を掛けたら、少し話していってくれるというので中に入れたんだ」
「なるほど、そうなのですね」
お茶の準備をしている間暇をさせてしまったかとマリユスは少し反省するが、ソンメルソも随分とトマの絵を気に入っているようなので、話をする機会が有るのならそれも良いかと微笑む。
しかし、困ったことがひとつ。
「どうしましょう、紅茶のご用意がソンメルソ様の分だけで、トマさんの分が無いのです。これからご用意いたしましょうか?」
まさか客人に出す飲み物がないと言うわけにもいかないだろうと心配したマリユスがそう訊ねると、トマはにっこりと笑ってこう返す。
「あ、飲み物は無くても大丈夫です。先程沢山いただいたので」
それに続いて、ユリウスもこう言う。
「もし用意するにも僕が行ってくるよ。お兄ちゃん折角厨房から戻ってきたばっかりなんだから、また行くの二度手間でしょ?」
「まぁ、それはそうだけど……」
本当に良いのかと言う思いは残るけれども、取り敢えずマリユスはソンメルソの分のお茶をセッティングする。砂時計はもう落ちきっていて、これ以上蒸らしているとお茶が渋くなってしまう。
ソーサーに乗ったティーカップをソンメルソの前に置く。それから、マリユスは側に立っているユリウスの隣に移動した。
ふと、ユリウスが目を擦る。
「どうしたの?」
彼も寝不足なのだろうかとマリユスが心配すると、ユリウスはこう答える。
「なんだろう、なんかね、今日目の調子がおかしいんだ」
「ユリウスも?」
マリユスやソンメルソだけでなく、ユリウスまで目の調子がおかしいというのはどんな偶然なのだろう。もしかして流行病なのかとマリユスが思うと、ソンメルソと話していたトマがこう言った。
「もしかして、皆さん目の調子が悪いですか?」
それに対し、他の三人はその通りだと答える。すると、トマが難しい顔をする。
「実は、僕も目の調子が変なんです。
なんか、周りがいつもより赤く見えて」
「赤く見える?」
そう言われて、マリユスは先程見えた紫色の矢車菊を思い出す。
「外に出ると、赤い光がそこら中で見えるんです。
僕の目がおかしくなっただけかと思ってたんですけど、そうじゃないならもしかして流行病か、それとも、天候魔女が何か悪さしたのかな……」
最後の方が独り言のようになっているトマの言葉を聞いて、赤い気配は一体何者なのだろうと、ぞっとした。




