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第三十三章 棘のある華

「憂鬱だ……」


 日差しが強くなり始めたある日のこと、仕事の終わりにソンメルソがそう呟いた。

 今日の仕事は午前中だけで、昼過ぎに来客の予定がある。もしかして仕事の後に客人に会うのがつらいほど疲れているのだろうか。心配になったマリユスは、片付ける書類をまとめながら訊ねる。


「もしかしてお疲れでしょうか?

本日ルクス様がいらっしゃる予定ですが、調子が悪いと言うことでお帰りいただくとか……」


 すると、不機嫌そうな顔をしてソンメルソが言う。


「気乗りしないのは確かなのだが、嘘をついてまで門前払いをすると後々厄介そうだからな。今日は大人しく出迎える」

「さようでございますか。でも、無理はなさらないでくださいね」

「ああ」


 ソンメルソがここまで参っている姿を見るのは稀なことなので、マリユスとしては不安を拭えない。

 ふと、思い出したような顔をしてソンメルソがマリユスに言う。


「そうだ、今日は先日渡した香水を着けてルクス様を出迎えるように。

あと、給仕にユリウスを呼ばずにお前に任せたい」

「香水ですか? かしこまりました。

給仕の方も務めさせていただきます」

「頼んだぞ」


 軽くやりとりをし、書類を片付けてから、マリユスはルクスを迎える準備をするために、一旦部屋から下がった。


 自室に戻り、マリユスは改めて身なりを整え、先日ソンメルソがジジに作らせた香水を手首の内側に着け、それをそのまま首筋に擦り付けた。少し刺激的で、しかし湿っぽい香りが鼻腔をくすぐる。華やかさこそ無い物の、心地よい香りだ。

 懐中時計を見ると、そろそろルクスがこの館を訪れる時間が近づいていた。服の胸ポケットに時計をしまい、部屋を出る。出迎えの前にまずはお茶の準備だ。厨房へと向かい、お湯を沸かして貰えるように声を掛けた。


 予定の時間になり、出迎えに出ているのはマリユスだけでなくソンメルソも付き添っていた。気が乗らないと言っていた割には随分と積極的に迎える物だなと不思議に思ったが、きっと彼なりになにか考えがあるのだろう。

 しばらく待っていると、きれいに手入れのされた馬車がやって来て、そこからふたりの人物が降り、マリユス達の元へやって来た。ひとりは、薄い色の金髪を緩く結って肩に垂らしている男性、ルクスと、もうひとりは菫色のまっすぐな髪を顎のラインで切りそろえている男性。

 一体誰だろうとマリユスは思ったが、そう言えば、今期やって来ているお気に入りの歌手を連れてくるらしいとソンメルソが言っていたので、その歌手だろう。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」


 マリユスがそう言って礼をすると、ソンメルソも軽く礼をする。その様を見てルクスは上機嫌だ。


「やぁ、マリユス君だけでなくソンメルソ君まで出迎えに来てくれるなんて嬉しいよ」

「マリユスだけに出迎えを任せるわけにもいかないと思ったので」


 にこやかなルクスとは対照的に、ソンメルソは冷ややかな表情だ。自分で仲が悪いと言っているメチコバールに対する物よりも冷淡な態度を取っているのに、なぜわざわざ自らも出迎えに出たのか。マリユスにはそれが不思議だったけれども、今ここでその事を訊ねるわけにはいかない。

 いつまでも玄関先で立っているわけにもいかないので応接間へとやって来たふたりを案内し、マリユスはそのままお茶の準備をするために厨房へ向かう。向かった先では、既に熱いお湯の入ったポットと茶葉の入ったティーポット、それにティーカップとソーサーがワゴンの上に置かれていた。

 そう言えばお茶請けが無い。そう思って周りを見ると、奥からひょこっとユリウスがお茶請けを乗せたトレイを持って出て来た。


「お茶請けはスコーンだって」

「ああ、ありがとう。これも持って行くよ」

「でも、給仕ほんとにお兄ちゃんだけで良いの?」


 心配そうな顔をするユリウスに、マリユスは困ったように笑って返す。


「そういう言いつけだからね。

ユリウスもちゃんと部屋で控えてて。厨房でつまみ食いとかしちゃダメだからね」

「晩ごはんのビーフシチュー美味しかった」

「だからね?」


 そこに居たついでにシェフに味見を頼まれただけというのはわかるが、いささか不安が残る。だが、不安があるからと言っていつまでも厨房に居るわけにはいかない。マリユスはワゴンを押して応接間へと向かった。


 応接間でお茶のセッティングをし、しばし主人と客人が会話している様を見守る。聞いていてわかったことは、ルクスが連れてきた男性はやはりオペラ歌手で、名をセイエンというらしい。年の頃はソンメルソと同じくらいだろうか、整った容貌、特に下がった目尻とその下にある泣きぼくろが印象的だ。


「ルクス様はセイエンさんが随分とお気に入りなのですね」


 にこりと笑ったソンメルソがそう言うと、ルクスはセイエンの肩を抱きながらこう返す。


「そうだね。この街に来るときは必ず手紙を寄越すように言っているんだ。

それにしても、なんだか棘のある言い方だったけれども、妬いているのかな?」


 相変わらずこう言った冗談が多いなと思いながらマリユスは聞いているのだが、ちらりとソンメルソの方を見ると、先程の笑顔のままなにも答えない。

 それから少しの間天使が通って、ソンメルソが口を開いた。


「ところで、今回わざわざセイエンさんを連れてきてくださったと言う事は、歌を披露してくださるという事ですよね?」

「そうなんだよ。セイエン、頼めるかな?」


 ルクスの言葉に、セイエンはにっこりと笑ってソファから立ち上がる。


「勿論ですよ。ルクス様のお願いですからね」


 その物言いに、ソンメルソの要望だったら聞かなかったのかとマリユスは少しもんやりしたが、きっと歌手としてちやほやされているのだとしたらこんな物なのだろうと不満を飲み込んだ。

 そして、歌の披露が始まった。男性パートの中では、高音域の部類に入るのだろうけれど、カーミットのようにカウンターテナーというわけではない。特徴が無いと言えば無いのだろうけれども、しっかりと支えられているその声は、この応接間などではまだ狭いと感じさせるようにふくよかに響いた。

 歌の披露が終わると、礼をするのもそこそこに、またルクスの隣に座ってしまう。その様子を見て、彼もユリウスみたいなタイプなのかとマリユスは思ったが、それにしてはなんとなく違うような気がした。


「ふたりとも、本当に仲が良いのですね」


 ソンメルソが紅茶を飲みながらそう言うと、セイエンはルクスに身を寄せて返す。


「そうなんですよ。ルクス様には可愛がって貰ってます」

「ははは、素直な良い子だね」

「だって、ルクス様はいつもボクが一番可愛いって言ってくれるじゃないですか」


 仲が良いにしても随分と距離感が近い感じは受けるが、歳がそんなに離れているわけでも無し、きっと兄弟のように気が合うのだろう。そんな事を、マリユスはユリウスを思い浮かべながら思い、思わず口元に笑みを浮かべる。

 ふと、違和感を感じた。セイエンがマリユスとソンメルソに向ける視線に冷ややかな物を感じたのだ。

 冷ややかであると言うよりは、もっと熱い拒否の感情。それが嫉妬である事に気づくのにそう時間はかからなかった。けれども、何故その感情を自分達に向けられるのかがわからなかった。

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