第三十二章 華やかな舞台
汗ばむような気温になり始め、新緑が眩しい頃。その日の晩は良く晴れていて、細い三日月の光が鮮やかだった。
人々が集まるオペラハウス。そこにマリユスとユリウスは付き添いとしてやって来ている。ソンメルソがデュークと、一応メチコバールのことを観劇に誘ったのだ。
ボックス席のソファに座る三人に、マリユスとユリウスがティーセットをセッティングする。今日のお茶は今年入って来たダージリンで、お茶請けはマドレーヌを各人三つずつだ。
「今年のダージリンは出来が良くてな、是非デュークにも味わって欲しかったんだ」
ここでメチコバールを無視するようなことを言って、相変わらず素直ではないなとマリユスは思ったが、積極的に憎まれ口を叩いているわけではないので問題は無いだろうと判断する。そうしていると、ユリウスが笑ってこう言った。
「ソンメルソ様、そんなわざわざメチコバール様が眼中にないみたいな言い方しなくて良いんですよー」
「ユリウス、そう言う事は思ってても言わないで」
マリユスが慌てて口を塞ぎ、ソンメルソの方を見るとむくれてしまっている。
「……別に……メチコバールはついでだし……」
これはどう言ってフォローした物か。マリユスが慌てていると、デュークも慌てながらこう言った。
「ついでっていっても、あの、僕は人数が多い方が楽しいなぁ」
「そうか?」
「そう、そうだよ」
いささかぎこちなく笑みを浮かべているデュークを見て、ソンメルソは納得した顔をする。その様子を見てメチコバールが苦笑いをしているのにソンメルソは気づいていないが、敢えて気づかせる物でも無いだろう。
ふと、メチコバールがティーソーサーからカップを下ろし、空いた上にマドレーヌをふたつ置いてユリウスに差し出した。
「お前達もいつも給仕ばかりでは大変だろう。
今日はこれでも食べながらゆっくりしたらどうだ?」
「よろしいのですか? ありがとうございます」
マリユスが礼を言うと、ユリウスも嬉しそうにソーサーを受け取り、礼を言う。
「わーい、ありがとうございます。
ついでにどこか座らせて貰えると嬉しいんですけど」
「だからそう言う事は思っても言わないで」
良く言えば素直な物言いをするユリウスに、ソンメルソがくすくすと笑いながら返す。
「ああ、お前達もそこのソファに座って良いぞ。
あと、マドレーヌも分けようか」
「わーい、ありがとうございます」
「申し訳ありません、気を遣わせてしまって……」
喜ぶユリウスに恐縮するマリユス。そのふたりを見て、デュークもマドレーヌの乗った皿を差し出してこう言う。
「僕のマドレーヌもどうぞ」
「ありがとうございます、恐縮です……」
ソンメルソとデュークからマドレーヌをひとつずつ分けて貰い、ユリウスは上機嫌だ。ソファに座り、マリユスはユリウスに耳打ちする。
「あんまりこう言う事催促しちゃダメだよ?」
「んー、この面子なら大丈夫かなって」
「僕もそんな気はするけど、ご主人様とそのご友人だって事忘れないでね?」
「そう言えばそうだね」
やはりユリウスはこの辺りの認識がふんわりしているなと再確認したマリユスが、改めて主人とその友人達を見ると、楽しそうにお茶を飲んで、話をしている。
そうしている内に緞帳が上がり、開演した。ソンメルソ達三人は、オペラグラスを持ち、舞台に視線を送っている。それをマリユスは後ろから見ているわけなのだけれども、ふと、ソンメルソが頭を上げ、向かいのボックス席に視線をやり、オペラグラスを畳んだ。
「どうなさいました?」
不思議に思ったマリユスが訊ねると、ソンメルソはオペラグラスをマリユスに差し出しながらこう答える。
「ああ、たまにはこれ無しで観ても良いかと思って。
少し預かっていてくれないか?」
「かしこまりました」
飾り気のない、真鍮色のオペラグラスを受け取ったマリユスは、先程ソンメルソが向いていた方を見る。向かいのボックス席に何かあるのだろうか。気にはなるけれども、勝手にオペラグラスを使うわけにもいかない。ぢっと向かいのボックス席に視線をやり、目を凝らす。すると、こちらを見て手を振る男性の姿が小さく見えた。
一体誰なのだろう。向こうはオペラグラスがあるだろうからこちらに誰がいるかわかるだろうけれども、マリユスには判別を付けることが出来なかった。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
マドレーヌを食べながらぼーっとしているユリウスに声を掛けられ、マリユスは我に返る。
「あ、ああ。向かいのボックス席の方が手を振ってたから」
「そうなの?」
そのやりとりが聞こえたのか、舞台を眺めていたソンメルソが厳しい顔で振り向き、こう言った。
「向こうのことは気にするな。放っておけばいい」
「えっと、かしこまりました」
向かいの席を取っているのは誰なのだろう。疑問に思ったようで、デュークとメチコバールがソンメルソに訊ねているが、知らないの一点張りだ。
これはもしかしたら、マリユス達が知らない仲の悪い貴族がいるのかも知れないと、このことに触れるのはやめる事にした。




