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第三十一章 教会への伝言

 日差しが暖かくなり吹く風も柔らかくなった頃、マリユスは一日休暇を貰い、いつも通っている教会へと出かけた。正確には、用事があるのは教会ではなく、併設されている修道院で暮らしているマルコという名の修道士になのだけれども、聖堂でお祈りをすると落ち着くので、お祈りのためのロザリオも持参している。

 街の石畳の上を歩き、街外れまで行く。そこに、俗世とは隔てられている印象のある教会と修道院があった。

 いつでも信徒がお祈りに来られるようにと開け放たれた門から敷地内に入り、そこから見える畑で作業をしている修道士様に声を掛けた。


「お仕事中失礼します。

マルコさんと少しお話がしたいのですが、呼んでいただくことは出来ますでしょうか?」


 すると、その修道士様は顔を上げ、不思議そうな顔をしている。若草色の短い髪を泥で汚れた指で避け、一目見てうつくしいとわかるその顔に笑みを浮かべて立ち上がった。


「マルコでしたら、今この畑で作業をしていますので、すぐにお呼びしますよ。

ですが、どの様なご用件でしょうか?」


 確かに、用件もなく仕事中に話しているわけにもいかないだろう。マリユスはその修道士様に用件を伝える。


「先日、マルコさんに黒死病に関するお話をしたのですが、その時に、もし何か情報があったら教えて欲しいとの事で、また参考になりそうな話が入って来たので、それで、お話を」


 それを聞いた修道士様は、それでしたら。と軽く頭を下げて、畑の少し離れた別の場所で苗の手入れをしている他の修道士様の元へと向かう。よく見ると、そこで作業しているのがマルコであるようだった。

 先程の修道士様に連れられて、マルコがマリユスの元へとやって来て、軽く礼をした。マリユスも、礼を返す。


「お久しぶりです、マリユスさん」

「お久しぶりです」


 そう挨拶をしていると、マルコを連れてきてくれた修道士様が畑の脇に植えられた木の影を見てこう言った。


「そう言えばマルコ、そろそろタリエシン神父があなたに会いに来る予定になっていますが、この方はどうするのですか?」


 まさか予定がぶつかるとは思っていなかったマリユスは、申し訳なさそうに言う。


「あ、他のご予定があるのでしたら、また後日伺います」


 すると、マルコはマリユスのことを制止して、こう返す。


「あ、お待ちください。

本日タリエシン神父がいらっしゃるのは、黒死病についての情報をまとめるためなので、新しい情報があるのでしたら、マリユスさんも同席していただけないでしょうか」

「え? えっと、はい。同席してよろしいのでしたら、させていただきます」


 まさかその様な申し出があるとは思っていなかったのでマリユスは驚いたが、ふたり同時に情報の共有が出来るのだったらその方が良いだろうと了承する。

 マルコの隣に立っている修道士様が、にこりと笑って声を掛けてくる。


「それでしたら、マルコはこの方のご案内を。

私は畑仕事に戻りますので、後はよろしくお願いします」


 それからぺこりと頭を下げ、また苗の手入れに戻った。

 ふと、マルコが門の方を向いたのでつられてマリユスもそちらを向くと、丁度タリエシン神父がやって来たところだったようだ。彼と合流し、マルコに案内されて修道院内の応接間へと向かった。


 応接間はきちんと手入れされては居る物の、決して華美な物では無かった。時折やって来るであろう貴族を迎え入れるには、少々簡素な感じがしたけれども、修道院というのはそう言う物なのだろう。

 マルコは資料を持ってくると言って席を外しているけれど、マリユスとタリエシン神父は椅子に座り、雑談をしている。


「マリユスさん、先日はありがとうございました」

「先日ですか? ソンメルソ様のところへいらした時のことでしょうか?」

「それも有りますし、マルコさん経由で黒死病の情報もいただいたので」

「ああ、その事でしたか。たまたま話しただけだったのですが、そちらまで話がいって良かったです」


 話している間にも、タリエシン神父は持参している革張りの分厚いノートをテーブルの上に置き、しおりを挟んでいるページを開いている。どんなことが書かれているのか気にはなったけれども、勝手に中身を見るのは失礼だろうと、マリユスはノートから視線を外す。

 そうしているうちに、マルコも分厚い革張りのノートを持ってやって来た。三人全員が椅子に座ったところで、マルコが話を切り出した。


「さて、本日マリユスさんは黒死病に関する新しい情報を持ってきてくださったようですが、どの様な物でしょうか」


 それに対し、マリユスが答える。


「ひとつは、黒死病の避け方です。

これはとある調香師が言っていたのですが、石鹸で身を清め、香油を身に纏えば黒死病を防げるというのです」

「なるほど……」


 ノートに走り書きしたタリエシン神父が、こう訊ねる。


「それは何故、石鹸と香油で防げるのでしょうか?」


 これには理由があった。それを思い出しながらマリユスが答える。


「ネズミが、香油の香りを嫌って寄ってこないからだそうです」


 すると、マルコが不思議そうな顔をして、ノートの上で羽根ペンを彷徨わせる。


「ネズミと黒死病と、何か関係はあるのでしょうか?」

「はい、理由はこれからお話します。

ふたつ目のお話として、黒死病が流行り始めた時期と、異国から来た大きなネズミがこの辺りで見掛けられるようになった時期が一致しているそうなのです」


 マリユスの説明に、タリエシン神父が顔を上げ、難しそうな顔をする。


「その、大きなネズミが黒死病を媒介している。と言う事でしょうか?」

「その可能性は有ると思います」


 ネズミの話を聞き、マルコは納得がいかないと言った顔をしている。


「ですが、その様なネズミは見たことがありませんし、市井から見掛けたという話は入って来ていません」


 そう、マルコの言うとおり。そこはマリユスも気になっている点だった。


「もしかしたら、大きなネズミから小さなネズミにうつり、そこから人間にうつっているのではないかと思うのですが」

「なるほど。町の外にならどんな動物がいてもおかしくは無いですし」


 マリユスとマルコでそう話していると、難しい顔をして話を聞いていたタリエシン神父が、はっとした表情に変わった。


「もしかして、蚤……?」

「蚤、ですか? 蚤が何か?」


 突然出てきた虫の名前に、マリユスは驚く。マルコも良くわからないと言った様子だ。マリユスが説明を求めると、タリエシン神父はこう話した。


「これはあくまでも仮定ですが、黒死病が本当に異国から来たネズミが運んできたというのなら、そのネズミに付いていた蚤が、ネズミから感染し、他の動物にうつしを繰り返して、動物から動物、そして動物から人へと広げていったのではないかと思ったのです」


 確かに、蚤は大体の動物に付いている物だ。けれども、何故そう思ったのかの根拠が気になった。


「何故、蚤という所に思い至ったのですか?」


 マリユスがそう訊ねると、マルコは思い当たる節があるらしく、あっ。と声を上げてこう言った。


「そう言えば、以前マリユスさんから聞いたお話の中に、『虫に刺された後黒死病になった』と言うのが有りましたよね」

「はい、虫に刺されて痒いと言っていたら、その後黒死病を発症したという」


 過去にカミーユから聞いた彼の両親の事を思い出しながら返事をして、マリユスもようやく合点がいった。カミーユの両親は、蚤に刺されて黒死病に罹った。けれども、カミーユ達三兄弟は蚤に食われなかったので黒死病にならなかったのだろう。そう思い至った。

 タリエシン神父がノートに書き込みながら、話をする。


「確かにネズミも黒死病を媒介するでしょう。ですが、もし香油で避けられるのであれば、人間にうつすのは蚤などの小さい虫というのは説得力があります。

虫は動物よりも、遥かに香油に弱いですから」


 これが正しいかどうかはわからない。けれども、マリユスにはとても説得力がある物のように感じた。

 それから暫く三人で言葉を交わして、黒死病の感染ルートに関しては、医者の意見も聞いてみるという事になった。マルコとタリエシン神父は情報を持ってきたマリユスに礼を言う。マリユスも、自分が伝えた情報が役に立ったのならと、深々と頭を下げた。

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