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第三十章 異国の英雄

 貿易に行くキャラベル船を見送って暫くした頃、この頃は寒さもいくらか和らいできていた。

 時期的に、そろそろオペラの一団が来る頃だけれども、歌手であるウィスタリアからもカーミットからもこの街に来るという手紙が来ていないので、今年はまた別の歌手が選ばれて来るのだろう。

 仕事が一息つき休憩しているソンメルソに、マリユスは紅茶をティーポットからカップに注いで差し出す。今日は、他の客人が来ているのでユリウスはそちらの対応に回っているのだ。

 カップに描かれたアーモンドの花をぼんやりと見てから、ソンメルソが言う。


「ああ、ありがとう。今日のお茶はなんだ?」

「ダージリンでございます」

「なるほど」


 採取地を聞き、香りを嗅ぐ。それからそっと口を付けてひとくち含んでいる。

 今年、ダージリンはあまり雨が降らなかったとのことで生産量が減っていたのだけれど、味の方はどうだろうか。年明け前に荷下ろしした紅茶はまだ倉庫に積んである。それを、これから流通ルートに乗せるので、味の確認を今の内にしておき、値段を決めるのだがどうだろうか。良い出来であれば高値を付けるし、そうでないなら赤字にならない範囲での、それなりの価格になる。

 どういった判断をするかをマリユスが待っていると、ソンメルソは一旦カップをソーサーの上に置き、こう言った。


「今年のダージリンは水色も綺麗だし味も濃い。けれども渋味が少なくて良い出来だ」

「さようでございますか」

「お前は味見をしたか?」


 その問いに、マリユスはこう答える。


「いえ、僕はまだ味見はしていません」

「ユリウスは?」

「まだです」


 もしかして事前に味見をして置いた方が良かったのだろうか。けれども、今までも味見はソンメルソの仕事だったので、そう言われたのは意外だった。

 マリユスの返答に、ソンメルソは特に怒る素振りも見せず、残念そうな表情をする。


「そうか。お前達なら今年の紅茶に付ける値段の参考になりそうなことを言うかと思ったのだが」


 ここ数年は他の助けを得ずとも価格を決められていたのに、今年は何故。不思議に思ったマリユスはこう訊ねた。


「何故僕達の意見も参考になさりたいと思ったのでしょうか」


 その問いに、ソンメルソは難しい顔をして答える。


「今までに無いくらい出来が良いんだ。だからどうした物かと思って」

「ああ、なるほど」


 そこまで出来が良いとなると、逆に不安にもなるだろう。マリユスは少し考えてから、こう提案する。


「僕達の方で試飲しても構わないというのでしたら、後ほどさせていただいて、意見をまとめます」

「そうしてくれるか? 助かる」


 マリユスの言葉を聞いて、ソンメルソはほっとした様子だ。静かに紅茶を飲んで、味わっているのか時折瞼を閉じている。

 ふと、ソンメルソがぼんやりとこう言った。


「ところで、貿易先では異教徒との軋轢が多かれ少なかれあるみたいだな」


 この話題はあまり耳に入れないようにしていたのだが、遂に入るときが来てしまったかとマリユスは内心衝撃を受ける。


「そうですね。イスラームやユダヤの人々と上手く行かないことも有るようです」

「俺が聞いたのは、イスラームの人々との摩擦が絶えないと言う事なのだが。何故なのだろうな」


 その疑問に、マリユスはどう答えて良いかわからなかった。信教が違えば摩擦は起こって当然と思っているので、そもそもの原因という物を考えたことが無いのだ。マリユス自身は、異教徒と上手くやっているつもりだ。実際に、諍いを起こしたことは無い。けれど、貿易に出ている他の船乗り達は? 異教徒は自分とは違う生き物だと思って居るのでは無いだろうか。

 何も言えないで居ると、突然ソンメルソが話を変えた。


「プレスター・ジョンを知っているか?」

「プレスター・ジョンですか? はい、存じております。東方に大国を持ち、我々のために異教徒の手から聖地を奪還してくれるという王のことですよね」

「そう、それだ」


 プレスター・ジョンの話は、貿易をやっているものの間だけでなく、教会関係者の間でも有名だ。いつか聖地を我々の物にしてくれるという、まだ見ぬ英雄。書簡が届いたことが過去にあったようだけれども、未だにその正体は明らかにされていない。

 そんな人物の話を出して、ソンメルソはプレスター・ジョンに異教徒を一掃して欲しいのだろうか。そう思っていたら、こう言葉を続けた。


「プレスター・ジョンなどと言うのは、存在しないのだと思う。

もし本当に存在するというのならば、聖地を奪還するどころか、奴隷貿易をしている貿易商を罰するだろうからな」

「でも、奴隷貿易と聖地の話は別物ですし」

「どちらにせよ、存在が怪しいな。

もう何百年も前から、その存在が囁かれているんだ」


 何百年も前から、と聞いてマリユスははっとした。教会関係者は今でも異国の英雄の来訪を待ち望んでいるけれども、何百年も生き続ける人間がいるはずもない。


「プレスター・ジョンが居ないのなら、俺達は俺達なりに異教徒と折り合いを付けてやっていかないといけないんだ」


 ソンメルソは、カップに残った紅茶を飲み干し、そう言う。その言葉の裏には、異教徒とも上手くやっていきたいという望みが隠されているように感じる。


「……そうですね。良いイスラーム教徒とユダヤ人が増えると良いですね」


 話が一区切り付いた所で、ソンメルソが両腕を上にあげて伸びをする。マリユスは、お疲れ様です。と微笑んで、ティーセットを片付けた。

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