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第二十八章 災厄の使い

 年も明けて暫く経った頃。まだ外で吹く風は冷たく、春の訪れが待ち遠しかった。

 暖炉に火をともし、それでも肌寒い応接間でマリユスはソンメルソと客人のやりとりを見守っていた。この日訪れた客人は、少し前に香水の制作を依頼したジジという男だ。前回作った香水を使い切ったので、同じ物をまた注文したいという事でソンメルソが招いたのだ。


「ところで、あの香水は効果がありましたかな?」

「ううん、よくわからないのだが、なんとなく効いていたような気がしなくも無い」

「そうですか、それはなにより」


 そう話しながら、ジジは持参した革の鞄を開ける。すると以前と同じように、甘く気怠い香りが立った。この鞄の中に収められた香油を調合するので、飲み物の紅茶の用意はまだしていない。調合した香水の香りを確認し、細かく調整するときに、紅茶の匂いが邪魔をすると困ってしまうと言うことなので、調香が終わってから紅茶を用意することにしたのだ。

 鞄の中に入っていた小箱を取りだし、更にその中から香油の入った小さな遮光瓶を四つ、空の物を一つ出す。空の瓶にさらに取り出した大きめの遮光瓶から油を注ぎ、続いて丁寧に香油を一滴ずつ加えていく。ジジはその出来を確かめてから、ソンメルソにも香りを聞かせる。


「これで仕上げてよろしいでしょうか?」

「そうだな、もう少し華やかには出来ないか?」

「でしたら、マジョラムを少々増やしましょうか」


 ソンメルソの要望に、ジジは遮光瓶からもう一滴、香油を足す。その香りをまた、ソンメルソに聞かせ、これで良いと言う事になったようだ。それを見たマリユスは、側に居るユリウスに紅茶の用意をするように言う。ユリウスは静かに部屋を出た。

 しっかりと蓋を閉め良く振った遮光瓶を、ジジがソンメルソに渡す。すると、ソンメルソが突然こう言った。


「これと同じ物をあとふたつ、作って貰っても良いか?」


 あとふたつもどうするのだろう。いくら気に入った香水だからと言っても、あまり沢山作ってしまうと、使い切る前に香りが変わってしまうのでは無いだろうか。そう心配するマリユスと同じ気持ちなのか、ジジがこう訊ねる。


「あとふたつ、でございますか。

お代さえいただけるのでしたら構いませんが、何故そんなに?」


 その問いに、ソンメルソは即答する。


「そこのふたりに持たせる」


 それを聞いて、ジジがマリユスの方を見る。しかし、ユリウスは今丁度、紅茶の準備をしに行ってしまってこの場には居ない。


「申し訳ありません、ユリウスは只今お茶の準備をしております。

ところでソンメルソ様、何故僕達に香水を?」


 マリユス達は、使用人だ。そうそう香水を使う機会は無いし、使って良い物かどうかも疑問だ。それに何より、主からその様な物を賜るのは畏れ多かった。

 それに対して、ソンメルソはこう答える。


「客人が来たときにお前達も着けていた方が良いかと思ってな。ただ、違う香りだと俺が着ける物と匂いが喧嘩しかねないから、同じ物だ」

「なるほど、そう言う事なのですか。それでしたらありがたく」


 本当に良いのだろうかという気持ちはまだ有るけれども、無理に断って主の面子を傷つけるわけにも行かない。マリユスは深く頭を下げ、感謝の意を示す。

 そうしてからジジは先程と同じ香水をふたつ作り、また良く振ってソンメルソに手渡す。そこで、紅茶の用意をしたユリウスが戻ってきた。


「紅茶をお持ち致しました」

「ああ、ありがとう」


 ユリウスが紅茶を注いだティーカップをソーサーに乗せ、それをマリユスがテーブルの上に並べる。勿論、カップに描かれたアーモンドの花が手前に来るように気を払ってだ。

 紅茶と、お茶請けが用意され、ソンメルソとジジでまた閑談している。その中で、ソンメルソがこう訊ねた。


「ところでジジは、どこでこう言った調香を覚えたんだ? やはりそう言った家系なのか?」


 その問いに、ジジはにやりと笑って答える。


「実はですね、私の知り合いで香油に詳しいやつが居て、そいつからいろはを教わったんですよ」

「そうなのか?」

「ええ。香油の香りは、病を避けるのにも役立つって言ってね、教えてくれたんです」


 病を避ける。例えば、一体どの様な病を避けることが出来るのだろう。不思議そうにジジの言葉を聞くマリユスの様子に気づいたのか、ソンメルソが更にこう訊ねた。


「一体どうやって香油で病を避けるんだ?

どんなものを避けるのかも気になるが」


 するとジジは冗談めかして言う。


「私の知り合い曰く、石鹸で身を清め、香油を纏うと黒死病ですらかからずに済むと言う事ですよ」

「黒死病が?」


 マリユスの口から、思わず言葉が漏れた。どうやって感染するのか、それが謎のままである黒死病、それを避ける手立てがあったというのは、初耳だった。


「え? だって、黒死病ってどうやって広がってるのかわかんないんですよね? それがどうして、そうすれば防げるんですか?」


 ユリウスも目を丸くしてそう言う。ソンメルソも何も言ってはいないが、驚いているのだろう。予想外のことを言われたと言った様子の三人に、ジジはこう言う。


「私が思うにねぇ、黒死病はネズミが運んでるんじゃ無いかって思うんですよ」

「ネズミが? 何故そう思う?」


 納得いかないと言った様子のソンメルソに、ジジはにやりと笑って説明をする。


「私はですね、実は動物が好きでして、それに関する書物を結構読んでいるんですよ。

その中で、ここ数百年の間でこの辺り近隣の国々に渡ってきた、異国のネズミが居るんです」

「そのネズミが黒死病を運んできたと、そう言いたいのか?」

「私はそう思っています。

大きなネズミなのですけれど、それが目撃され始めた時期と黒死病が流行り始めた時期、このふたつがほぼ重なるんですよ」


 それを聞き、ソンメルソは少し考えてからこう言う。


「つまり、石鹸で身を清めて香油を纏えば、黒死病を媒介するネズミが寄ってこなくなると、そう言う事か?」

「そう言う事でございます。ネズミは香油を嫌いますから」


 ふたりのやりとりを、ユリウスは感心したような納得した様な顔で聞いているけれども、マリユスは何か引っかかる物を感じた。ジジが言っているような、黒死病を媒介する大きなネズミ。そう言った動物は少なくともこの周辺では見掛けることは無い。もしかしたら、家屋に隠れて見えないのかも知れないが、それにしても、だ。けれども、情報の重なりは気になるところだ。

 もしかしたら、これはマルコとタリエシン神父に伝えた方が良いのかも知れない。マリユスはなんとなくそう思った。

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