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第二十五章 香りを操る者

 海に出たキャラベル船を迎える準備をそろそろ考え始めないとならない頃、吹く風は肌寒く、何とも無しに心細さを感じさせる。そんな日であるからか、仕事の休憩中にソンメルソが不機嫌そうにしているのを、マリユスは心配そうに見ていた。


「あの、どうなさいました?

もしかして、用意した書類にミスがありましたでしょうか?」


 恐る恐るマリユスが訊ねると、ソンメルソは一枚の手紙を出して苛立った様子でこう言う。


「ルクス様から香水が届いてな」

「香水、でございますか?」


 香水は原料となる香油が高価な物が多く、貴族からしても貴重な物だ。それを贈られて何故不機嫌になるのだろう。不思議に思ったマリユスは、もしやと思いソンメルソに訊ねる。


「もしかして、香りがお気に召さなかったのでしょうか?」


 するとソンメルソは頭を振って返す。


「香り自体は悪くないんだ。ただ、添えられた手紙がな」

「はぁ」


 一体どう言う手紙だったのだろう。もし差し支えなければ教えてくれないかとマリユスが言うと、ソンメルソはざっくりと概要を纏めて言う。


「この香水を着けて、ふたりで食事でもどうかとあって、それが気に入らない」

「そうなのですか」


 なぜそれが気に入らないのかもマリユスにはわからないが、とにかくソンメルソはそれが気に入らないようだ。

 ふと、ソンメルソがマリユスに訊ねる。


「ところで、お前は誰か腕の良い調香師を知らないか?」

「調香師でございますか?

いつも香油の原料をお買い上げいただいてる方が居るので、その方くらいしか僕は知らないのですが……」

「ならば、その人に訊くことは出来るか? なんなら腕が良いのであればその人本人でも構わない」


 突然調香師などと言われてマリユスは戸惑いを隠せないが、すぐさまに思い至る。なんだかんだで不満そうではあるが、きっとルクスにお返しの香水を贈りたいのだろうと。


「かしこまりました、問い合わせてみます。

少々お時間いただくことになると思いますが、よろしいですか?」

「それは構わないが、早ければ早いほど良い」

「承知いたしました」


 こんなに急かすなんて珍しいことだ。そう思いながら、マリユスは調香師に手紙を書くために、一旦ソンメルソの部屋から下がった。


 それから二日後、館にひとりの男がやって来た。大きな革の鞄を持ち、上等な服を着ているのに、どこか胡散臭さのある、得体の知れない人物。その雰囲気は、肩より下まで伸ばした臙脂色の巻き毛が、先に行くにつれ空色になっているその見た目故なのだろうか。

 玄関の前で待っていたマリユスは、彼に一礼をして声を掛ける。


「ようこそいらっしゃいました。調香師のジジさんでよろしいですか?」


 その挨拶に、彼はぺこりと頭を下げて答える。


「さようでございます。私が、本日お招きいただいた調香師のジジでございます」

「それでは、早速中へご案内致します」


 マリユスは玄関を開け、ジジを中へと招き入れる。応接間へと案内する途中、館の内装に興味を持つことも無く、ジジは黙り込んだままだった。その様子に、彼はこう言った館に招かれるのに慣れているのだろうと、マリユスは思う。

 応接間に着き扉を開けてジジを中に通すと、ジジはすぐさまに礼をして中に居るソンメルソに挨拶をした。すると、そのままソファに座るよう勧められたので音を立てずに座った。マリユスは、既に部屋の中で紅茶の用意をしていたユリウスからティーカップとソーサーを受け取り、ソンメルソとジジの前にセッティングする。それから、アーモンドの花が描かれているカップに紅茶を注いだ。


「今回の用件だが」


 ソンメルソが口を開き、小さな遮光瓶をテーブルの上に置く。


「まずはこれを嗅いでみて欲しい」


 それは、先日ルクスから贈られてきたという香水だった。ジジは、それでは失礼して。と小瓶を手に取り、蓋を開け、蓋の方から香りを聞いている。それから、にやりと笑ってこう言った。


「おやおや、これは随分と良く出来た媚薬ですね。トップのフェンネルとミドルの乳香で気づきにくいですが、ガルバナムにクラリセージ、カーネーションと、ベースには麝香まで入っている」

「やはりか……」

「こんな香りを纏っていたら、どんな女性も放って置いてはくれないでしょうな。いや、場合によっては女性に限らないかも知れませんが」


 ジジの話を聞いて、マリユスはふと疑問に思う。この香水を贈ってきたルクスは、この香水を着けてふたりで食事をしないか。と手紙に書いていたはず。この香水がジジの言うとおり媚薬だとするのならば、なぜそれを着けてふたりで? どう言うことなのかがわからない。

 マリユスの疑問も余所に、ソンメルソはジジにこう言う。


「お前にはこれとは逆の効果がある香水を作って貰いたい。出来るか?」


 持っていた香水瓶の蓋を閉め、ジジはにこりと笑って答える。


「もちろん出来ますとも。これよりも更にシンプルに、出来の良い物が」

「なるほど。ではよろしく頼む」

「かしこまりました。では、早速失礼して」


 自信たっぷりに、ジジは持って来た革張りの鞄をテーブルの上に置き、蓋を開いた。するとマリユスとユリウスが立っているところまで花と草の気怠げだけれども瑞々しい香りが漂ってきた。鞄の中には箱がいくつも入っていて、更にその中に小さな遮光瓶が沢山入っている。

 ジジが鞄の中から大きな遮光瓶を一つ、小さな遮光瓶を四つ出している様を見ながら、ユリウスがマリユスに耳打ちをする。


「なんかすごく良い匂いだけど、区別付くのかなぁ」

「うん、不思議な感じはするけど、区別付かなかったら調香師は務まらないよね」


 取り出した瓶の説明をしながら、ジジは瓶の蓋でソンメルソに香りを聞かせている。その間に、小さな空の瓶を取り出して、大きな瓶から液体を注いでいる。その中に、小さな瓶から数滴ずつ何かを入れている。きっとあれが香油なのだろう。

 ふと、ソンメルソがマリユス達の方を見る。


「なんだ、ユリウスはそんな不思議そうな顔をしてどうしたんだ?」


 何が起こっているのかわからないと言った様子のユリウスは、その問いに素直に答える。


「その瓶って、香油なんですよね? どれがなにでどうなるんですか?」


 それを聞いて、ソンメルソもそう言えばと言った顔をする。


「ジジ、良かったら香油の説明をしてくれないか?」


 声を掛けられたジジは、香油の入った瓶を一旦机の上に置き、ひとつずつ指さしながら説明をする。


「今回香水のブレンドに使うのは、マジョラム、ジュニパー、オークモスのみっつがメインです。マジョラムにはその気を無くさせる作用が、ジュニパーとオークモスには気持ちを落ち着かせる効果があります」

「へー、匂いにもそう言う効果みたいなのあるんですね」


 ユリウスが納得した様にそう言うと、ジジがマリユスとユリウスに手招きをするので、ふたりはテーブルの側に行く。それから、ジジは、自分以外の三人に、ブレンドした香水を聞かせて見せる。


「三種類だけだと、少しシンプルな感じの香りになるんですね」


 マリユスがそう素直に感想を述べると、ジジはにっと笑ってひとつの遮光瓶を手に取る。


「皆さん、これだけだと物足りないと思うでしょう? ですけれどもね、こいつを足してやると、化けるんですよ」


 そう言ってジジは香水の中にぽとりと一滴、透明な油を足した。それをまた、他の三人に聞かせる。改めて香りを嗅いでマリユスは驚いた。たった一滴足しただけなのに、先程よりも複雑さが増し、味わい深い香りへと変容したのだ。ソンメルソもそれに驚いたようで、ジジにこう言う。


「今足した香油は何なんだ? そんなに香りが良い物なのか?」


 興味深そうにするソンメルソに、ジジは先程の香油の蓋を渡し、香りを嗅がせた。すると、ソンメルソは不思議そうな顔をして何度も鼻を近づける。


「んん……? 余りというか、全然と言っていいほど香りがしないな」


 他の人なら香りがわかるかと思ったのだろう、マリユスとユリウスもその香りを嗅いだが、やはりぱっとするような感じはしなかった。三人の様子を見て、ジジは愉快そうな顔をして言う。


「これは私秘蔵の奇跡の一滴ですからね、これ以上の種明かしは出来ません」


 それから、香油と香水の瓶の蓋をきつく閉め、香水の瓶だけを良く振ってソンメルソに渡す。


「こちらがご要望の香水でございます。三日ほど寝かせてからご利用になれば、下心を持った輩もそんな物を忘れてしまうでしょう」


 香油の瓶を片付けるジジに、ユリウスが言う。


「なんか、魔法みたいだなぁ」


 それを聞いてマリユスは顔を青くする。魔女狩りが行われているこのご時世で、迂闊に魔法が使えるなどと言うのは、命に関わるのだ。しかしジジは楽しそうに含み笑いをしてこう答える。


「これはね、魔法じゃなくて化学だよ」

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