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第二十三章 その肖像

 日中は暑くとも夜になると涼しい風が吹くようになった頃。その日は日曜日では無かったが、ソンメルソが仕事を休みにして他のことをしていた。かと言って、マリユスも暇を貰えているかというとそうでは無い。昼時少し前から、陽の光がよく入る部屋でそれは行われていた。

 明るい場所に置かれた倚子にソンメルソが座り、少し離れた正面には、イーゼルの上にキャンバスが置かれている。キャンバスに向かっているのは、肖像画を書くことを生業としている画家だ。ラベンダー色の髪を短く纏め、こざっぱりとした服を着る彼はまだ若い。ぢっと対象とキャンバスを見つめる瞳からは、情熱が感じ取れた。

 画家が描いているのはもちろん肖像画な訳なのだが、なぜその状況でマリユスに仕事があるのか。はじめ、付き添うだけで特に自分がやる事は無いだろうとマリユスは思っていた。だけれども現状としてマリユスはソンメルソの斜め前にかがみ込み、白い布が張られた板を持ち、それが柔らかく反射する光をソンメルソに当てる役割を任されていた。

 確かに、こうするととても明るい。この画家が描く肖像画はどれも顔色が良く鮮やかだという評判は聞いていたけれども、このように当てる光を増やして明るくしていたのかと、マリユスはしみじみと納得する。

 しかしこの時期、明るいのは良いことばかりでは無い。モデルとして身動きひとつ取っていないソンメルソの額には、じっとりと汗が滲んでいる。きっと、光と一緒に熱も白い板で反射されて、他の場所よりも暑いのだろう。動かないながらもぼんやりとした目をするソンメルソを見て、マリユスが画家に声を掛ける。


「作業中に失礼します。そろそろお疲れでしょうし、一旦休憩を入れてはどうでしょうか?」


 その声かけに、画家はキャンバスから視線を外し、マリユスとソンメルソを見比べる。マリユスも若干汗をかいてはいるが、ソンメルソはそれと比べて量が多く、心なしか頬も火照っている。画家は筆を置き手の甲で自らの額を拭い、にこりと笑って返事を返した。


「そうですね、そろそろ休憩にいたしましょうか。ソンメルソ様もお疲れのようなので」


 画家が立ち上がるのを確認し、マリユスも持っていた板をソンメルソが座っている椅子に立てかける。それから、ソンメルソの手を取って立ち上がらせ、日陰になっている場所へと移動した。

 日陰になっている場所に置かれたソファとテーブル。それらは普段もっと部屋の中央寄りに置かれている物だけれども、今日は肖像画を描くという事で移動させておいたのだ。

 ソンメルソがソファに座り、画家に声を掛ける。


「トマも疲れただろう。かけて休んでくれ」

「ありがとうございます。では失礼して」


 にこりと笑ってその画家、トマもソファに腰掛ける。それを確認したところで、ユリウスに紅茶を準備させようとベルに手を伸ばすと、ソンメルソが気怠げな声でこう言った。


「出来れば冷たいものが飲みたいのだが、それは難しいだろうか」

「冷たいものでございますか?」


 冷たいもの。そうは言われても、この時期に氷は手に入らない。かと言って、井戸から汲んできただけの水を出すわけにもいかない。どうしたものかと悩みながら、取り敢えずユリウスと相談しようと決める。


「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 ベルで呼び出したユリウスと共に、マリユスは厨房へと向かう。


「そんな事だろうと思って、紅茶淹れて冷ましてあったんだよね」

「そう言うところは気が利いてくれてとても助かるよ」


 厨房に入ると、紅茶で満たされた瓶が、水の張られたボウルに入って置かれていた。しかし、その瓶に触ってユリウスは難しい顔をする。


「んー、なんか思ったほど冷えてないなぁ」

「やっぱり、井戸水に浸けただけだとそんなに温度下がらないのかな?」

「そうだね、水も温くなっちゃってる」


 それでも熱い物を持って行くよりはましかとマリユスが瓶を手に取ると、ユリウスが思いついたようにこう言った。


「そう言えば今、井戸でネクタリン冷やしてるみたいなんだよね。それ入れてみる?」


 突然の提案に、マリユスは驚きを隠せない。


「えっ? ネクタリンを紅茶に? でも、今冷やしてるって事は夕食で使うんじゃないのかな」


 厨房の方で用意して居る食材は、その日立てた計画通りに料理を作るためのものだ。なので、その計画が狂うようなことがあってはいけないとマリユスは思ったのだが、ユリウスはあっけからんとこう言う。


「まぁ、料理長に訊いてみるよ。ちょっと待っててね」

「ええええ……」


 なんの迷いも無く料理長の所へ行くユリウスを見て、いくら主お気に入りの給仕と言えども、料理長にそんな事を言ってしまって良いのか。そんな不安な気持ちになったけれども、特に怒られる様子も無くユリウスは戻ってきた。


「一個分けてくれるって。それじゃあ、ティーカップに入れて持って行こうか」

「料理長が話のわかる人でよかった……」


 無事に切り分けられたネクタリンを手に入れたふたりは、ネクタリンの入ったティーカップ、デザートフォーク、それらを乗せたソーサーと、瓶に入った紅茶をワゴンに乗せて、ソンメルソ達の待つ部屋へと向かった。


「まさか本当に冷えた飲み物を持ってくるとは思わなかった」


 そう言って、ネクタリン入りの紅茶に口を付けるソンメルソ。冷たいお茶を飲んで一息つけたのか、顔の火照りが若干引いたように見える。向かい側に座って居るトマも、お茶を飲んで驚いたような顔をする。


「美味しいですね! 暖かいフルーツティーはご馳走になった事ありますけど、冷たいのは初めてです」

「お気に召したようで光栄です」


 嬉しそうにするトマを見て、マリユスもつい笑顔になる。それから、暫くの間お茶を楽しむふたりを見守る。ソンメルソが、フォークでネクタリンを刺しながらトマに言う。


「ところで、お前を俺の友人に紹介したいのだが、良いかな?」


 それに対し、トマはにこにこと答える。


「もちろんですとも。

けれどもなぜ?」

「先程途中経過を見せて貰っただろう。それで、随分と上手く描くものだなと思って」

「なるほど、ありがとうございます」


 まだ完成した物を見ていないのにそこまで気に入るだなんて。トマが描いている絵は一体どんな状態なのか。マリユスはちらりとキャンバスに目をやった。

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