第二章 使用人の弟
仕事も一通り終わったある日の晩、マリユスは館の中の自室に、一人の男性を招いていた。短くまとめたふわふわの白い髪には、光が当たる角度によって様々な色が浮かんでいるその男性。まるでオパルのような珍しい髪色と、童顔ながらも整った容姿、仕事をそつなくこなせる能力、それら故に、この館に訪れた客人などをもてなす役割を与えられている人物だ。
「お兄ちゃん、早くお酒飲もうー。
おつまみにおいしいチーズ買ってきたんでしょ?」
お兄ちゃん、と彼が言っているように、彼はマリユスの弟だ。普段は眠たげにしている瞳を輝かせ、しかし大人しく椅子に座って居る。
「ふふっ、ユリウスは食いしん坊だね。
白カビのチーズも切ったし、ワインも開けようか」
「わーい」
ワイン瓶を手に持ちコルク栓を抜いているマリユスを見ながら、ユリウスは待ちきれないと言った様子だ。
ぽんっ。と音を立てて栓が抜けてすぐ、マリユスは二つのグラスに半分ほどずつワインを注ぐ。葡萄と言うよりは柘榴石を思わせる赤い液体。ユリウスはグラスを片手に持ち、揺らして中に入っているワインをころころと回してから香りを嗅いだ。
「んー、結構渋い感じ? 樫の木みたいな感じする。あ、でも、ネロリっぽい感じもするし、うーん」
弟の言葉を聞きながら、マリユスも同じようにして香りを聞く。確かに、一言では言い表せない複雑な香りがする。
取り敢えず、とふたりはグラスを軽く持ち上げてから口を付けた。芳しい錆色の液体を口に含むと、渋味と辛味、それ以外にも様々な味が混じり合って、重い口当たりだ。
「なかなか良い感じに仕上がってるかな?」
マリユスがそう呟くと、ユリウスがふわふわの衣を纏ったチーズを囓りながら言う。
「僕やお兄ちゃんって言うか、飲み慣れてる人ならこれで良いだろうけど、これ輸出用のサンプルでしょ?
飲み慣れない人が飲むにはちょいきつい感じがするけどね」
「それはそうなんだけど、この辺で作られてるワインは重いのが多いからなぁ」
チーズをワインで流し込んでいるユリウスにそう言いはするけれども、ワインを飲み慣れていない取引相手向けに、軽い口当たりのワインも取り扱っているのをマリユスは知っている。ユリウスが言ったようなことを以前ソンメルソに進言したところ、他の地方や近隣諸国からも輸出用のワインを手配し、遠く海の向こうへと送り出せるようにしたのだ。
もちろん、この街の近郊で作られている重いワインも輸出はしている。ワインを飲み慣れた各地の移民や、船に乗せないまでも、近くの国とも少数ながら取引をしているからだ。
取り敢えず、と、マリユスはまたグラスに口を付ける。今夜の酒はサンプルの確認というのはあるけれど、普段忙しい兄弟が落ち着いて飲める貴重な時間だ。宝石のような重みを舌で感じ、楽しもう。
ふと、テーブルの上に乗せていたチーズを見ると一切れだけしか残っていない。
「ねぇユリウス。チーズ八個有った筈なんだけど?」
その言葉に、ユリウスは悪ぶれる様子もなくにっこりと笑って返す。
「うん、おいしいチーズだったね。ひとかけ残しておいたよ」
「いや、うん、残し方の配分がおかしいって言いたかったんだけどな……」
自分も白カビのチーズを楽しみにしていたので多少気落ちはしたけれども、本当に自重していないのであればユリウスは全部食べていただろうというのがわかるので、諦めて最後の一個をつまんで口に入れる。柔らかい白カビと、少し固い皮、とろりと溶けて濃厚な味がする中身。実にバランスが良い、ワインにぴったりなチーズだ。もう少し食べたかったな。そう思っても時既に遅いわけで。
それでも、チーズを食べて、ワインを楽しんでいるユリウスを見ると、これはこれで良いかと言う気分になってくる。
「ユリウス、おいしい?」
「ワインもおいしいよ。
こんなおいしいワインを飲めるのは役得だねぇ」
役得と言っても、ユリウス自身がどうというわけではなく、兄であるマリユスが輸出品のチェックがてら飲む機会があるだけなのだが、実際ユリウスにも試飲を頼むと有益なことを言う事が多いので分けているというのはある。本来ならこれも仕事の一環なのだろうけれど、味の正確な評価が出てくるのなら、弟に飲ませても構わないとソンメルソから言われているので、その言葉に甘えさせて貰っている。
けれども、弟が喜ぶからワインをわけているというのもあるとソンメルソが知ったらどうなるだろうと偶に思う。
「まぁ、結果良ければ全て良し。かな?」
「ん? なにが?」
「なんでもないよ」
つい零れた言葉に、マリユスは思わず笑みを零した。