第十五章 サーカス
クリスマスも近くなった寒いある日。その日マリユスはユリウスと共に暇を貰って街の外れに来ていた。街の外れに何が有るのかというと、各地を旅しているサーカス団が来ているのだ。
黄色と赤で彩られた大きなテント。尖った屋根のてっぺんには、細長い三角形の旗が揺れている。沢山の人がテントの中へと入っていく。それを見て、ユリウスが楽しそうな顔をして言った。
「こんなおっきいテント立てるんだ。すごいね」
今日サーカスを観に来たいと言い出したのは、ユリウスの方だった。なんでも、食料の買い出しに行っている他の使用人から、サーカスが来ているという噂を聞いたのだという。
サーカスを見に来るのは、ユリウスだけでなくマリユスも初めてだ。楽しみな気持ちを胸に抱えて、テントの入り口に向かう。そこには二股に尖った赤い帽子を被り、だいぶだぶついた派手な衣装を着ている男性が立っている。どうやらその人に入場料を払って入るらしい。
「いらっしゃいませ。料金さえ払って戴ければ、あなたは我々の愛しいお客様でございます」
どこかおどけた口調でそう言う男性に、ふたりはそれぞれに料金を支払う。すると、男性はにっこりと笑って硬貨を首から下げた袋に入れ、入り口にかかった布を捲り、マリユス達を中へと通した。
テントの中に入ると、背の低いすり鉢状の座席が、円形の舞台の周りに広がっていた。空いている席はだいぶ少なくなっていたので、前から三列目にふたつ空いていた席を何とか見つけ出し、マリユスとユリウスで隣り合って座る。それからしばらく待って、座席が全て埋まるか埋まらないかと言った頃に、先程入り口で入場料を集めていた男性が、松明で照らされたステージの中心に立った。
「さてさて皆様、本日はおいで下さりまことにありがとうございます。
このテントの中は夢の中。暫し日常を忘れてお楽しみ下さい」
そう言った男性が後ろに下がると、舞台の外側から華やかな衣装を着た女性が数人やって来て、客席の更に後ろに控えている楽団の伴奏に合わせて踊り始めた。その踊りは普段マリユスが見慣れているダンスホールのワルツとは違い、オペラの時に見掛けるバレエとも違う物だった。
踊り子達が踊っている背後では、舞台にふたつ据えられた高い台と台の間に、ロープをかけている。舞台を横切るように張られたあのロープは何だろう。そう思っている間にも踊り子の踊りは終わり、楽団は別の曲を演奏し始める。
曲が始まって暫く。高い台の上に先程の男性が登り、身長よりも長い棒を水平に持って、ロープに足をかけた。まさか、とマリユスは思う。あんなに高いところにかけられた、あんなに細いロープ。その上を歩こうと言うのだろうか。期待か不安か、どちらかわからない動悸を感じながらじっと見ていると、男性は苦も無くロープの上を歩いて行く。時折向きを変え、後ろに下がり、観客に手を振ったりしながら、彼は反対側の台まで歩ききった。
音楽をかき消すほどの歓声と拍手。マリユスはその空間にただ圧倒されることしか出来なかった。ふと、ユリウスの方を見ると、両手で耳を塞いだまま、目を見開いて頬を紅潮させていた。
その後も、踊り子達のダンスを挟みながら、人と動物の曲芸がいくつも繰り広げられた。もしかしたら、猛獣と言われている物も居たのかも知れない。夢も現もわからないままに時は過ぎ、公演が終わる。観客がそれぞれに席を立ち外へ出る中、マリユスもぼんやりとしたまま外に足を向ける。
ふと、ユリウスが袖を引っ張った。何かと思い振り返ると、興奮した様子でこう言った。
「僕、楽屋裏行きたい!」
「楽屋裏? 良いけど、団員さん達が入れてくれるかなぁ」
「良いなら行こう! ね、お兄ちゃん!」
まさかこんなにサーカスが気に入るとは思わなかった。そう思いながら、マリユスはユリウスの手を引いて楽屋裏へと向かった。
楽屋裏の入り口で声を掛けると、入場の時に居たあの男性が出迎えてくれた。
「おやおや。こんな所に来るほど気に入りました?」
にこにことふたりを迎えた男性は、中には入れられないけれど。と前置きをした上で話をしてくれると言う。
「どんな話が聞きたいです?」
すると、ユリウスが大げさな身振りで答える。
「あの、高いところのロープを渡るあれ、なにか仕掛けがあるんですか?」
すると、男性はにやっと笑う。
「仕掛けがあったらやってみたいのかな?」
「やってみたい!」
興奮気味になっているユリウスに、男性は首を振る。
「残念ながら、あれは仕掛けなんてないんだ。何度も痛い思いをして練習するんだよ」
その言葉に、ユリウスはぽかんとした後顔を青くする。マリユスも、仕掛けがないと知って驚きを隠せない。
「あんな所から落ちちゃったら、どうなるんですか?」
おろおろしながらユリウスがそう訊ねると、男性は笑ったまま答える。
「怪我をするか、最悪死んじゃうね」
「ですよね? なのになんであんな事するんですか?」
ユリウスはどうにも理解出来ないと言った様子だ。
「オレ達みたいな曲芸師はね、そうしないと食っていけないんだよ」
男性がにたりと笑い、そう答える。その表情に、マリユスはぞっとした。
ふと、楽屋の奥から踊り子がひとり来て、男性の耳元で何か囁いている。それを聞いて彼は一瞬笑顔を消したが、すぐに得体の知れない笑みを浮かべてマリユス達にこう言った。
「さてさて、残念だけど、オレ達はそろそろ他の街に行かなきゃいけないみたいだ。
これから準備があるから、お話はここまでかな」
「そうですね、お話をさせていただきありがとうございます」
得体の知れない彼から速く逃げたい。そうマリユスは後ずさるが、ユリウスは残念そうな声で男性に言う。
「どっか行っちゃうのは残念ですけど、良かったらお名前教えてくれませんか?」
男性は一瞬驚いた顔をして、帽子を脱ぎ、頭を下げてこう言った。
「オレの名前はブッシュ。特に覚えていなくても良いですよ」
帽子の下から出て来たグレーの髪は、軽くカールがかかってふわふわしている。そして、時折光を照り返しては青く光った。その様が一瞬ユリウスに似ていると思ったけれども、不気味さは拭えない。
ブッシュは帽子を被り直し続けて言う。
「もしあなた達がこの街から逃げたいときは、協力しますよ」
「逃げたいとき、ですか?」
一体何の話だろう。マリユスにはこの街から出て行くなどと言うのは想像出来なかったし、そんな事をする必要も無い。
不思議に思っているうちにもブッシュは楽屋裏に入っていく。これ以上ここに居ても迷惑なだけだろうと、名残惜しそうなユリウスを連れてその場を後にした。
その翌日、ある噂が耳に入った。魔女がひとり、逮捕されたというのだ。これはあまり気持ちの良い噂ではない。魔女の取り調べにはおぞましい拷問が付きものだし、ほぼ確実に処刑されることが決まっているような物だからだ。
ふと、マリユスは思う。もし捕まった魔女がブッシュの元に行けたのなら、この街から逃げられたのだろうか。
しかしそんな事は考えるだけ無駄で、早く忘れようと頭を振った。




