第十三章 いつも一緒
貿易のために海に出ていた船が帰って来た頃、忙しい日々の合間を縫って、マリユスはユリウスを連れて仕立て屋へと足を運んでいた。目的は、少し前に発注していた冬服の試着。いつものことながら速やかに仕事を進めている事に驚きながら、マリユスは試着の準備が出来るのを待っていた。
仕立て屋の応接室でふたりをもてなしてくれているのは、この店を営んでいる兄弟の末弟、アルフォンスだ。
「今、カミーユ兄ちゃんが準備してるので少し待っていて下さいね」
そう言って、アルフォンスは木の器に盛られたパウンドケーキをテーブルの上に乗せる。それから、こう訊ねた。
「そう言えば、今朝牛乳を買ったんですけど、良かったらいかがですか?」
「牛乳かぁ。いただいて良いのだったら、お願いします」
アルフォンスの言葉に、喉が渇いていることを思い出したマリユスはそう言う。ユリウスも、持っていた鞄から焼き物のカップを出してアルフォンスに差し出す。
「わーい、ありがとう。僕のはこのカップね」
「かしこまりました。ユリウス様はいつもカップを持参してくれるので助かります」
カップを受け取ったアルフォンスはにこりと笑って、部屋を出て行った。それを見送ったユリウスは、早速パウンドケーキに手を着けている。マリユスはくすりと笑って、ユリウスに言う。
「食べたいのはわかるけど、ひとりで全部食べちゃダメだよ?」
「ん? お兄ちゃんも食べたい?」
「多少はね?」
こうやって食べ物を出されたとき、油断すると全部食べてしまうのは、ユリウスがこういう性格なだけなのか、自分の教育不足のせいなのかと、マリユスは時々悩むことがある。教育不足なのであるなら、改めて言い聞かせないと。そう思いながらこめかみを人差し指で押していると、アルフォンスがカップをふたつ持って戻ってきた。
「お待たせしました。こちらがマリユス様の分で、こちらがユリウス様の分です」
「ああ、ありがとう」
「わーい、ありがと」
ふたりはアルフォンスから各々カップを受け取り、牛乳に口を付ける。濃厚な甘い香りが口に広がり、舌に纏わり付く。
飲み物が来たことだしと、マリユスがパウンドケーキに手を伸ばしたその時、応接間の扉が開いてカミーユが声を掛けてきた。
「マリユス様、ご試着の準備が整いましたので、試着室までおいで下さい」
「ああ、今行くよ」
このままだとパウンドケーキは食べられないなと思ったけれども、素直に試着室へと向かった。
試着室で、仮縫いされた服を着る。今回注文しているのはシャツとキュロット、それにベストとジャケットだ。フルセットで試着してフィット感や皺のできかたをチェックするのだが、カミーユが作る服はいつも仮縫いの段階で動きやすく、かつ無駄な皺が出来ない、完成度の高さがあった。
相変わらず良い仕事をするなと感心していると、カミーユは手元のノートに色々と書き込みをしている。
「いかがですか?」
「ああ、動きやすいし、とても良いね。
後ろから見てどうかな?」
「特に皺はできていませんね。
このまま本縫いに入ってもよろしいですか?」
「そうだね、このまま頼むよ」
脱いだ服をカミーユが受け取り、マリユスはすぐに自分の服を着る。次にユリウスの試着があるので、カミーユと一緒に応接間へと戻った。
ユリウスが試着している間、マリユスは応接間で先程の牛乳を飲んでいた。側にはアルフォンスが立って控えている。
「ところでアルフォンス君、このパウンドケーキは買ってきたのかい?」
ユリウスは気を利かせたつもりなのだろう、一切れだけ残っていたパウンドケーキを食べながら、マリユスが訊ねる。アルフォンスは、少し心配そうな顔をしてこう答えた。
「俺が焼いたんですけど、お口に合いませんか?」
「なるほど、君が焼いたのか」
パウンドケーキはしっかりとした焼き上がりで、しっとりしている。それでいて口の中でほろりとほどける食感だ。
「とても美味しいよ。
ユリウスが随分と気に入ったようだけれど」
マリユスがにこりと笑ってそう言うと、アルフォンスは照れたように笑う。
「えっと、それじゃあ、もう一切れずつお包みしましょうか?」
「良いのかい? それだと、君たちが食べる分が無くなってしまいそうだけれど」
「取り敢えず、兄ちゃん達の分があれば良いかなって」
「なるほど」
おそらく、残りは四切れなのだろう。折角の美味しいお菓子なのだからもう少し食べたい気はするけれども、作った本人の分が無くなってしまうのは申し訳無い。
「そうだね、ユリウスはもうたっぷり食べたみたいだし、僕もこれで満足だから、残りは君たちで分けた方が良いんじゃないかな」
「そうですか? じゃあ、そうさせていただきます」
そんな話をして居たら、ユリウスも試着が終わったようだ。アルフォンスとカミーユに挨拶をして、ふたりは仕立て屋を後にした。
帰り道、ふたりで話しながら石畳の道を歩いていると、ユリウスが足を引っかけて転んでしまった。
「あっ、大丈夫?」
マリユスが屈んでそう訊ねると、ユリウスはいつも通りのぼーっとした顔で立ち上がる。
「特に服が擦り切れたとかそう言うのは無さそうだし、大丈夫大丈夫」
そう言って鞄を持った手を振ると、なにやら固い物がぶつかる音がした。
「あれ? 鞄の中にカップ以外の物入れてたっけ?」
マリユスがそう訊ねると、ユリウスは鞄の中を見て声を上げた。
「あー! 僕のカップが割れてる!」
大層ショックだったようで、目が潤んでいる。確かに、小さい頃からずっと使っているカップだし、思い入れもあるだろう。
「割れちゃったのは残念だけど、これじゃあ使えないから、新しいカップを買おうか」
視線を合わせてそう言うと、ユリウスは頭をぶんぶんと振ってこういう。
「やだ! 僕、このカップじゃなきゃやだ!」
「うーん、もっと良いの買ってあげるから」
「やだ!」
そうは言われても、割れたカップに水を注ぐことは出来ない。カップを買うのは後日にするにしても、取り敢えず宥めないと帰るまでが大変だなと、マリユスは思った。




