五章
あれから一週間が経った。
今日も楚乃は部屋から出てこない。
顔を合わせてくれないどころか携帯に電話してもメールをしても返事はない。
「楚乃―、起きてるか?飯ここに置いておくからな。ちゃんと食うんだぞ。俺は学校行くから……」
せめて部屋から出てきてくれとは言えなかった。
なんとなくそれは言ってはいけない気がしたのだ。
部屋から出てきてくれなくても飯は食べさせないといけないから楚乃ほど凝ったものは作れないがどうにか俺にも作れる簡単なものを作り部屋の前に置く、そんな毎日が続いていた。
家を出て学校に向かう。
楚乃の同級生である清梨柚葉が来た日に何かがあったのは事実だ。
もしかしたら清梨が来たことに気付いたのかもしれない。
あいつにとっては絶対に二度と会いたくないやつだろうし…
「おっはよー、洸弥くん!」
「なんだ、和泉か…」
「なんだとは何よお」
なんか前にもこんなやり取りしたな。
そんなどうでもいいことを考える。
楚乃のことは和泉には話していない。
過去のことも、現状もさえも。
話したら心配させてしまうのは明らかだったし、あまり楚乃の過去のことも俺が勝手に話すのはだめだと思ったからだ。
過去のことは楚乃が話したいと思ったら自分から話すだろう。
「将来のことは決まったかね?」
ニコニコしつつ和泉はからかうようにそう言う。
「決まったように見えるか?」
「やだなー、洸弥くんがこんなすぐに進路決められることがもしあったら、それはもう奇跡に近いね! ただの確認だよー。 もう考えるのが面倒ならとりあえず進学って書けばいいじゃん。どうせ受験まであと一年以上もあるのに。それにしても暑くなったねー。まだ五月なのに。」
「そうだな。」
相変わらずの話題を絞らず自分のその場の気分によって話題をころころ変えるマシンガントーク。
まあ、こんな話し方をするのは何の気兼ねもしなくていい俺と話すときくらいで普段はまともに話すようだが。
「あれ?どうしたのー?なんか最近元気なくない?やっぱり進路のこと?また栞奈ちゃん先生に怒られたの?」
和泉は不思議そうな顔をして俺の顔を近くから覗き込む。
「だ、大丈夫だ、なんでもねえよ!!」
何となく気恥ずかして慌てて顔をそらす。
幼いころから知っているせいで和泉を改めてきちんと女子だと認識することもなく、ただ仲のいい友達のように接しているとはいえ、ここまで顔を近づけられるとさすがに恥ずい……
「えー、そうかなー? あー、そうだ、今日夜ご飯食べに行ってもいい? 楚乃ちゃんには自分でいうから」
それは……
「…悪いけど今日はやめておいてくれるか?」
楚乃の様子からしてまだ誰かに会わせないほうがいいに決まってる。
「そんなこと言われても……もう楚乃ちゃんに確認のメール送っちゃったんだけど…」
「はやっ!?」
なんでこいつはのんびりしているように見えてこんなに思いついてからすぐに行動するのが早いんだ!
「何でダメなの?…って、あ…、返信来た。」
「な…っ!」
俺は声かけてもメール送っても反応しなかったというのに…
「楚乃ちゃんが来ていいって! やったね!」
な…なんだと……?
「え…、ちょ…ちょっとそのメール見せてもらっていいか!?」
「えー…どしたの? 急に慌てっちゃてさー。はい。」
差し出された携帯の画面を見る。
『もちろん大丈夫ですよ! たくさんお料理作って待っていますね♪』
こんなにあっさりと…
俺には返信もしてくれなかったってのに…
しかし…このメールを見る限りじゃいつもと同じように見える。
でも…
すごく胸騒ぎがする気がする…何でかは分からないけど…
「どうしたのー? 怖い顔しちゃってさー?」
「……なんでもない」
直接会ってみるしかない。
きっとまだ楚乃は過去に一人取り残されたままなのだから。
結局授業は何も身に入らなかった。
放課後のチャイムが鳴っても立ち上がる気力がなく机に突っ伏す。
分からないことが多すぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。
この後一週間ぶりに会うであろう楚乃香にどう接すればいいのか、清梨との協力関係 ……一週間前に何があったのか。
あの時の楚乃の泣き腫らした顔が頭から離れない。
「はあ…、どうするかな…。」
思わずため息が漏れる。
「何をなの?」
近くに誰かが来た気配がするが顔を上げる気力もなくそのまま答える。
「何って…ん?」
てっきり和泉が迎えに来たのかと思ったが声が明らかに違う。
顔を上げるとやはり違う女子生徒が俺を見下ろしていた。
御井野 由奈。
同じクラスの委員長で生徒会の副会長も務めている。
成績優秀な上に運動もできるという優等生。ツーサイドアップにした髪を三つ編みにしており、制服は気崩してはいなく胸元には生徒会役員の証であるバッジが輝いている。
「…御井野か。」
「どうしたのよ? 何かあった? 元気ないけど。」
「生徒会役員がこんなところで油売ってていいのか?」
わが校の生徒会はそこに在籍しているというだけでそれなりの優遇措置を受けられるがその仕事の多さはある意味有名だ。
「なんか傷つく!その言い方!あたしはちゃんと仕事しに来たのに!」
「仕事って…ここに?」
何で教室?
「この前の生徒会からのアンケートよ!あたしは生徒会としてだけじゃなくて委員長の仕事をしに来たの! 神野先生に言われて! 忙しいのに! アンケートうちのクラスで出してないの東雲君だけよ! 早く出してって朝も催促したじゃない! ちゃんと聞いてたの!?」
「あー…」
そういえばそんなことを言われたような…
ずっと考え事をしていたせいかろくに聞いていなかった。
「その顔! あなた絶対忘れてたわね!」
「わかった、わかった。出すからちょっと待て。」
「何でそんなに偉そうなのよ!?」
御井野の言葉は聞き流し、机の中に押し込んだ紙を引っ張り出し、適当に記入する。
「もー! 何で無視なの! そんなこと神様が知ったらあんた絶対罰が当たるわよ!」
「神様ぁ? いい年になって何言ってんだお前?」
「はあ? あんたこそほんと馬鹿ね! あの噂知らないの?」
「噂?」
御井野は鼻を鳴らし、ない胸を反らせた。
「いいわ、あんたがアンケート書き終わるまでの暇つぶしのついでに話したげる。」
「ほんと、お前いい性格してるよな…」
悪い意味で。
「何か言ったかしら?」
「いえ、なにも…」
一睨みされ押し黙る。
御井野は小さくため息をついた後ゆっくりと話し始めた。
「あくまであたしも最近聞いた話だから詳しくは知らないけど、この街に最近神様が住み着いたんだって。」
「住み着いた?」
ますます意味不明だ。
「ええ、神城神社って知ってる?」
「ああ、俺んちの近くにある小さな神社だな。」
「あら、そうなの? …で、そこで願い事をした人の願いを無作為に叶えるんだってさ。あー、きっとあれね、神様の気まぐれってやつ?」
「へー、全然知らなかったなそんな噂…」
「一か月くらい前から広まり出した噂だからね。それに女子を中心に広まってるから。ほら、男子ってそんなのあまり信じないでしょ?」
「まあそうかもな、でもお前が信じてるのも以外だけどな。お前そういう信憑性がない噂とか信じなさそうなのに。」
それを聞き御井野は顔を赤くして慌てた。
「た、たまたまよ! あたしの友達もかなえてもらったって子がいたからよ!」
「何で叶えてもらったってことが分かるんだ? 自分の力で叶ったなんてこともあるんじゃないか?」
そもそもそんな神に叶えてもらってなんて考えるほうが不自然だ。
周りの人間に話したら確実に頭は大丈夫かと思われるレベル。
「神様に願いを叶えてもらうと神様に代償を取られるのよ。その子はお参りに行ったときに自分の持って行ったお供え物が目の前で突然消えたんですって。それでその後絶対に叶わないはずの願いが叶った。他にも噂を聞く限りじゃこの学校に似たような経験をしたって子がいてただの偶然じゃないって話になったわけ。」
「へー、女子の願いだけ叶えまくるってとんだ変態かもな、その神様。」
「あんた本当に罰当たりね! …まあ、確かにその噂を聞きつけた男子の成功例はまだ聞いていないけど…」
話を聞きながらアンケート用紙の最後の項目を書き上げる。
「はい、終わりっと。じゃあ俺帰るな。俺はそんな噂興味ないし。」
アンケート用紙を御井野に渡し鞄をつかむ。
ついでに携帯を見ると和泉から先に俺の家に行っているという内容のメールが入っていた。
「はいはい、別にいいわよ、信じなくても。それと今度から遅れたらペナルティ課すから。」
顔が近い。だが怖い顔をしているせいでせっかく可愛い顔は台無しになっている。
「なんだよ、ちょっと遅れたくらいで。」
たった二日ほど遅れたくらいで。
「あんたのおかげあたしの貴重な時間が潰れたのよ! 教室から生徒会室まで遠いんだからね!」
「わかった、わかった、今度から遅れない、遅れない。」
そう言い教室を出る。
まだ御井野が何か言ってたが面倒だったので聞き流した。