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ヒロイン 2

 補助操縦席はFVMから切り離され、時計塔の広場上空に待機する。ついに美樹が、「ジファの世界」の人々へ、最初で最後のメッセージを送る時が訪れる。

 彼女は赤と黒をトーンにした服に身を包み、朱色の口紅を仄かに塗っている。それは「ジファの世界」での「正装」だった。

 美樹は映像を送るアイコンに触れる。

 美樹のメッセージは、時計塔の広場で争う人々に、そしてローズが全空域に設置したモニターを通じて、全ての人々に届くはずだ。

 美樹が静かに一つ息を吐くと、時計塔の広場のモニターに、彼女の姿が映し出される。瞬間、膠着状態にもあった軍とレジスタンスの争いの手が止まる。

 美樹、彼女の声、「月の声」は「機械声帯」の効果も相まって、透き通っている。彼女の胸には「デジファルファ」が抱きしめられている。胸に一度手をあてた美樹は、争う彼ら、軍とレジスタンス双方に優しく語りかける。


「まず内乱の最中に、あなたがたにとって、見ず知らずの一般人である私が、スピーチすることをお許しください」


 美樹の声は、月の声の効果だろうか、人々の胸に深く染み渡り、彼らを静けさに包みこむ。争う彼らは、美樹の声の響きが持つ心地よさに、身を委ねるようでもある。美樹は話を始める。


「宰相ノルガバの嘘が暴かれた今、国民同士が争う必要はどこにもありません」


 時計塔の広場は静まり返る。美樹の言葉の真偽よりも、「争う理由がない」という言葉に強く惹かれているようだ。美樹はスピーチを続ける。


「私はあなた方が戦争を、そして内乱を終わらせることを望みます」


 依然として広場の人々は、この素性のしれない女、「七瀬美樹」の声へ静かに耳を傾けている。美樹の月の声は響く。


「私は今、『デジファルファ』を手にしています」


 人々は上空のモニターを仰ぎ見る。今や彼らの武器を握る手は、降ろされている。美樹は彼らに伝える。


「私はこの脅威の兵器、『デジファルファ』があなた方を思い留まらせると信じています」


 美樹は一度軽く息を吸い込む。彼女の月の声は、心の奥底にある暗い泉にポツリポツリと雫が落ちるように響いていく。


「私はあらためて、あなた方に伝えます。誰かの『嘘』を信じて戦うのが、本当に誇らしいものでしょうか」


 美樹は今一度彼ら、「ジファの国」、全ての人に向けて訴える。


「戦争は終わりました。独裁者が去った今こそ、武器を捨て、争いを終えてください」


 一瞬の静寂……。人々は美樹の声に、聴きほれたようにじっとしている。美樹の声。「月の声」を借りてのスピーチ、彼女のメッセージは、果たして人々に届いたのだろうか。

 だが次の瞬間、時計塔の広場に美樹を罵る声があがった。軍からだ。彼らは戦争は勝たなければならない、と叫んでいるようだ。たった一人からの罵声から始まった美樹への反発は、瞬く間に広がっていく。それは怒号にも聞こえる。

 美樹は失意の余り、言葉を失い、口を閉ざす。彼女は、またしても自分が力になれなかったことを悔やみ、胸に思う。


(私の『声』だけでは、もう……)


 美樹は顔を伏せる。するとちょっとした間隙をついて、広場のモニターに別ルートから、もう一人の女性の映像が映し出される。「誰」か。みなの視線はその女性に注がれ、怒号も鎮まり返る。

 その女性は第二執政官、いや、今や国の実験を握り、母国の行く末を左右するであろうアノマ・カロメだった。

 彼女は毅然とした声を響かせる。軍に向けて彼女は伝える。


「愛国心に溢れるわが同胞よ。たった今、国防省長官とAMSOSIの幹部が停戦案に同意した」


 戦争継続派である、軍の最高司令とAMSOSI幹部の、ある種の投降。その事実を耳にして、軍の兵士たちに騒めきが起こる。

 アノマが現れて、風向きは明らかに変わっていく。再び広場を静寂が包み込む。アノマは軍の兵士たちの動揺を鎮めるようでさえある。


「彼らは国政から追放され、和平路線が敷かれたことを諸君たちに告げる。最早諸君が命を危険に晒してまで闘う必要はない」


 軍のトップクラスの人物や、AMSOSIの幹部たちでさえも、根回しと計算づくの包囲で、投降させたであろうアノマ。そのアノマに、軍の兵士たちで抗議する者は最早誰一人としていない。アノマの声が時計塔の広場に再度響き渡る。


「戦争は終わる。速やかに同胞と和解せよ。これは諸君の善意に期待した国令である」


 アノマのメッセージを人々が聞き届けると、その時、広場から音が消えた。長い沈黙。静寂が広場を覆ったその直後、軍の兵士たちが武器を降ろし始める。アノマの言葉が、美樹の「月の声」を通したスピーチに揺れる、彼らの心を最後に後押ししたのだ。

 軍の兵士は一人、また一人と装備を解いていく。そして広場に歓喜の輪が広がっていく。軍とレジスタンス、彼らの歓声は留まることがない。その様子を見たアノマは充足感で満ちている。

 やがて美樹の補助操縦席に、アノマから通信が入る。モニターに映し出されたアノマの瞳は澄んでいて、晴れやかだ。アノマは美樹を褒め称える。


「過剰に感情へ訴えずに、冷静な判断を仰ぐ素晴らしいスピーチだった」


 今となっては自分の非力さなど、もうどうでもいい美樹は応える。


「私はただ……」


 アノマは、美樹を柔らかく認める。


「あなたの『月の声』が、彼らの心を少しでも解きほぐしていたのだろう」

「『月の声』、ご存知だったんですね。どうやってこの回線に侵入を?」


 アノマの口元はうっすらと緩む。


「一介のハッカーが作ったに過ぎない、通信網に侵入するなどたやすいことだ。あなたの……、名前は?」

「美樹。七瀬美樹」

「七瀬美樹。覚えておこう。あなたの決断を称える」


 二人が解放の余韻に浸っている最中、アノマは大切なこと、ジファと美樹にとってとても大切なことを伝える。


「A級不穏分子であり、四件の暗殺に手を染めたジファ・セラヴィナには、処罰を与えなければならない。だが」

「だが?」


 美樹が訊き返すと、アノマは笑みを浮かべる。


「戦争は終わった。彼もこの戦争の犠牲者の一人でもある。恩赦を与えよう」

「アノマさん……」


 情にほだされる美樹に、アノマは明快な判断を告げる。


「ジファ・セラヴィナへの刑罰は、彼自身が贖罪の道を歩むだろうことで最高刑と処する。加えて被害者の遺族は、国が生涯に渡って庇護することを約束しよう」


 一部の隙もないアノマの配慮、決断を前にして美樹は、両掌を握りしめて、胸にあてるしかない。


「ありがとうございます。アノマさん」

「いいや。構わない。『別世界』に住むであろう、あなたの身を挺しての協力、重ね重ね感謝する。それでは、さようなら。またいつか」


 「別世界」「月の声」。アノマは全て知っていた。美樹はアノマの能力と、彼女の部下の有能さに想いを馳せて、心から安心する。その美樹の様子を目に留めたアノマは、軽く礼をしてモニターから消える。

 その役目を終えた補助操縦席は、やがてFVMに戻る。胸を撫で下ろす美樹に、ジファが落ち着いた声で呼びかける。


「美樹」


 ジファの瞳を見て、美樹はこう返すだけだ。


「私、力になれたかな」


 ジファは右手を大きく広げる。彼の髪は風に優しくなびいていた。


「ああ、もちろんだとも」


 こうして美樹は、おそらく生涯で一度きりであろう大役を果たして、全てが終わるのを見届けた。時計塔の広場には歓びだけが静かに広がっていた。




 ……風。見渡す限りの青空は透き通り、光が溢れている。ジファは、美樹の両手を握りしめ、流れるように空を飛んでいく。

 ジファは白いシャツをなびかせて、少し悪戯好きでいながら優しい、そんな青年の笑顔を浮かべている。彼は髪の毛を少し短めに切り、細めの黒いズボンを履きこなしている。争いに加わったフラカナが無事だったのも、彼の表情をより柔らかくしていた。

 美樹の服は、「ジファの世界」から「彼女の世界」へ戻るに相応しい、少しシックで大人びた色合いに戻っていた。

 ジファは空を一度仰ぎ見て、気持ち良さそうに美樹を見る。彼が真横に伸ばした右手には通信機が握られている。そこからニュースが流れてくる。

 キャスターの声は所々、風の音でかき消されて聞こえない。


「……停戦交渉を行っていた各国首脳は、……全128項目を含む停戦条約を交わし……ここに、異人種間戦争は終結を迎えました」


 ジファが風に吹かれながら美樹に訊く。


「美樹、聞こえるかい?」


 キャスターの原稿を読み上げる声は続く。


「開戦国宰相アノマ・カロメは『我々はどんな障害をも乗り越えると信じる』と宣言。なお……」


 ジファはそこまで聞くと、ニュースを閉じて声高に叫ぶ。


「平和だ!」


 美樹は風に煽られながら彼に大声で尋ねる。


「体! 平気なの!? ジファ!」


 ジファは笑みを見せる。


「ラストフライトだよ。今日で君とはお別れだから」

「うん。そうだね!」


 美樹の心には悲しみはなく、清々しい。ジファがこうも口にしたことが、より美樹を安心させていた。


「四人の科学者を手にかけた罪は、生涯、俺から消えないだろう。それは俺が背負う十字架だ。だから、俺は人々のために生きていく。ささやかでも、みなの力になれるといい」

「ジファ」


 アノマの「恩赦」という粋な計らい、そしてジファの心の底からの、一人の青年としての後悔。その二つを胸に受けて、美樹はひたすらに満たされるばかりだ。

 風が吹き抜けて、両手を握るジファと美樹の二人は、今一度バランスを取り合う。ジファは美樹に伝える。


「君は本当に優しい女性だ。そして強い」


 美樹は顔を上げて、ジファを見つめる。彼は息を緩やかに吸い込む。美樹は最後に口を開く。


「ジファ、あなたは私の胸の奥で生き続ける」


 ジファも美樹にその言葉を受ける。


「ありがとう。俺も君を忘れない。二人の悲しくも喜びに満ちた旅の記憶とともに」


 美樹はジファに訊く。


「また、会えるかな」


 返事をするジファの声はたくましい。


「また会えるさ。『意識転送』を使うのがこれで最後になったとしてもね」


 美樹が初めて見る「意識転送」は、小振りな大きさの機械で、楕円形をしている。加えてそれは宙を自在に浮くことが出来た。

 ジファは美樹の両掌を握り締める。


「また会えるさ。きっとどこかで」


 ジファと美樹の胸元に浮かぶ「意識転送」が動きだす。美樹はジファから視線を逸らさない。風が吹き抜けて行く。


「さよなら。ジファ」

「ああ、さよなら。美樹」


 その瞬間、光が激しく瞬き、ジファの姿と広がる青空は、美樹の視界から薄れ、遠のいていく。

 一瞬、美樹は意識を失い、気が付くと自分の執筆オフィスに戻っていた。それは旅の終わりをあらためて告げるものだった。美樹がオフィスを見回すと誰一人いない。彼女は編集者の芳賀に呼びかける。


「芳賀君? 芳賀君?」


 すると奥のキッチンから、芳賀の声が聞こえる。


「美樹さーん。今コーヒーをお煎れしてますよ。一旦休憩しましょう」


 美樹は、その芳賀のリラックスした声で、今一度「自分の世界」に戻って来たのをしっかりとたしかめる。美樹が、目を細めて眺める屋外では、鳥の鳴き声が響き、そこからは暖かい陽差しがオフィスに射し込んでいた。

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