ファントム 4
二人の和やかでいて、緊迫しつつある会話が一段落したその時、ジファの目つきが変わる。幾つもの足音が部屋の外から響くのが美樹にも聞こえる。ジファは美樹の手を素早く取る。
「『AMSOSI』だ。慌てないでいい。隣の部屋へ」
「え、えーえむ!?」
戸惑う美樹にも構わずに、ジファはとにかく彼女を隣の部屋へと連れていく。ジファの部屋の外では誰か、高官、リーダー格の男だろうか、がさかんに指示を出している。
隣室へと移動したジファは部屋の中央に置いてある、円形のセンサーに触れると隠し通路へのドアを開く。ジファは余計な説明はしない男らしい。切迫した状況を切り抜けるのが先だと考えているようだ。
ジファは美樹を連れて隠し通路へと踏み込んでいく。
美樹が連れていかれるまま、隠し通路に足を踏み込み、通路のドアが閉じた瞬間、それとすれ違うように銃が乱射される音が響いた。けたたましい銃声。破壊される部屋の音。
まさに間一髪。二人は無事、難を逃れられたようだ。
美樹を連れて、隠し通路を足早に歩いていくジファは一言だけ呟く。それは、ジファがまだ完全には美樹を信頼しきっていないことを表わしていた。
「あれが君の手引きでないのを願うよ」
二人がしばらく通路を歩いていると、激しい爆音が響く。どうやら「AMSOSI」が強行して、ジファと美樹の逃げ道を探しているらしい。すると手と指先が若干震える美樹の頭上に、爆発の振動で天井が崩れ落ちてくる。
美樹はたまらずに、思わず座り込む。するとジファが壁に手を付くと、彼女をかばい落盤から守り切る。落下してくる、壊れた天井の破片を一身に浴びながらも、美樹を守り通すジファ。
この男性には、何か特殊な、得体の知れない美点がある。美樹はそう思わずにはいられない。加えて表情一つ変えずに美樹を、全身全霊でかばったジファに、美樹は言葉にならない感情を覚えていた。
しばらくして揺れが治まると、ジファは美樹の右手を握り、連れ立ち、隠し通路を急ぎ足で歩いていく。
震えが少しずつ止まってきた美樹は、ふと思いついた質問をジファに投げかける。
「ジファ。あなたのお父さん、ひょっとして名前はロウ?」
ジファはハシゴをのぼりながら答える。最早ジファは、美樹が「色々と」知っていることに違和感を覚えていないようだ。淡々と言葉を返すだけだ。
「そうだ。どうしてそれを。俺の父親はロウ・セラヴィナだ」
ジファの顔はどこか険しい。美樹は言葉もなく、彼のあとをついていくしかない。美樹は「時計塔に眠る怪人」と、この「ジファの世界」との接点にただただ戸惑うばかりだ。
そんな美樹の心情をさしおいて、裏通りから少し抜けた路上に出るとジファは、彼女に告げる。
「今から『酒場』に行く。レジスタンスの拠点の一つだ」
ジファは美樹の手を引き、足早に歩きながら、こうも付け加える。
「俺にも少し考える時間をくれ。君の話に俺も少し戸惑っているんだ」
ジファと美樹の二人は、時計塔の地下街にある大通りを抜けて、街の賑やかな一角にある、一つの建物にたどりつく。建物には、微笑む女性を象ったネオンサインが飾られている。女性の微笑は、背徳と隣り合わせのデカダンを彷彿とさせる。
美樹はネオンサインに魅入られながらも、そこがジファのいう「酒場」だと分かった。
ジファは説明一つせず、美樹を連れて店内へと入っていく。忙しげな店内では戦争だろうか。何かの戦闘現場を映し出すニュースが流れている。ジファはニュースには気にも留めずに奥のソファへと腰をかける。美樹は、胸に駆り立てられるものがあったが、静かに彼の隣に座る。
「あの、ねっ? ジファ」
そう言って美樹が「色々」とジファに話し、尋ねようとした時、ジファの視線の先、階段から一人の女性がおりてくる。女の髪は軽く波打ち、ミドルヘアーと緑色の瞳が印象的だ。
どこか過剰な緊迫感と、鋭い眼差しを持つ女性を目にして、美樹は口を閉ざしてしまう。女性は、そんな美樹をチラリと見るとジファの隣に座る。
ジファと女性の二人は、視線さえ合わせずに言葉を交わす。二人の意思の疎通はなめらかだ。女性は薄紅の唇が美しい口を開く。
「A5エリアの反政府グループが一斉検挙された。戦争を終わらせるのは難しくなってきたわ」
ジファはその話に特段、関心を持っていない様子だ。女性も女性で乾いた声で話を続けるだけだ。
「レジスタンスに内通者がいる。ジファ、私達と組まない? 動機は違っても、私達のターゲットは同じ。いいアイデアよ」
ジファは「戦争」やら「政治」に興味がないようだ。彼は淡々と返事をする。
「俺は反戦が目的じゃない。俺はレジスタンスにとっては邪魔だ。距離を置いた方がいい」
ジファは一拍置いて話を続ける。
「それより『AMSOSI』が動きだした。俺の拠点の一つが襲われた。いくつか潜伏先を確保してくれないか」
「交換条件は?」
「『AMSOSI』の戦略パターンの提供」
「OK」
女性とジファのやり取りは軽快だ。女性はジファのアイデアを快諾したようだ。その鬼気迫る、やや現実離れした話を耳にしながら、美樹が息をひそめていると、女性は気さくにジファへ訊く。
「ところでそこのお嬢さんは誰?」
ジファは一瞬だけ軽く首を横に振る。
「俺も良く知らないんだ。事情があって俺がかくまっている。名前は七瀬美樹。不思議な力を持っていてね。驚くよ」
女性は、元の性格は落ち着いた、品のあるもののようだ。彼女は美樹に手を差し出して挨拶をする。
「よろしくね。美樹さん」
すると美樹はとっさに閃いて口にしてしまう。
「あなたジファの幼馴染みでしょ? 名前はローズ・ジニー。合ってる?」
女性は表情を少しも崩さない。女性はこう返す。
「私とジファは幼馴染みじゃないわ。出逢ったのは数年前」
「そうなんだ」
美樹は少しがっかりして、肩を落としたが、笑顔を取り戻し女性の手を握る。だが女性は、またしても美樹を困惑させることを口にする。
「でも名前は合ってる。どうして?」
ジファが足でリズムを踏んで楽しげに笑う。
「なっ? 不思議だろ?」
戸惑い、訝しむローズをよそに美樹はただただ笑うしかない。
「アハ、アハ、アハハハハ」